夏と冬の境目は線で区切られていたように、今年の秋は急にやってきました。僕にとってたくさんのことを含んでいた夏が、随分前のことのようで、
まるで僕だけが世界の流れから取り残されてしまったかのようです。
夏目漱石のこころを読みました。
自分のこころに正直な事、人のこころを受け止める事、自分のこころにあるものを伝える事。
何が善と悪なのか。
こころの有り様を考える事で、人とのあり方を考えました。
全てをさらけ出すことが怖くて大事な事は奥の方にしまっておきました。
何かを得ようとして求める事が、同時に何かを失う事と同じだと思って臆病な僕は、得る事を辞める代わりに失う事もなくなりました。
けれど、感情やこころは得る事と失う事という言葉だけでは説明出来ないものだと、最近気づきました。
得る事も失う事もないものはその時の輝きを持ち続ける事などできないのです。
気づいた時、そこにあるものは、以前得たかったもの、失いたく無かったものとは全く別のものに変わっているのです。
まるで僕らには見えない、人のこころを行き来できる小人のようなものたちが、少しずつそこにある輝きを奪っていくようにゆっくりと。
気づいた時には何を失ったのかも分からなくなっているのでしょう。
一度失われたものは二度と戻らないし、何を失ったのかに気づく事すら難しい事です。
それでもそこにあるものを囲い続ける事は愚かな事でしょうか。感情の残り香に惑わされているだけでしょうか。
どんな形であれ、人は生きていかなければなりません。
もう二度と失いたくはありません。
得る事と失う事は同義ではないのだと、信じたいです。何かを失った空白が流す涙が、地面を濡らし芽を生やし、花を咲かせるのだと。それは失う事でしょうか。
もし、それが失う事なのだとしたら、僕は進んで失い続ける必要があるのでしょう。
それが進むということ、生きていくという事なのでしょう。
とりあえず、僕はこころにある空白が何なのか、向かい合って考えなければなりません。
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