なかなか更新が進まない…(自分のせい)
入院して治療を開始することになりましたが、母の場合、原発が盲腸だけど、治療としては大腸がんの治療方針でいくこととなり、抗がん剤はFOLFOX療法となりました。
これに遺伝子検査の結果次第で、アバスチンにするかアービタックスにするかを決める、とのことだったのですが、その結果が出るまで時間がかかるので、取り急ぎFOLFOXのみ投与することになりました。
投与されてからも一向に熱は下がることもなく、母はしんどそうに寝ていました。入院したら退屈かもしれない、と本なども持っていっていましたが、本を読むどころかテレビを見るものしんどかったようです。
ちなみにこの頃、午前中から父が病院に行き母に付き添い、私は仕事を終えた夕方に病院に行き、父と交代して病院にいられるギリギリの時間まで母に付き添っていました。
食事もあまり欲しがらず、とりあえず腸にいいだろうと思って(発想が安易)取寄せたヤクルト400を飲んでいました。
そんなある日の夜、しんどそうにしている母に
「どんな?」と聞いたら「しんどい」「もう無理」というので、おかしいな?と思っていた翌日の午前、勤務中の私の携帯に病院から電話がかかってきました。
「大事なお話があるので泌尿器科に来てもらいたいのですが、今から来れますか?」
その内容に、私は動揺してしまい、泌尿器科ってどういうこと?なにごと?病院からの呼び出しってろくな話じゃないよね?と頭の中でぐるぐる思いながら、すぐ来てくれそうな義姉1号を召喚、2人で病院へ向かいました。
泌尿器科で言われたことは、
「転移したがんが膀胱をふさいでいて、排尿できなくなっており、水腎症になっている。尿管ステントを挿入しないと命にかかわるのだが、がんのふさぎ具合によってはステントが入らないかもしれないので、そうなった場合、排尿できなければあと2~3日の命になります」
というものでした。
家族からしてみれば青天の霹靂とはまさにこのこと、入院直後のCTでは膀胱をふさぐようなところに転移はみられなかったはず、入院してからまだ2週間程度なのに、どういうこと?
腎臓に穴を明けて排尿させるには外科との相談となる、予後が予後だけに…みたいなことを泌尿器科の先生はそうおっしゃいました。
予後ってどういうこと?ていうかステント入らなかったら2~3日て?
と突然突き付けられた命の仮期限に涙は止まらないし、頭が完全にパニックになりました。
それでも方向性を決めなければいけないので、ステントのデメリットを一応聞いて、それでもそれをやらなければ死んでしまう、そんなことはさせらないので同意書を書き、その日の午後にステントを挿入する処置が行われました。
幸い、まだがんが転移したてで比較的柔らかい??ためステントは挿入できるだろうという外科の主治医の見立て通り、ステントは挿入され、母一命をとりとめました。
処置が始まる前、当時博多で単身赴任していた長兄と四国から次兄も来ました。
そして主治医に、子宮辺りに転移したがんが瞬く間にこぶし大の大きさに成長して、それが膀胱をふさいでいた、思った以上にがんの進行が速い。熱が下がらなかったのも、がんが増殖していたからと予想され、FOLFOXをしたのはまだ1回だけだけど、あまり効き目がないかもしれないので、このまま容体が落ち着いたら分子標的薬を投与します、という説明を受けました。
処置が済んだ母は穏やかな顔で横になっていました。
その顔を見たら泣きそうになったけど、私は涙もろいのですが、母が病気なってから一番泣きたいのは母だろうから、私が泣いたら母が泣けなくなると思っていて、絶対泣かないと決めていました。だから我慢しながら、びっくりしたねと話しかけたら、母が「あんたも泣いてもええんよ」と言うので、なんとか笑ってごまかしました。
その後、母の容体は落ち着いたので、2回目の抗がん剤が開始されることになりました。分子標的薬はアービタックスです。
これが一時的ですが、比較的よい結果を出してくれたのです。
長くなったので今日はここまでにします。