688-691 :もぎりの名無しさん:2011/03/16() 15:45:09 ID:psg5Ebes0


以前から何度か「既にある」について聞かれていたのですが、説明が難しくて面倒臭いということとw、結局理屈を知っていても実感しないことに意味はないと思っているのでどうしようかなーと思っていたんですが、最近のスレの流れで「どういう思考でいるかが現実になる」ということに色んな意見があるのを見ていて、私の認識で「既にある」を理屈で書いてみることにしました。

説明が分かりにくいのと、私の認識なので結論は「別の領域を信頼するしかない」ということになっています。なので「既にある」が理屈で分かっても認識が変わるわけではありません。

「認識が変更した人」の言葉はあまりにも謎めいて聞こえるのでwそこで翻弄されているとある意味がっかりする内容かもしれません。なので興味がない方はスルー推奨です。


              黄色い花


別の領域では「無であり全て」と書きました。「ない」と同時に「ある」が矛盾なく存在します。全ての潜在的可能性が、生じることも滅することもなく遍在しています。
「欲しい(ない)」と思ったと同時に「ある」ので「願望=実現」です。

そしてこの現象の世界では「ない」と「ある」は対立します。分かりにくい説明ですが


 まずひとつの点が存在する(ないと同時にある)
        ↓
 その点を引き伸ばして一本の線が出来た時、「ない」と「ある」の相対する極が生まれた

ここでは「ない」と同時に「ある」が成立しないので、二極を結ぶ線のプロセス(「ない」→「ある」)になります。
「ある」を体験するには、「ない」と認定することで「手に入れる」プロセスを経る必要があります。
ということは「ある」ことが前提でないと、「ない」という認定自体がが出来ないことになります。

私たちが現状を見て「ない」と思うのは、「ある」が真実だからその真実を否定している「ない」を認識出来るのであって、本当に存在しないものは「ない」という自覚すら出来ないのです。

現実世界は、別の領域での自分の内部表現が、肉体を通して目の前にそのまま投影されて展開されているのですが、遍在する可能性の中から欲しいものや状況を形作った時(こういうものが欲しいと思った時)目の前の空間にそれは実際にあるはずなのです。


具体的に書いてみます。

何かを欲した時、例えば「優しくて2~3歳上のイケメン彼氏が欲しい」みたいな実際には存在を確認できていないものを欲する場合と、既に存在はするけれど他人の所有物だったり、お店で売ってはいるけれど金額的に手に入れるのが難しいと感じるものだったり、供給数が少なすぎて手に入れることが困難なように思えるものだったり・・・と色んなケースがあると思います。

これを「ないと同時にある」という話からすると、どんな願望であれ「欲しい」という意識が私の中で生まれた時、既にそれらは実現されている(願望も実現も投影されている)ということです。実際に優しくて2~3歳上のイケメン彼氏と付き合ってるし、欲しいと思った物や人、状況は全て自分のものになっています。


それらの場合の「まだ現れていない」「他人の所有物だ」「お金がないので手に入れられない」「数が少ないので手に入れるのは困難」などの、それが実現していないように見える理由は全て、「既にある」ものを「ない」と認定するために幻想を見ているだけということになります。

チケット7章でのパンの話を思い出して欲しいんですが、既に自分のパンとして目の前にあるのに「自分のものではない」と認定して「手に入れる」ために何かをしなくてはいけないと思い込んで現実を見ているので、「他人のもの」「手に入れるのが困難」な現象として目の前に展開しているのです。

ではこの「ない」という認定をどうすれば良いのかということになるんですが、この現象世界ではこの「既にある」が瞬時に自分のものとして起こることは通常ほとんどありません。

この現実世界で生きるための基本ルールとして選んでるフィルターがあります。
肉体があって椅子に座って机やキーボードを触れたり画面の文字が読めているのも、そういった地球的な物理法則を採用しているから出来ることですが、実際にはただの電気信号をそのように脳で処理しているだけのことです。

このフィルターは自己防衛本能に大きく関わっているので、「既にある」が「ない」ようにしか見えないのは当然のことです。
例えば「ケーキが食べたい」と思った瞬間、空間からケーキが出現したり、見知らぬ人からプレゼントされたりしたとしてすんなり受け取ることは難しいと思うし、出所不明なケーキを口に入れるのも勇気がいると思います。
ちょっと思いついただけのことが時系列を無視してすぐに実現すると、人間として生きる上でかなり支障があると思います。

なので欲しいものが出現した時に、空中から突然物質化するのを目撃することは殆どないと思います。たいていは時間や所有という概念を使って、観念が受け入れやすい自然な形で現れます。
「自分のものではなかったが手に入った」とか「いつの間にか自分のものになっていた」という形です。


「既にある」を実感できるようになると、「自分のものではない」として見えてる現実が、本当は自分のものであるけれど現実という2元世界での便宜上他人のものなり入手困難なものとして現れてるだけだということが分かっているので、渇望するということが出来なくなります。

当然ですが、他人のものを勝手に自分のものだと思い込んで満足しているだけだとしたら、思い込みの激しいイタイ人なだけですw
そうではなく、実際に客観的事実として自分のものになるということです。
ただ、自分のものになるまでに、2元世界の性質上必要なプロセスがあるけれど、放っておけば自分のものとしてやってくるのが当たり前なので、何もする必要がないことが分かっているのです。

私たちは今までこの現象世界しか認識できていなかったので、「便宜上、自分のものではない状況」として現れているだけなのに、その現象を固定された状況で変えることは難しい事実だというように捉えてしまっていて、「ない」ということがものすごく苦しく感じるし、手に入れるために色んなことをしなければならないと思い込んでいます。
そして手に入れようと試行錯誤することで余計に事態をややこしくしてるだけなのです。

認識が変更されると、同じ現象を見ても違うように見えるというのはこういうことです。
「他人のもの」として見える現実が、ただの途中経過に過ぎないと見えるのか、他人から何とかして自分のものにするために何かをしなくてはいけないように見えるかの違いです。

そういう意味で、起きている現実に対してどう捉えるかがこの先に起こることを変えていくというのは本当のことです。
ただそれは、ポジティブに捉えていれば叶わなくても満足できるでしょ的な精神論ではありません。それで心底安心して満足できるなら良いのですが、そうでない場合は蓋になることもあります。

なので、別の領域に浸って信頼を高めることで認識を変えた方が楽だし間違いにくいと思いました。別の領域が主体の時はわざわざポジティブを心がけて思考の調整をしなくてもそのようにしか思えないということです。

「既にある」が分かるまで「既にある」を適用できないという観念を持ってる方が多いと思うんですが、ある事にこだわりすぎるとないという否定が強くなってしまうので、分からないけど既にあるを適用してみよう、既にあるとして世の中を見てみよう。こう思うことで理解しようとする思考のループを切ることができます。

ですので私の話はそんなものか~くらいで良いので、自分自身の別の領域を信頼してみて下さい。

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