881 :幸せな名無しさん:2010/12/09() 08:14:29 ID:nDG3U3So0


今まで恋愛、仕事に関しては潜在意識で全部望みどおりにしてきました。

特に恋愛は気になった人全員に、後に告白されてきました(つきあったかどうかは別にして)。

だから潜在意識には絶対の信頼があります。

でも未だに「友人関係」でだけでは自分を巧くコントロールできません。

両親の仲が悪く、情緒不安定な母親に振り回されて育った小学校時代、学校で陰口を言われて我慢していた時の記憶がまだ残っているのか、今でも周りに人が集まってくれていても友達になれそうな素敵な人がいくらいても、「上手く行かないんじゃないか」「実際話したら退屈って思われるんじゃないか」「今は良くても、そろそろ嫌われ始める時期なんじゃないか(?意味不明ですよね。でも本当にそういう風に考えてしまうんです)」

と思って辛くなり、結局人と距離を置きがちになってしまいます。ぱっと見は社交家に見えるらしく、殆ど問題がないように思われていますが、本心は結構孤独です。皆の輪に屈託なく溶け込んで楽しめるようになりたいのです。

どんどん人と繋がっていこうねと自分に問いかけた時、まず出てきたのは「やだ!やだ!」という強い拒絶間(恐怖感を抱いた子供の時と同じ感じ)の身体感覚。
まるで前からガチッと肩をロックされてるみたいでした。

「何故?」と問いかけると以下のような理由が出てきました。


・人とかかわれるようになったら、自分の人生の根底ががらっと変わってしまうから
・今変わったら、「一人が一番だよね」って自分のために価値観を保持していた今までの私は無価値だということになってしまう
・人と会うのは面倒くさい(本を読んだり瞑想したりするための自分の時間を作れなくなる)
・関わった人に退屈って思われたらどうしよう→「素敵だな」と思った人にほど近づくのが怖い

自分なりに分析し、私は人から「認められたい」のだな、その欲求が強すぎて逆に「認められない可能性があるなら最初から人に関わらない方が良い」って思っているのかなという結論を出してみたのですが・・・


クレンジングなど試してみてはいるのですが、いまいち「コレだ!」という手ごたえを感じてはおらず、明確な突破口が見つからずにいます。こういう場合皆さんならどうしますか?特に447さん、もしこれをご覧になったら一言アドバイスいただけると嬉しいです。

得意なジャンルでは願望が冗談みたいにスムーズに叶うので(友人に「百発百中の上モテすぎてて感動する」と言わしめたくらい)、悩みの人間関係も何かを一個乗り越えればスパーンと暗雲が晴れるような気がしています。何とかここで決着をつけたいのものですが・・・。


38 4472010/12/19() 11:24:03 ID:n.B9vT2c0


潜在意識に絶対の信頼があるなら友人関係も同じようにすればいいですよ。
それで上手く行かないからということでしょうが。


とりあえず友人が出来ない原因を、過去を振り返って両親や陰口を言われたことのせいにしないでね。ただもしそこに許せない感情が存在するなら、そこをポノポノやセドナって下さい。

で、きっと「友達がいなきゃいけない、人間関係が豊かじゃないといけない」って思ってるんでしょうね。

受け入れて下さい。それが愛であり立場に立つことです。そこから心地良いと思う状況を選択して下さい。


あなたの内面は人と繋がるのを嫌がってます。
別に人間関係薄くても良いじゃん。友達いなくても良いじゃん。一人で良いじゃん。
どうして人間関係を構築しなきゃいけないんでしょ?どうして一人でいることを認めてあげられないんでしょうか?


