249: 幸せな名無しさん :2017/07/04(火) 12:10:23 ID:4zgrHBVY0
気づきのキッカケになったのはパチンコ台だったので、大きなキッカケでなくても気づきに興味を持ちアンテナを張っていれば、何かのキッカケで気づいて行けるはずです。
興味が気づきを促進してくれますね。
250: 幸せな名無しさん :2017/07/04(火) 14:37:17 ID:4zgrHBVY0
不足を埋めるために何かを叶えることと、人生や世界を愉しむことの違いとは。
あなたが人生に世界に生まれてきたのは不足を埋めて安心するため?
生活費を稼ぐために生まれてきた?
周りにイイネ!をもらうため?
心の奴隷とはとは何だろう。
心はあれもこれも色んなものを欲しがり貪る。
いくら貪ってもまた腹は空いて不足を叫ぶ。
まるでワガママな駄々っ子のよう。
それを埋めるために必死になって、心のために自分は悩まされ奔走し疲弊する
与えなければ心はくれくれと言い続ける。
心を超えよう。
257: 幸せな名無しさん :2017/07/05(水) 00:23:30 ID:Fp03imbU0
プラトンの有名な洞窟の比喩の話はぼんやりと知ってましたけど、改めて読んでみると確かにそんな感じですね。驚きましたよ。
教えてくれてありがとう!
この方のブログ も好きで読んでいたんですけど、改めて読むと自分の気づきによってプラトンの洞窟の比喩の世界を知らず知らずにいい方向へと展開させていたんだと思います。
改めて教えてくれてありがとう。
261: 幸せな名無しさん :2017/07/07(金) 14:10:19 ID:S.dwAPiM0
>イデアより現実に重きを置いてしまう。
それを、イデア寄りにするのは一瞥体験が必要なのかなぁと思う。
イデア論では自分の背面から明かりを当てた影絵をまるで現実のように勘違いしてしまうものですが、今回の 「 全ては既に自分の中に在る 」 というようのは、イデアの 「 自分の背面から 」 という言葉を 「 自分の中の気づきから 」 と置き換えるか、または 「 認識の洞窟の外に出られて気づいた 」 という感じになるんだと思います。
やはり気づきには現実を違う角度から見つめてみたりすることで新しい気づきに繋がるのかなと思います。
それにてしてもこのイデア論は面白いですね。
洞窟から出てきたらもうあの洞窟には戻ろうとは思いませんね(笑)
こんな哲学と関係してたとは自分でも驚きです。
ありがとう。
262: 幸せな名無しさん :2017/07/07(金) 14:46:10 ID:S.dwAPiM0
悪いと感じていることに対して感謝なんてしなくていい。
無理にいい風に見ようとするからおかしくなってしまうんだと思います。
感謝は無理にするものではないから。
>ポンポン叶う人と違うのはやっぱり感謝の徳の土台の違い?
ポンポン叶うなどの願望実現を主としたスレではないので、細かくお答えは出来かねます。
が、本当に感謝とか徳なるような在り方を自然と出来るならば、感謝出来ているその人の人生や認識世界というのは幸せを感じていると思いませんか?
徳を積むような生き方をしていれば当然周りの人も悪い気はせず、結果としてたくさんの人も好意もその人に集まってきたりするんじゃないですかね。
図らずとも願いが叶ったりね。
つまりこれも逆なんですよ。
ポンポン何かを叶えようとして感謝しようとか徳を積もうとかすると、その人の本心の出所は 「 何かを引き寄せて叶えてやろう 」 だから周囲にそういう意図が透けて伝わってしまう。
いくらうわべで感謝しようが徳を積もうが土台は 「 何かを引き寄せて叶えてやろう 」 なので、引き寄せ的には何も変わってないんです。
先程のあなたの悪いことも感謝してというのと同じです。
感謝するなら純粋に感謝した方がいい引き寄せも現象も起こせますよ。