今日(14日)、『ジェネジャン スペシャル』 を

終わりの方だけですが見ることができました。

奥山さんとは実際に会ったことはないですが、

僕にとても大切なことについて考えさせてくれる人です。


もし、奥山さんのこと知らなければ、

http://www.publiday.com/blog/adrift/

で。


ぼくだけでなく、日本中、そしていまや世界中の人に

大切なことを考えさせ、気付かせ、そして思い出させてくれている人ですね。



奥山さんは、

ガンで余命2年の宣告を受けました。

「死ぬことよりも、自分が忘れ去られることが、怖い」

そして、小説を書きました。『Vanishing Point』

(こればっかりは自分で探してみて下さい)

世に出てほんの数日で、この世を去ってしまいました。

訃報を聞き、僕の頭も心も空虚感でいっぱいになりました。

去年の春のことです。




何でも、

裏側のことが感じられなければ、本当にそのことを

感じることはできないのでは?



「冷たさ」を知らないと、「あったかさ」をあったかいと感じられない。



「優しさ」だって、悲しみや辛い気持ちを知っている人と知らない人とでは

その感じ方は違う。



これは、「生きる」にも、あてはまるのかも。

死を感じずに生きていて、本当に生きていると言えるのか?

死ぬことは、生きてる間に体験することは出来ないけど、

死を「感じる」ことは、できる。



奥山さんは余命宣告を受けた。

シエラレオネに住む人は、平均寿命35才。

縄文時代の人だって、死は毎日リアルに感じていたはず。

彼らは生き盛りの若いときに、近い将来に自分の死をリアルに意識する。

残りの時間、身を削って必死に「生きる」。



僕を含めた日本人、

平和ボケしてる場合じゃない。

死を感じるのは、何も、自分の死である必要は無い。



見渡せば、死に直面している人がいっぱい生きている。