その認めてないのはエゴがしてます。そこに気付いて下さい。

何かをしようとしないで今の現状を丸々どうでもいいじゃんと受け入れられれば、今度は自分の望む恐怖のない人間関係を作れると思いますよ。

どちらでも良いというのは、自分が選択する前の状況に戻るってことです。


882 :幸せ名無しさん:2010/12/09() 09:17:12 ID:AS/vLoZE0


チケット7章の別領域と罪悪感&否定的観念の取り扱いについて。
書いてある内容は理解できましたが、完全に視点を別領域にシフトできたかというと自分にはできません。


そこである疑問が湧きました。
完全に別領域の視点にたつことが難しい中途半端な状態で108さんのメソッドを使った場合、以下のようなことは起こらないのか?ということです。

例えば

「罪悪感があろうとなかろうと、願望は叶えられる」

「否定的観念があろうとなかろうと、充分に幸せを感じていい」

という7章の概念を採用しつづけます。で、採用しつづけた結果、願望を受け取り始めます。

そうか、やはり自分は最初から持っていたのだな”

罪悪感があってもなくてもやっぱり関係なかったなぁ”

7章の概念がはっきりわかってきます。

ところが同時に

「願いが叶ったら不幸になるに違いない」

「お金をもったら不幸になる」という観念や恐怖も残っている状態だとします。

本人はこれが残っていることも知っていいますが、こちらの観念にアプローチして解放したりすることはすでに放棄したわけです。

7章の概念からすると、観念にアプローチするのは全くナンセンスですし、関係ないということになりますから)

すると願ったことは受け取れましたが、叶ったこと自体がトリガーとなって↑この観念も同時に作用して、アンラッキーな出来事を現象化したりすることはないのでしょうか?

つまりこれまでお金に関して否定的な観念をもってきた人が、否定的な観念をとろうと努力している間は願いは叶いませんが、叶わなかったから不幸にもなりませんでした。


ところが「観念があっても叶う」とし、実際に現象化してお金を手にすることでそれがトリガーとなって不幸のほうを現象化してしまう。結果的には、願いは叶わなかった方が幸せだった、ということが起こる可能性はないのでしょうか?

わたしは否定的概念をまだ持っていますし、罪悪感もあります。

これをとろうと色々なメソッドを使って努力してきましたが、その努力そのものが、すでにある幸せの通り道を塞いでいたと気づきました。

ところが7章の概念ですべてを手にしていると考えると怖くなります。

こんなに否定的な観念あるのに、叶っちゃうの、どうしよう手にしてしまって間違った観念が発動したら、叶うよりも叶わなかった方がよかったってならない?って恐怖をすごく感じます。

何か理解の仕方が間違ってのかな?ご指摘・アドバイスなどお待ちしております。


39 4472010/12/19() 11:42:22 ID:n.B9vT2c0


チケット板で回答済かもしれないけどとりあえず


>
「願いが叶ったら不幸になるに違いない」「お金をもったら不幸になる」

そう思ってたらそうなります。本来こういう物って信念に沿わないから弾かれてしまうんだよね。

だから信念には防御作用もある。
なかなか受け取れない物を無理矢理受け取ろうとすると、過剰ポテンシャルが発生って感じになるのでしょう。なので願望や自分を知るということが大切ですよ。

あと7章の概念で全てを手にしているってあるかも知れないけど、ただ可能性として存在してるだけだし受け取らなければいいんだから、そんなに恐れる必要ないですよ。

それに受け取れる物って人間は本来ポジティブなので、余計なことをしなければほとんど自分にとってプラスのものがやってきます。

まあそれが不幸になるかならないかという判断はエゴが下しているので、そこに気付けばそこまで恐れる必要はないです。

あとその否定的概念や罪悪感を無くそうとしないで。別に否定したって罪悪感感じたっていいんだから。何とかしようとしないでね。


40 4472010/12/19() 11:44:29 ID:n.B9vT2c0


>人はそれぞれ自分なりに納得する答えの出し方があるから。
>
だから447さんは自分を探れって言ってるんだよねー。
>
自分で問題が解けた時って爽快だもんね。

そうそう。まさにこんな感じです。目覚めてますねー。


にほんブログ村 哲学・思想ブログ 潜在意識へ   人気ブログランキングへ