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結婚7年目にして待望の子ども。
本当に生まれてきてくれてありがとう!!!!!!!!!!!!!!!
妻と息子、よく頑張りました!
6月26日は妻と母の誕生日だったのですが、この日に検診に行ったところ、羊水が少し足りない状況との事で、予定日(6月30日)よりも早めに出産させた方が良いとの医師の判断で即入院。
そこから促進剤を打ちながらチャレンジ、再チャレンジをする事4日目。
前日に破水してから時間もかかっていたので、今日中に何とか産もうとの方針となり、最後は鉗子分娩(鉗子で引っ張り出す)になりました。
妻も私ももちろん初めての事で分からなかったのですが、医師や看護師の方々が総勢8名も部屋におり凄い緊迫感でした。
妻の血圧が高くなってしまい早く終わらせる必要があったのと、頭が出ると通常は直ぐにとり出せるそうですが、息子は肩がしっかりしていて引っかかってしまい、代わるがわる先生たちが息子をとりだそうと馳せ参じてくださいました。
そして産む準備は数日かかりましたが、取りかかってからは早く、15分くらいで終わり・・・17:04に3424gで元気に産まれました!
妻と息子頑張ったね!ありがとう!お疲れ様でした!
そして先生・看護師・助産師の方々、本当にありがとうございました!!
たくさんのお祝いメッセージ
こうして書いている間にも電話やLINEやSNS等、たくさんのお祝いメッセージをいただきありがとうございます。
たくさんの方が動いて、関わってくださり、また大変な思いをして産まれてきた事を思うと、生命って本当に凄いなとただただ感謝です!
奇跡!あなたも私も本当に尊い!
息子の名前は慎之助です
名前については本当に悩みました。名付けていただこうかとも思ったり、母や妻のお父様からもご提案いただいたり。
しかし、昔から私は今時の名前よりも読みやすい古風な名前が好きで3文字が良い!!と決めておりました。更に、漢字は別にしても「しんのすけ」が良いと2010年くらいから思っていたのもあり踏み切りました。
由来は「慎」がりっしんべんに「真」なので、真心で大切な人や自分自身の助けになるようにとの意味合いで名付けました。
最愛の父が亡くなったこと
私の人生の転機は19歳の時、最愛の父を亡くした事でした。
父はTHE昭和のお父さん。怒ると波平さんの「ばっかもーん!!」ばりの恐ろしさでしたが、とても子煩悩で弟と私を毎週どこかに連れて行ってくれました。厳しい中にも深い愛情がある人でした。
進学の際も、父は自分自身が学歴で苦労したので、大学に行って欲しいとの思いが強くあり、音楽の専門学校に行きたい私と何度もぶつかりましたが、最後は全力で応援してくれました。
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そんな専門学校の在学中、まだ何も返せていない中で父が亡くなりました。
父に何もできていない事に後悔し、この先どうやって生きていくのか葛藤しました。
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そんな中でも葬儀は進みます。弟もいる。母もいる。
これからは野本家の柱になるのだと決意し、銀髪だった髪を黒く染めて喪主を務めました。それからはずっと黒髪です。
どうやって恩返ししていくのか
父が亡くなってから半年後に卒業し、社会人となりましたが、父への恩返しをどうしていけば良いかが目下の人生のテーマとなりました。
数年かかりましたが、2つの誓いができました。
1つ目は、父が愛情をもって私を育ててくれたように、次代の人を育てていく事で恩返しをする。
それからどんな職業/どんな場所にいても、青少年や若手社員等の育成を第一として携わるようになりました。
そして、2つ目が自分自身も新しい家族をつくり、同じように子どもを愛し育てていくこと。
今日やっと20年の時を経て、2つ目の誓いの出発をすることができました。
今日は私がお父さんになった最初の日。
慎之助に誇れる生き方をしていけるように、より頑張ります!