1年振りの更新。網膜剥離からの復帰戦が決まりました。昔に遡りながらだらだらと書きます。 | 川尻達也オフィシャルブログ「筋肉日記」Powered by Ameba

1年振りの更新。網膜剥離からの復帰戦が決まりました。昔に遡りながらだらだらと書きます。

まずはMMAPLANETの記事を読んでほしい。

MMAPLANET

遡ること4年前。
この日の記憶は所々抜け落ちてて未だにあまり覚えてない。

2011年3月11日の震災からの一ヶ月。
テレビに写る凄惨な状況と目の前にあるいつもとは違う現実に落ち込み焦り、格闘技なんてやってる場合じゃないんじゃないか?毎日自問自答する中で練習を続け、自分自身じゃどうすることも出来ない無力さを隠しつつ勢いだけで試合に挑んだ。

結果は完敗。
世の中そんなに甘くない。

引退も頭をよぎったがたくさんの人に支えてもらい階級を下げ再スタート。



復帰後4連勝と幸先の良いスタートをきっていた2012年8月に発覚した左目の網膜剥離。

地元の大学病院で手術をするも2013年2月、2014年6月と二度の再発。
三度の網膜剥離。
流石に悟り、諦め引退を決意し妻に怪我の状況と引退を伝え、盟友である岩瀬さんにも会って引退の意思を伝えた。

そんな俺自身が諦めていた時、たった1人諦めないでいた人がいた。
10年間共に格闘技の酸いも甘いも経験してきたJBスポーツボクシングジム代表の山田さん。
「川尻くんちょっと待って。色々調べてみる。」と。

『山田さんもういいよ。もうダメなんだ。そっとしといてくれ。』
正直そんな心情だった。

そんな中、山田さんが深作眼科をみつけてくれた。

もし以前と同じ治療法だったら同じことの繰り返しになるだけだから辞めようと考えていた。
病院に行き深作院長先生に話を聞いてみると厳しいことも言われたが自分と同じ症状で現役を続けてる人はいるらしい。
そして深作眼科の治療法は自分が以前に受けた病院の治療とは全く違った。
悔やむのはなぜ最初から深作眼科に行かなかったのか。
無知で安易な自分を悔やむしかない。

それでも。
まだ現役を続けられる可能性があるなら懸けてみよう。
そう決意し2014年7月末に三度目の手術。
手術は無事成功。
2週間の下向き生活を経て9月の頭から練習復帰。
とは言っても振動がダメなのでエアロバイクから始めてゆっくりゆっくりと出来ることを増やしていった。
2014年中は新しい技術の習得とフィジカルを極限まで高めることを集中。
2015年年明けからプロ練習に復帰。

そして6/20UFCベルリン大会で地元ドイツのデニス・シヴァー相手に復帰戦が決まった。

川尻達也。もうすぐ37歳。
プロデビューして15年。
PRIDEに出て、10年か…。
その間日本の格闘技界を取り巻く環境はだいぶ変わった。
でも俺は。
悩みながら、紆余曲折しながらも10年前と変わらず格闘家として生きている。

6月20日。

俺の生き様を見てほしい。




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