共に生きる?
今日、NHKのとある番組で、「障害者との共生」なるテーマで3時間の討論番組をやっていた。
全てを聞いていた訳ではないのだが、そこに出演していた、障害者代表のご老人と同級生に障害者がいる高校生の会話が気になった。
障害者のご老人は、
「障害者が健常者と共生していくには、障害者の権利を声に出して訴えていかなければならない。」
なる主張をしていた。
一方高校生は、
「私が日ごろ学校生活の中では、その子が障害者だからこういう風に付き合わなければいけないなんてあまり考えていない。全てが好きではないし気に食わないこともある。けれど、それって他の友人と一緒であまり障害者だからという意識がない。」
との考えを述べていた。
まあ、このような番組で、障害者と健常者が共生していくにはどのようにしていけばいいかなどと、正面きって討論しているうちは、なかなかそのことは達成しないだろうと思う。
お互い、堅苦しく考えずに、障害者ができないことを肩の力を抜いてサポートしていけばいいし、障害者もできることはやっていけばいい。
障害者として一番やってはいけないのは、
「私は障害者なんだから、これくらいはしてもらってもいいんじゃないか。ここはこういうようにしてくれよ。」
などと、自分の意見ばかりを主張することだと思う。
人それぞれ、コマっていることはあるし、まあお互いさまじゃよね。
全てを聞いていた訳ではないのだが、そこに出演していた、障害者代表のご老人と同級生に障害者がいる高校生の会話が気になった。
障害者のご老人は、
「障害者が健常者と共生していくには、障害者の権利を声に出して訴えていかなければならない。」
なる主張をしていた。
一方高校生は、
「私が日ごろ学校生活の中では、その子が障害者だからこういう風に付き合わなければいけないなんてあまり考えていない。全てが好きではないし気に食わないこともある。けれど、それって他の友人と一緒であまり障害者だからという意識がない。」
との考えを述べていた。
まあ、このような番組で、障害者と健常者が共生していくにはどのようにしていけばいいかなどと、正面きって討論しているうちは、なかなかそのことは達成しないだろうと思う。
お互い、堅苦しく考えずに、障害者ができないことを肩の力を抜いてサポートしていけばいいし、障害者もできることはやっていけばいい。
障害者として一番やってはいけないのは、
「私は障害者なんだから、これくらいはしてもらってもいいんじゃないか。ここはこういうようにしてくれよ。」
などと、自分の意見ばかりを主張することだと思う。
人それぞれ、コマっていることはあるし、まあお互いさまじゃよね。