私が子供の頃はランドセルと言ったら、男の子は黒で女の子は赤が当たり前でした。
学年に1人くらい、ピンクのランドセルの子がいたかな。
すごく目立って、「あの子のランドセル、ピンクだよ」とか言われていたような気がする。
それから何十年か経ち、今はいろいろな色のランドセルが当たり前になりました。
男の子がエメラルドグリーンでも良いし、女の子が黒でも良い。
ピンク、水色、紫色、茶色、シルバーなどなど。
同じ赤でも濃さが微妙に違ったり。
そんな風にランドセルの多様性が当たり前になったのと同じように、性の多様性も当たり前な時代が来たら良いのにな。
と、充希の下校付き添い中にふと考えました。
亡くなってから、「あの人はこんな優しい人だった」「こんな気遣いが出来る人だった」とその人についていいことが書いてある記事が多いように思います。
生きている時にもっとそれがあれば、こんな結果にはならなかったんじゃないか、なんて。
亡くなってから評価されても、本人には何の意味もない。
生きている間じゃなきゃ。
なぜその決断をしたのか、本当のところは誰にもわからないけれど、誰でも罪を犯した訳でもない人が誹謗中傷を受けて良いはずがない。
それが直接の原因かはわからないし、憶測で物事を言うべきではないけれど、どれだけ心を痛めてきたのかと、今更ながら思う私も結局は何の意味もない。