今年の春休みのころ、おれは自分に対して自分の人生に対してめちゃくちゃ悩んでた

自分にはなにもできないとかやりたいことがないとか楽しめるものがないとかほんとに苦しい時期だった
だからバイトも友達からの遊びの誘いもサッカーもほとんど断って、自分のことについて考えてみた
それほど深い考えには至れていないかもしれないけど、結論は人とのつながりが幸せにつながるといったことだった
そんなとき雅樹さんと雄大さんに出会った
たしか4月のはじめだったかな?
最初は一緒にサッカーをしようということで、人との出会いに前向きになっていたおれは快くその場に足を運んだ
そしていろんな考えをお互いに話すようになってキリスト教について学んでみないかと勧められた
おれは宗教にたいしてオカルトのようなイメージを持っていたからあまり信じてはいなかったけど、新しい何かに触れてみたいとゆう興味から話を聞くようになった
聖書は最高の自己啓発本だと言われてからそうゆうものとして自分は利用していこうと思った
それからキリスト教を信じる多くの人に出会って、御言葉を聞いて、賛美歌を歌ったりもした
今ではそのすべてに感謝したい
この話が始まったのは4月で自分が何かを求めていた時期でもあり、バイトで愛美と愛ちゃんと仲良くなるきっかけになったのもその頃からだ
すべてがうまくいくようにできているんだ
と前向きになれたことに感謝する意味でも神様を感じたいと思うようになった
そして感謝した
今振り返るといろんな考え方を学び、バイトの仲間と仲良くなり、愛美とは付き合って楽しくやれている

これは神様が与えてくれたごほうびなのだろう
でもだんだんと御言葉に対する気持ちが薄れていってこのまま付き合いを続けても何かが得られる準備がないと思ったから、おれは1カ月前からキリスト教から離れてしまって今に至っている
おれは以前盲目的に信じることはよしとしなかった
たしかに宗教だけに関していっても、イスラエルではイスラム教徒とキリスト教徒が武力闘争を起こしていたりもして心が宗教に侵されているとか宗教なんて洗脳じゃないの?とか思っていた
今でもその考えは否定しないけどその話はおいといて、宗教を自己啓発に使う人の立場からすれば信じ込まなきゃ意味がない気がしてきた
神様を疑いながらキリスト教を続けてもそれは形式だけにすぎないし結局そのひとはキリスト教徒ではないんだ
宗教でもそう、自分でもそう、大切に思う人でもそうだと思うけど、
何かを信じきってこそ行動を起こせるし突っ走れるまた考えを改められる
おれにはその信じきることができなかった
でもこれからまた必要だと思えるときがきたら学んでいきたい
ただやっぱり自分が生きる目標だったり理想を追っていくことはやめずにどん欲に成長していく意欲は持っていたい
今まで学んだことをいかして幸せで充実した生活を送っていきます



自分にはなにもできないとかやりたいことがないとか楽しめるものがないとかほんとに苦しい時期だった

だからバイトも友達からの遊びの誘いもサッカーもほとんど断って、自分のことについて考えてみた

それほど深い考えには至れていないかもしれないけど、結論は人とのつながりが幸せにつながるといったことだった

そんなとき雅樹さんと雄大さんに出会った

たしか4月のはじめだったかな?
最初は一緒にサッカーをしようということで、人との出会いに前向きになっていたおれは快くその場に足を運んだ

そしていろんな考えをお互いに話すようになってキリスト教について学んでみないかと勧められた

おれは宗教にたいしてオカルトのようなイメージを持っていたからあまり信じてはいなかったけど、新しい何かに触れてみたいとゆう興味から話を聞くようになった

聖書は最高の自己啓発本だと言われてからそうゆうものとして自分は利用していこうと思った

それからキリスト教を信じる多くの人に出会って、御言葉を聞いて、賛美歌を歌ったりもした

今ではそのすべてに感謝したい

この話が始まったのは4月で自分が何かを求めていた時期でもあり、バイトで愛美と愛ちゃんと仲良くなるきっかけになったのもその頃からだ

すべてがうまくいくようにできているんだ

と前向きになれたことに感謝する意味でも神様を感じたいと思うようになった

そして感謝した

今振り返るといろんな考え方を学び、バイトの仲間と仲良くなり、愛美とは付き合って楽しくやれている


これは神様が与えてくれたごほうびなのだろう

でもだんだんと御言葉に対する気持ちが薄れていってこのまま付き合いを続けても何かが得られる準備がないと思ったから、おれは1カ月前からキリスト教から離れてしまって今に至っている

おれは以前盲目的に信じることはよしとしなかった

たしかに宗教だけに関していっても、イスラエルではイスラム教徒とキリスト教徒が武力闘争を起こしていたりもして心が宗教に侵されているとか宗教なんて洗脳じゃないの?とか思っていた

今でもその考えは否定しないけどその話はおいといて、宗教を自己啓発に使う人の立場からすれば信じ込まなきゃ意味がない気がしてきた

神様を疑いながらキリスト教を続けてもそれは形式だけにすぎないし結局そのひとはキリスト教徒ではないんだ

宗教でもそう、自分でもそう、大切に思う人でもそうだと思うけど、
何かを信じきってこそ行動を起こせるし突っ走れるまた考えを改められる

おれにはその信じきることができなかった

でもこれからまた必要だと思えるときがきたら学んでいきたい

ただやっぱり自分が生きる目標だったり理想を追っていくことはやめずにどん欲に成長していく意欲は持っていたい
今まで学んだことをいかして幸せで充実した生活を送っていきます



)の考えもできるようになったし、なにに対してもおおらかな気持ちで受け止められるようになれた
考えたことを行動に移すことだったり、否定的な考えをしてしまったり、苦手なことからにげてしまったり、怠惰だったり

相手を理解する→相手にとって大切なことを自分も大切に思う必要がある
小さなことを大切にする→日頃の気遣いが相手にとっては大きなこと
約束を守る→人は約束に基づいて期待を抱く、守れない約束はしない
期待を明確にする→お互いの相違点を直視し、双方が納得できる期待像を打ち出す勇気をもつ
誠実さを示す→現実を言葉に合わせる、そのためには統一された人格が必要
引き出しをしてしまったときは誠意をもって謝る→間違いは認める、ただし心のあり方の間違いを正当化しようとすることは最大の間違いだと自覚する