職場復帰に思う事
昨日、とある銀行の人事部の部長さんが、視覚障害者として働いている、わしの会社に見学に来た。
その銀行の社員が、交通事故で全盲となり、職場復帰後に、どのような部署でどのような仕事をさせたらよいかを模索しているとのことである。
わしの上司でもある、人事部のマネージャーと応接室でしばらく話した後、わしもそこに加わって、いろいろなことを聞かれた。
「視覚障害者と接するのにはどのようなことに気をつけたらよいのでしょうか?」
「通勤はどのようにしているのですか?誰かのサポートを受けているのでしょうか?」
「どのような仕事をしているのでしょうか?」
「その仕事をするためには、どのような機器を備えていらっしゃるのでしょうか?」
「リハビリは受けたのでしょうか?」
「そのリハビリから職場復帰に踏み切る時のきっかけは?どこまで訓練を受けたらよいのでしょうか?」
まあ、次から次へと質問された。
その銀行の視覚障害者は、突然の交通事故で失明したことにショックを受けており、通勤時の歩行や会社内でのサポートの受け方など、不安をもたれているとのこと。
海外での就労の経験もあり、英会話に長けており、インターネットにて、英文の情報を入手して、日本文に変換し、グループウェアにて情報提供をするような職種を考えているとのことである。
人事部長自ら、実際に視覚障害者が就労している会社を訪問し、いろいろな意見を聞いているとのことである。
そういえば、5年前のわしもそうだったなぁ?
「 復職してわしは今の会社で何ができるのか?」
「 通勤は大丈夫か?」
「 コミュニュケーションはうまくとれるであろうか?」
などなど、リハビリを受けていた時の指導員と、会社の人事担当者といろいろ考え、実際に会社まで乗り込んで、パソコンに音声変換ソフトをインストールさせてもらい、どのような機器やソフトを揃えればよいかを模索した。
けんど、今だから言えるのだが、他の障害者がどのような職種についているのか、どのようにして通勤しているかなどを聞いてもあまり意味がないと思う。
それぞれの視覚障害者で、見え方も違うし、会社の中で今までどのような仕事をしていたかも違うし、そりゃこうしたらええなんて答えはないんじゃよね。
結局は、視覚障害者が実際にその会社に勤務して、上司といろいろやってみて、
「このようなことはできるんじゃ。」
「それなら、次はこれをやってみよう。」
など、じっくり時間をかけて、その人なりの職種を見つけていくしかないと思うのである。
もちろん、それには、白杖を使っての歩行や、援助以来を受けながらの身の回りの行動の仕方や、日常生活をするうえでの行動の仕方、視覚障害者のための補助機器の使い方の基本をマスターし、会社側も、障害者が就労する上での補助機器や環境を揃えることが前提ではある。
まあ、いろいろやってみて、できなければできないなりに、。どのような工夫をすればできるようになるのか?どうしてもできなければどのような周りの人のサポートを受ければよいのか?を、自分なりにひとつひとつ解決していくしかないんじゃよね。
目が見えないということは、不自由ではあっても、決して不幸なことではないんじゃよね。
たまたま、他の社員と比べて、目が見えなかっただけなんじゃよね。
どうにかなりまっせ。
あんまり、視覚障害者だからといって、腫れ物に触るような気持ちで接して欲しくないんじゃよね。
当然、今のわしの会社では、仕事の指示をされた後は、ほったらかしですよ。
皆自分の仕事で忙しいんですよ。
目が見えないということに甘えていてはだめなんですよ。
自分で、いろいろ工夫して、
「どのようにしたら今の仕事駕もっと速く性格にできるようになるのか?」
「そのためには、どのような情報を得て、データを備蓄、メンテしておかなければいけないのか?」
毎日が戦いなんですよ。
目が見えないことにこだわっていては、どんどんおいていかれるんですよ。
それは、目が見える人も見えない人も同じ条件なんですよ。
なーーんて、いろいろ書いてはみたものの、視覚障害者が継続就労していくのは難しいです。
時には落ち込む事もありますです。
傷害年金もらって、のんびり自宅で好きなことさへやっていればどんなに幸せか?なんて考える時もあるんです。
けんど、子供達が大学を卒業して成人するまでは、そんなことは言っておれんのですよ。
わしが儲けなければおまんまが食えんのですよ。
おとうちゃんは苦しみながらも、必死こいて、働かなければいけないんですよ。
結構、楽しみながらってとこもあるんじゃけどね。
まあ、あと、10年はがんばんべぇ!!!
