モラトリアム

モラトリアム

「モラトリアム」―学生など社会に出て一人前の人間となる事を猶予されている状態―

現在理系の大学一年生ですが、どうもやりたいことが見つからず毎日だらだらと過ごしています。
自分の好きなことって何なんだろう。とブログをつづりながら考えていきたいと思います。

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かぐや姫の物語―高畑監督の14年ぶりの映画作品。


一昨日、映画館で大学の友人たちと観てきた。

端的に感想を述べると、今まで観てきたどの映画よりも余韻が深く残る作品。映画を観て涙を流したのは何年ぶりであろうか。

はじめの10分みたところでは、正直、引いた。作画も全部水彩画であるし、物語の進行も遅いので、どうもなじめなかった。


 ところが、物語の後半に差し掛かっていくにつれ、なぜかその独特の作画、独特の演出に意識が奪われていった。「鳥虫獣、草木花~♪」というこどもたちの歌が上映中何度も出てくるのだが、その歌や、こどもや赤ん坊の動く様は今でも脳裏に焼きついている。


 物語はいたって単純で、今まで教科書の古典で一度は見たことがあるであろう、竹取物語を基盤にしたものだ。かぐや姫が地球に生まれたわけや、月に帰らなければならなくなったわけが作中で新たに描写されている。この部分はぜひ劇場に足を運んで観ていただきたい。


 作品そのものについては実際に作品を観てほしいという思いが強いので、あまり触れないでおくが、自分なりにこの映画を観て感じたことがあるのだ、ということをここに書きとめておきたいと思う。


 「生きるとは何か?」「今を生きているのか?」「人生をもっとも輝かせるためには何が必要なのか?」映画を見終わった後に、このような疑問が頭に浮かび上がり、僕はその問いに対して熟考した。

 きっと人は、人生を終えるまさにその時に初めて自分の人生を総じて振り返ることができるんだ、すべてをつなげて考えることができるのだと思う。自分が自分の人生に後悔するとしたら、もう未来がないそのときであろう。

 今僕には未来がある。過去歩んできた道がどんなものであれ、残り60年あまりの道を歩む資格がある。どのような過程を経てどのような寄り道をしたにせよ、とにかく後悔だけはしたくない。

かぐや姫の場合"あのように"せざるを得なかった節があるが、環境に身を任せて主体的に動かず、本当に自分がしたかったことを見失い、"死んでしまう"そのときに初めて「こんな人生違った。」なんて思いたくはない。

 

 自分の本当に好きな事をして、本当に好きな場所をみつけ、本当に好きな人に出会い、「あぁ、生きていて、生まれてきて良かった。」と言って人生を終えられたらいいな。


 映画を観てこんなに安っぽい表現ができないほどいろいろなことを考えてしまった。映画って、伝える側の想いはひとつかもしれないけど、解釈する側はさまざまな解釈ができるし、それを自分の中に刻んでいくことができるから良い。

ぜひみなさんにも観てほしい。「かぐや姫の物語」


 

 

 


みなさん、林先生といったらピンときますよね。


以前、林先生がインタビュアーからのこのような質問を受けていました。


「先生はそんなに忙しくされていて、大丈夫なんですか?」


これに対して、


「忙しさは不連続だということは予め分かっているので、今頑張ればいいんですよ。ずっとこの忙しさっていうんなら無理ですけどね。数学的思考ができる人にはこういう時間軸が備わっているんですよ。」


つまり、時間が横軸で忙しさが縦軸のグラフが頭の中に出来上がっている、ということですね。


実に説得的な受け答えだと思います。たしかに忙しさがいつかなくなることが分かっていれば、あるいは、おおよそのイメージを頭に思い浮かべているのなら、今頑張るべきでなのか、そうでないのかの判断も容易ですね。


この、軸の設定という考え方、実は考えようと思えばさまざまな場面で登場してくるのです。


上の例の場合は


忙しさ

│―――――――――――――→時間 のような軸設定でした。




他のタイプの軸設定も見てみましょう。


例えば


「君、よくできるね」


大体このような言葉って、ほめ言葉として使われますよね。しかし、もう少し具体的にほめてもらいたいものです。しかしこの言葉を言った当人は何がよくできているのか、良く分かっていないことがあります。つまり、何と比べて良くできているのか意識していない場合が多いということです。

「よくできる」という言葉は何かと比較して初めて意味を成す言葉なのにおかしいですよね。


本当は頭の中では

できない←―――――――――――――→できる

というがあるはずなのですが、

きちんと意識していないのです。だから「できる」を具体化できないのです。

このがあれば、「できない」とはなんだろう。と必然的に考えるはずなのです。

ですから、


「君、人が気づかないところにいつも良く気がついてくれるね、今日も机の上整理してくれてありがとう、本当によくできるね。」


といった言葉が自然とでてくるのです。

この人にとっては、「できない」というのは「無意識のうちに机を汚くしていること」だったのですね。


あたりまえの存在;「比較対象」 に気付く上でも軸設定という考え方は重要ですね。これによって思考を深め具体化することもできます。




以上、軸を設定して物事を考えてみるということを見てみましたが、

これは思考力を高めていくための糧になるのでは、と勝手に期待しています。

日常会話などでもこの「思考の軸」が意識できたら良いですね。

話に具体性がでれば・・・


コミュニケーション力も上がるかもしれませんよ?(これは自分に向けてのメッセージです笑)













HAPPY NEW YEAR !!


