*108 以外 * 質疑応答 5


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


453 :もぎりの名無しさん:2011/08/18() 22:51:11 ID:psg5Ebes0


色んな意識やら声・感情は「そこから出てきたもの」なので、出てきたものに巻き込まれると、たとえば「自分を責める声」と一緒になって自分を責めてしまうことになる。「そこから出てきたもの」というのはその時々によって変わってきますよね?だからあなた自身が別の領域で安心を感じていれば、結果的にエゴも頑張らなくて良いって気づくんじゃないかな。

変わっていくもの・通り過ぎていくものは幻です。


その場所で声やら感情やらが何を言ってこようと、動じずにそこにある意識の方が本当の自分です。
そのいつも変わらずにある意識に気づくと良いと思いますよ。

>>441

エゴが幻想を維持するために頑張ってるんだね。「私(エゴ)」が消滅しないために問題を作り出してる。


験的な理解はあっても、エゴが成熟していく過程で書きたいという思いが起こったからそうなったという感じかな。それも全体の関係性の中で起きているとも言えるし。
願望実現というテーマで書く(ということが起こっている)のも私のエゴ的に楽しんでるのもあるし、ただ起こってることとして実在として楽しんでるともいえるね。

461 :もぎりの名無しさん:2011/08/19() 18:03:06 ID:psg5Ebes0

>>460

そうそう。完璧です。巻き込まれてもまあいいや!です。
「今」にあればいいだけ。エゴなんてどうでもいいや!ですねー。


502 :もぎりの名無しさん:2011/08/21() 15:24:58 ID:psg5Ebes0


「成功している自分」よりも「望まないように見える現状」の方がリアルだということですよね。
目の前の現実に打ちひしがれ、更に打ちひしがれたことを「失敗だ」とジャッジして二重に否定してる感じかな。意識の比重が「意図する方向」<「目の前の現実」だと、「なる」はONにならないよね。

全ては自分の意識からなのだから意図した現実がちゃんとある。
現状が望んだ展開ではないということは、今回はちょっと間に合わなかったんだな位に思ってれば良いんじゃないかな。ここで思考に捕らわれないほど現象化は早くなると思います。
考えそうになったら「今にある」ようにすれば良いんじゃないかな。

打ちひしがれても「目の前の現実って関係なかったんだっけ」っていう切り替えができれば良い。
「なる」ではないですが、>>460さんのレスを「なる」に置き換えてみると良いですよ。
それが結果的に「成功してる自分になった」ことへの信頼にもなるんじゃないかな。

505 :もぎりの名無しさん:2011/08/21() 17:08:58 ID:psg5Ebes0


思考停止って私が書いたことかな?と思ったので少し補足をさせて下さい。

>>435
で書いたことに関してなら思考停止の状態にはなるかと思うんですが、「思考を停止する」ことよりも「そこにある意識に気づく」ことについてのつもりで書きました。

思考停止してる状態というのは、何かを認識する直前の状態です。
例えば「これはパソコンだ」と認識したり、画面の文字とか誰かの顔や言葉を認識したり、
普段当たり前にしてることですが、思考で捉える前はただのモノだったり音だったりがただ在るだけですよね。

つまり思考停止してるだけの何でもないような場所が「物事の全てを認識する前の場所」です。
そこに意識が在ると何かを認識することに気づくことができます。それは目に見えるものだけじゃなく、目に見えない感情とか思考とかも同じです。そこが源泉だと言われているところです。

そこから出てきたもの認識や判別をされた対象(思考や感情)を自分だと思ってるか、認識や判断をしてることを気づいてる意識の方を自分だとするか、そのどちらかで現実が大きく変わってくるんですよね。

なのでまずはその意識、源泉に気づくというところを書いてみました。もちろん思考停止するだけでも、自分をニュートラルに戻すという感じで良いかと思います。今は良く分からなくても、頭の隅にでも留めておいてくれれば後から腑に落ちたりすると思います。


506 :もぎりの名無しさん:2011/08/21() 17:18:23 ID:psg5Ebes0


もちろん「幸せでありたい」と別の領域で安心しているのが一番だと思いますよー。
そうしていれば、状況がどうなろうとあなた自身は幸せになるしかないんですから。
思考で考えようとすると、どうしても幸せに「お金」とか「ご両親のこと」とかくっついてきますもんね。自分をシンプルで楽にさせてあげて下さい。


511 :もぎりの名無しさん:2011/08/21() 22:31:46 ID:psg5Ebes0


大好きありがとうに包まれてって良いですね。
心地良い感覚に包まれていれば間違いないですよー。

>>510

「源泉から出てくるものを事前に感知する」というのは、源泉から湧き出るに任せた上で気に入らないものが出てきたらそのまま流れ去るのを見送って、気に入るものが出てきたらそのままそこに乗っかって一緒に楽しく流れていけば良いという感じなのです。

