カタカムナ文化からの引用

 現代科学が核力場を究明しえないのは、場=渦流という基本からはずれているからであって、核力場にかぎらず、電磁場、重力場など何一つ納得のいく説明が与えられていないのである。例えば地球は重力場と同様に反重力場を有しているし、太陽も同様である。電磁場も反電磁場を持ち核力場も反核力場を持っておりその作用が拮抗している中でのバランスのくずれが現象として表われてくるのである。核力に対する反核力は低気圧に対する高気圧の関係で逆に渦巻いている。電磁場に対する反電磁場は入力に対する逆起電力である。重力に対する反重力は逆数であらわされ膨張と収縮の加速度が反転したものである。別々の表現をかりたが同じ渦場として統一される。およそ存在は現象と潜象にわかれ、現象が正反で渦場を創成するときその背後で潜象が正反で渦巻いている。







現象が左旋性の収縮型渦流であれば潜象は右旋性の膨張型渦流である。そして渦流はその膨張と収縮の比率を極限律の値で持っており、現象は収縮の加速度が大きく、潜象は膨張の加速度が大きくなっている。それゆえ現象四と潜象四の総計八は存在の極限飽和状態で、カタカムナの「一二三の数えの意味合い」数理が物語る。電気とはそもそも渦流の膨張と収縮の過渡状態である。膨脹から収縮に転ずる過渡を負電気と称し、収縮から膨張に転ずる過渡を正電気と称する。身近な雷雨の現象を思い出してもらえれば幸いである。同時に磁気とパワーが発生しその角度や方向も重要である。このような視座よりすれば、化学の原子、人間の中の細胞、気象天体等々においてプラス性電気が中心に、マイナス性電気が周辺に位置するしくみが了解できるのである。




カタカムナで言う所の 場の捉え方 時間の捉え方 それらは、イマ=今 として 時 、所 がエネルギー帯で有り渦流と言う場所に 時と場所、言うエネルギーが現れたり消えたりしていると言う事を基本的に理解していないからである。つまり その人やその場所によっては、今の時間の長さや空間の距離が全く違うという事である。