車椅子歴60年
スーパーハイパーポジティブ車椅子おばあちゃんの
ルーツを探ってみました。
誤字脱字、読みにくい文章と思い込みや勝手な解釈
妄想、フィクションetcをどうかご勘弁ください。
初めての挑戦
ゆうかリ園での生活は勉強と治療や訓練の毎日でした。
看護婦さんや保母さんが生活のお世話をしてくださっていて、
学校での勉強はとても楽しく、
私はどんどん自信をつけていきました。
訓練はというと、つま先から胸まである鉄製のロボットのような「アバラート」という装具をつけて、歩く訓練が始まりました
「アバラート」をつけると、なめ猫のように無理やり立てますが、それで歩くとなると、とても重くて、前へ進むには
相当な腕の力が必要でした。
なので、腕の力をつけるために、腕立て伏せなどの訓練もしました。
ある日、その重たい「アパラート」をつけて、
廊下を歩く訓練をしていた時です。
「あ、あ、あ~!」
バランスを崩して倒れてしまったのです。
頭をなん針も縫う怪我をしました。
小学校3年生くらいの時です。
小学校3年生の私は、考えました。
「こんなことをして歩けても、なんの意味があるんだろう」
「ぜんぜん自由に動けないし」
「重たくて、苦しいし、カッコ悪いし」
「もういやだ!」
どうしたら歩く訓練をしなくてよくなるか、色々考えて、
担当のお医者様に訓練を止めさせてくれるようにお願いしよう、と思いました。
多分これが、私の人生での初めての挑戦になったと思います。
ところが、私の担当のお医者様は怖くて有名で、みんなは密かに「はっかい」(孫悟空に出てくる豚さんです)というあだ名で呼んでいたほどです。
なので、直接お願いするのはとてもじゃないけど恐ろしく、とうてい無理なことでした。
そこで、手紙を書くことにしました。
手紙なら、怖い先生と面と向かうことはありません。
「先生へ、私は歩けなくてもいいので、車椅子の練習をさせてください。もうアバラートを着けて歩く訓練をするのは嫌です」
というような感じだったと思います
夏休みに入る直前に手紙を出しました
夏休みは家に帰れるので、先生に合わずに済みます。
家に帰れることは、とっても楽しみでした
すると、夏休みのある日、その怖い先生から、家あてにお返事をいただきました。
お手紙には、とても優しい言葉で
「あなたの気持ちはよくわかりました、
それならこれからは、歩く訓練はやめて、車椅子の練習をしましょう」
と書いてありました。
あまりにも優しく書いてあったので驚きましたが
「ちゃんと言えばわかってもらえるんだ」という経験を
この時初めてしたのではないかと思います。
夏休みが終わり、園へ戻ると、もう歩く訓練はしなくてよくなりました。
あの重たい、カッコ悪い、苦しい「アパラート」とは
おさらばです。
そして、車椅子でスイスイ動ける自由を手に入れて、
私は小学校五年生になりました。