なので易も気に入らない卦がでれば見送って、気に入る卦が出れば乗っかってということになるんでしょうか。まあそれだと占う意味がないような気もしますがw

そういえば、易とかカードを潜在意識のメッセージを受け取るツールとして使ってる人もいるみたいですよね。
「実現するだろうか」「実現するためのヒントは」みたいな観点だとやっぱエゴ的ですよね。源泉的には、意図したらあとは放っておけばいーよ!って感じですもんね。そういう感覚の時、解釈しようとは思わないだろうしなあ。


512 :もぎりの名無しさん:2011/08/21() 22:46:53 ID:psg5Ebes0


混乱してる人もいるかも知れないんでちょっと書いておこうっと。

数学で指数法則が成り立つためには「0乗=1」が約束事になってますが、本当は「0乗って0なんじゃ?」って思ってる人もいますよね。
「別の領域」という非二元性について、二元性であるエゴの属性の言語で説明することも、説明する以上、「言葉で定義できないものを定義する上での約束事」みたいなのがあるかなと思います。

「引き寄せの法則」にしろ「別の領域」にしろ「悟り」にしろ、人間が定義したものなんだからそれがエゴ以外のものなわけないですよね。

「言語にした時点でエゴなんじゃ?」というのは「0乗って0なんじゃ?」というのと同じようなものかと思います。つまりそこに拘る人は好きにすればいいと思うけど、「0乗=1」ということにしてさっさと問題解いた方が(願望実現した方が)良いよねって感じです。

でもそこにもやっとしたものを感じてた人は、何か発見できたりしたかも知れませんよね。
まあ改めて書くのもなーと思ったんですが、そういう前提で書いてますって書いた方が良いのかもと思ったので一応。


523 :もぎりの名無しさん:2011/08/22() 21:38:51 ID:psg5Ebes0


「ない」と思うと「行動しなきゃ」となって「ある」と思おうとすると「行動しなくても良いはず」と行動を否定してしまいがちだよね。結局「する」「しない」に振り回されてるってことかな。

で、「する」とか「しない」とかの二元性で考えてるのはエゴなんです。
自分でやってる~と思いたいから、「する」か「しない」かについて考えなくちゃいけないんですよね。
7章は「する」「しない」ではなく、「どう在るか」という在り方についてなのです。
そして自分がどう在るかによって、世界があなたの在り方に連動してるんです。

ちょうど↓の>>519さんへのレスと連動してるので参考になればw

524 :もぎりの名無しさん:2011/08/22() 21:39:54 ID:psg5Ebes0

>>519

まずこの「どうしたら良いのか」という考え方をきっぱり止めると良いかと思います。
「認めても認めても」立ち位置が変わらないのは、「する」というところばかり見てるからです。
認識の変更というのは結局、「どうするか」という認識から「どう在るか」という認識に変わることかなと思います。
自愛にしろクレンジングにしろ何かを「する」のは、「在り方」に気づくためのものなのです
「する」を探し続けても「自分がどう在るか」というところに気づけないと、何をしたって大して変わらないと思います。

例えば>>502>>491さん宛にも書いてますけど、思考の癖に引きずられたとしても気づいた時点で切り替える、そして引きずられたことに対して自責しない、そこに「失敗した」という意味づけをしない、あとは気軽にやる・・・みたいなことを「どうするか」という意味で捉えるのと「自分がどう在るか」で捉えるのとでは全く違ってきますよね。
そういう自分であれば、「どうするか」といちいち考えなくても自然にそうならざるを得ないというか。

「する」ことにばかり気をとられて、せっかく気づいた穏やかさや安心をないがしろにしてるんですよね。なので「どうしたら良いのか」「何をしたら良いのか」という考え方をやめて、「どう在るか」「どう在りたいのか」に目を向けてみる、見方を変えてみたらどうかなーと思いました。

>>520

えっと。「何もない」んじゃなくて「全てがある」んです。
全てがまずあって、だから意図すればそれはもうあるんだよってことです。
全てがある中で「意図した現実がある」というのと、「意図した現実しかない」というのとでは全然違う感じですよね。

「全ては調和して存在する」という前提があるからこそ意図すればそれを経験できるわけで、「意図」が前提で世界があるわけではないのです。
ということは、「意図」も全てある源泉から「出てきたもの」ってことですよね。
源泉だけが真実でそこからの産物は幻想という定義では「意図」も幻想、エゴなのです。



にほんブログ村 哲学・思想ブログ 潜在意識へ   人気ブログランキングへ