その銀行の社員が、交通事故で全盲となり、職場復帰後に、どのような部署でどのような仕事をさせたらよいかを模索しているとのことである。
わしの上司でもある、人事部のマネージャーと応接室でしばらく話した後、わしもそこに加わって、いろいろなことを聞かれた。
「視覚障害者と接するのにはどのようなことに気をつけたらよいのでしょうか?」
「通勤はどのようにしているのですか?誰かのサポートを受けているのでしょうか?」
「どのような仕事をしているのでしょうか?」
「その仕事をするためには、どのような機器を備えていらっしゃるのでしょうか?」
「リハビリは受けたのでしょうか?」
「そのリハビリから職場復帰に踏み切る時のきっかけは?どこまで訓練を受けたらよいのでしょうか?」
まあ、次から次へと質問された。
その銀行の視覚障害者は、突然の交通事故で失明したことにショックを受けており、通勤時の歩行や会社内でのサポートの受け方など、不安をもたれているとのこと。
海外での就労の経験もあり、英会話に長けており、インターネットにて、英文の情報を入手して、日本文に変換し、グループウェアにて情報提供をするような職種を考えているとのことである。
人事部長自ら、実際に視覚障害者が就労している会社を訪問し、いろいろな意見を聞いているとのことである。
そういえば、5年前のわしもそうだったなぁ?
「 復職してわしは今の会社で何ができるのか?」
「 通勤は大丈夫か?」
「 コミュニュケーションはうまくとれるであろうか?」
などなど、リハビリを受けていた時の指導員と、会社の人事担当者といろいろ考え、実際に会社まで乗り込んで、パソコンに音声変換ソフトをインストールさせてもらい、どのような機器やソフトを揃えればよいかを模索した。
けんど、今だから言えるのだが、他の障害者がどのような職種についているのか、どのようにして通勤しているかなどを聞いてもあまり意味がないと思う。
それぞれの視覚障害者で、見え方も違うし、会社の中で今までどのような仕事をしていたかも違うし、そりゃこうしたらええなんて答えはないんじゃよね。
結局は、視覚障害者が実際にその会社に勤務して、上司といろいろやってみて、
「このようなことはできるんじゃ。」
「それなら、次はこれをやってみよう。」
など、じっくり時間をかけて、その人なりの職種を見つけていくしかないと思うのである。
もちろん、それには、白杖を使っての歩行や、援助以来を受けながらの身の回りの行動の仕方や、日常生活をするうえでの行動の仕方、視覚障害者のための補助機器の使い方の基本をマスターし、会社側も、障害者が就労する上での補助機器や環境を揃えることが前提ではある。
まあ、いろいろやってみて、できなければできないなりに、。どのような工夫をすればできるようになるのか?どうしてもできなければどのような周りの人のサポートを受ければよいのか?を、自分なりにひとつひとつ解決していくしかないんじゃよね。
目が見えないということは、不自由ではあっても、決して不幸なことではないんじゃよね。
たまたま、他の社員と比べて、目が見えなかっただけなんじゃよね。
どうにかなりまっせ。
あんまり、視覚障害者だからといって、腫れ物に触るような気持ちで接して欲しくないんじゃよね。
当然、今のわしの会社では、仕事の指示をされた後は、ほったらかしですよ。
皆自分の仕事で忙しいんですよ。
目が見えないということに甘えていてはだめなんですよ。
自分で、いろいろ工夫して、
「どのようにしたら今の仕事駕もっと速く性格にできるようになるのか?」
「そのためには、どのような情報を得て、データを備蓄、メンテしておかなければいけないのか?」
毎日が戦いなんですよ。
目が見えないことにこだわっていては、どんどんおいていかれるんですよ。
それは、目が見える人も見えない人も同じ条件なんですよ。
なーーんて、いろいろ書いてはみたものの、視覚障害者が継続就労していくのは難しいです。
時には落ち込む事もありますです。
傷害年金もらって、のんびり自宅で好きなことさへやっていればどんなに幸せか?なんて考える時もあるんです。
けんど、子供達が大学を卒業して成人するまでは、そんなことは言っておれんのですよ。
わしが儲けなければおまんまが食えんのですよ。
おとうちゃんは苦しみながらも、必死こいて、働かなければいけないんですよ。
結構、楽しみながらってとこもあるんじゃけどね。
まあ、あと、10年はがんばんべぇ!!!