189 :もぎりの名無しさん:2011/03/26() 06:53:57 ID:z1bIhcPY0


>もともと願望とかあまりなかったから、欲しかったものが手に入った!!みたいなのはないんだけど、何か勝手に世界が動いてくれるっていう感じ。

自己観察さんは一月前にこう書いてらっしゃいましたよね
捻くれものの自分は「何で願望とかあんまりない人がこんな板来てんだよ!」って思ってたんですが、実際に「願望=実現」を体験されてるんでしょうか?
意地悪な質問だとは思うんですがやっぱり、そこ、大事だから聞きたいのです。

200 :もぎりの名無しさん:2011/03/26() 12:14:17 ID:psg5Ebes0


私は長い間ずっと「お金や時間に制限されずに行きたいとこに行けてやりたいことをやれて・・・」みたいな、自由でどんどん展開していくような人生を体験したいと思っていたのでそのためには認識変更しなくちゃ!と思っていたのです。

今は人生の質そのものが変わってしまったので「願望=実現ってこういうことか」と思うような、願うより先にもう手にしていたり、なかったはずのものがあったり、願うほどもないけど「いいな~」と思っていたものを突然プレゼントされたりと軽くミラクルです。

元々「したい」とか「欲しい」とか欲求が強い方ではなく「引き寄せ」をするには願望を持たなくちゃいけないと思っていたので、そのことの方がしんどかったんですが、願望って単純に自分が瞬間瞬間ワクワクすることを選択していくことなんではないかと今は思っています。
だから今は単純に自分がその時に惹かれる選択肢を選べているので「願望=実現」だと思っています。 


201 :もぎりの名無しさん:2011/03/26() 12:41:35 ID:bjP9mwmM0


別の領域って「エゴとは」別の領域だから、エゴに気が付いている時(つまり自己観察している時とか)別の領域にいるんですよね?
ここまではざわついた心が落ち着いているな~と実感できるのですが「別の領域に浸る」がいまいち分かりません(実践できてるの?となる)。
人それぞれとは思いますが、「別の領域に浸る」について詳しい説明をお願いします。


223 :もぎりの名無しさん:2011/03/26() 20:45:00 ID:psg5Ebes0


「別の領域」に対して期待を持ちすぎると「実践できてるの?」と疑ってしまうんだと思うんですが、これは私の今までの表現の仕方も悪かったなと思っています。

普段の性格とか状況、その時の心理状態によって「エゴ」と「別の領域」のギャップが大きかったりなだらかだったりすると思うし、エゴの反応が分かりやすい人ほど明確な感覚があるかもしれない。逆に穏やか過ぎて物足りなく感じることもあるかも知れないですが、分かりにくい感覚だからといってダメなわけじゃないです。
私自身も最初はただ心地良く穏やかでいるくらいのもので、それがいつの間にか確信(というか定着?)できるようになってからこの穏やかさが愛なんだなーと気づいて、そこから感覚が開けていったような気がします。本当に自然に。

そもそも「別の領域」って特別な体感をする場所じゃなくて、本来の自分で在る場所、自分の「今」と繋がることなので、他人の体感を指針にして特別な体感を探そうとしたり自分の感覚を疑ったりするのは、別の領域=自分の「今」を見失うことになります。
別の領域は無限の領域なので感じ方も無限にあります。
一言で「愛」と言ってもそこには無限の広がりがあると思うし、だからその時々で感じてることが真実なのです。
最初からいきなり深い感覚を感じる人もいるだろうし、その体感を聞くと羨ましいとか思うだろうけど、そうやって自分で在るというシンプルなことを複雑にして難しくしてるだけなのです。
自分なりに感じてる「今」の感覚を信頼することの方がずっと大切です。

単純にホッとして心地良くある自分を感じてみたり、とりあえず自分の内側にある静かな空間を感じてみるか~くらいの軽い気持ちで良いんじゃないかと思います。
瞑想というほどかしこまったこともなく、姿勢とか呼吸とかのこだわりもないです。
例えばマッサージに行ったりお風呂に入ったりすると気持ち良いけど、気持ち良くなるために何かをしなくちゃいけないという条件を作ったら、お風呂なんていつでも入るわけにいかないし。
ただ自分であれば良いだけなんです。自分自身のまま満たされて下さい。
いつでもどこでも一瞬だけでも出来ることだと思います。
何かを求めて判断したりするんじゃなく「適当で良いや」という単純さ、ユルイ感じこそが別の領域の属性です。


206 :もぎりの名無しさん:2011/03/26() 14:53:43 ID:TB9j7z/o0


自分ではそのストッパーが分からないんです。問い掛けても答えが中々分かりません。
でも分からないなら別の領域を感じた方がより答え?に近づけるかも知れませんね。
別の領域に浸るはメソじゃないのも良く分かります。108さんも別の領域を感じるのは叶える為のツールじゃない、目的そのものだよと言ってましたものね。


>>206


観念が分からないなら探さずに別の領域に直結が良いですね!
その願望とは直接関係ないような、でも自分を楽しくする選択を積み重ねていくと人生そのものが信頼できるようになるので、その観念が分かるようになるかも知れないし、分からないまま消えていっていつの間にか叶ってしまうかも知れないですね。
とりあえず今をゆる~く楽しむことが一番です!


209 1622011/03/26() 16:06:02 ID:NaQmnfdU0


>それと並行して、「別の領域」に浸って、別の領域を十分に信頼すること。

ここで言う「並行して」という感覚が分からないです。
簡単にまとめると「観察者の視点に立つ」=「今」を感じている=「別の領域」を知覚していることになる、だからその状態を維持する・積極的に感じてみるということが「別の領域」に浸るという意味だと思ったのですが、いかがでしょうか?

224 :もぎりの名無しさん:2011/03/26() 21:02:58 ID:psg5Ebes0


>>173の①の通り、本来の在り方として別の領域への信頼は大前提です。

その状態にあれば、そもそも「観察しよう」とか「維持しよう」とする必要はないんです。
だから別の領域に浸ってみて即信頼できて、その状態に在ることが出来るならそれだけで良いし、また観察してるだけでその状態になれるならもちろんそれだけで十分です。
説明上「観察すること」と「別の領域に浸る」ことを別々のこととして説明していますが、実際は同じことを分けて書いてるだけです。
摂氏0度を融点と見るか氷点と見るか。氷から見るか水から見るかの違いを説明してるようなものです。

「並行して」というのは、私はその方が楽に信頼できるんじゃないかと思ったからそう書きましたが、他人の一意見として参考にするだけにして自分に合ったやり方を見つければ良いだけなのです。

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 潜在意識へ   人気ブログランキングへ