おひさしぶりです。たっつーです。

サークル、バイト、勉強と日々相変わらずの毎日を過ごしております。


「どのような一年を過ごせたのか言葉にしてみる」

ということをfacebookなどでやっている人を見かけますが、そういうのも悪くないですよね。

自分が一年間でできたことっていうのを整理すると、次の一年間の見通しがよくなると思うのです。


というわけで、僕もやってみますか。

一年を振り返りたいと思います。


3月・・・大学の合格発表。合格後は、ひたすらゆっくりしていました。バイトを探し始めたのはこの頃でした。近所の塾に履歴書をもって面接を受けにいったら無事合格。何度か模擬授業をやった末、ようやく採用・・・。ところが提示された条件がネットに書いてあったものと異なり、あまりの自給の低さに落胆。即座に辞めることになりました。


4月・・・いよいよ大学生活のスタートです。特にこれやろう、と決めていたわけではなかったので、勧誘されるがままに、2つのサークルに加入しました。新聞部的なやつ(研究室訪問して記事にする)と、英語研究部的なやつです。受動的なサークル決定でしたが、今考えるとそれなりに良い所に入れたのではないかと思います。


5月・・・新聞のほうのサークルで、静岡に旅行へ。まだ人間関係などが固まっておらず、本当にこの頃は"透明"でした。でもなんだかんだで楽しんでた記憶があります。


6月・・・某大学で、物理のゼミに参加することに。ランダウ<力学>というそこそこ難しい本を、自分と掛け離れた頭脳の持ち主たちと一緒に、読んでいきました。参加したきっかけは高校のときに通っていた塾の人に話しかけれたことでした。やっぱりつながりは作っておくものです。(このときはたまたまでしたけどね。)


7月・・・新しいバイトをみつけました。これまた懲りずに塾講師を選びました。面接、試験を経てすぐに仕事が始まりましたが、なんと3ヶ月も研修があり、その間の自給900円笑。これでも3月のところよりマシだったのです。


8月・・・大学で初めての期末試験でした。あまり勉強せずともできてしまうものなのです。ここで調子に乗らなければ、後期に困ることにはならなかったのに。理系大学の前期ではほとんど高校生のときやったことのくり返しなのです。そんなこんなで前期修了。


9月・・・大学初の夏休み。ゼミも無事に終了。この時期は塾講師のバイトに明け暮れていました。夏期講習なるものが始まり、大量に代講(代わりに授業すること)を頼まれました。相当な時間こなしたと思います。


10月・・・夏休みも終わり、塾講師のバイトも板についてきました。2:1の個別指導なので、慣れるまで結構大変でしたね。研修が終わり自給は1000円に。この時期は高校のときの友人と会ったりする時間も作りました。京都で開かれた英語の弁論大会にも参加してきました。結果は芳しくありませんでしたが、ベストは尽くせたので非常に満足して帰ってきたのが記憶に新しいです。


11月・・・この時期は新聞サークルのほうで、締め切りが近くなってきていたため、担当する記事を書くことに追われていました。計画的にやったほうがいいですね、本当に。ただ、得られたこととしては、教授とのメールのやり取りの中で、目上の人への文章の書き方、構成の仕方等を学べたことですね。

    

12月・・・冬期講習期間なので、バイトが忙しくて死にそうになっていました。親との面談、冬期講習の日程組みといったことまでやらされました。(自ら望んでやっていたつもりなんですけど、途中からなんでこんなことやってるんだ、と疑問に思うようになりました。)


1月・・・年賀状は、大学で新しくできた友人からと、高校からの友人からと半分ずつくらい届きました。これから年賀状を毎年やりとりするような人はどのくらいの数残るんでしょうかね。そんなことを考えながら年を越しました。三社参りには、僕が持っている生徒の合格祈願をするために、神田明神、湯島天神にいきました。合格するといいな。


以上が僕の一年間です。

こうしてみると、やはり一年間でできることは本当に少ししかありませんね。



これから僕の課題になってくることは


「何に基づき、どのような選択をするのか。」


ということですね。やはりまだモラトリアムなんです。一年もあったのに結局まだ自分が定まってない。

サークルも、バイトも自分の意思がそこにあったはずなのに、なぜか今は受動的になっている気がする。


これからは「自分」を軸にして考えなければいけません。

一度しかない人生を棒に振りたくはないです。


とりあえず当面の目標としては今年度中に塾講師を辞めて、ほかのバイトに就くことを考えています。

塾講師をやっていると、自分のことをあまり考えなくなってしまうからです。現在9人もの生徒を持っていて、その子たちのことばかりを考えてしまいます。問題ですね。人数を減らすと、今のままの給料ではとても満足に大学生活を送っていくことができないので、今まで培ってきた「教える技術」を用いて、今年は自給の良い家庭教師をしようと思います。


これからは自分の時間をつくり、読書や勉強をすることで、自分の土台となるもの築こうと思います。


本当に後3年間(+4年間)で、自分がどうなっていくのか楽しみですね。(不安もありますけど。)


皆の今年に花咲きますように(もちろん自分も含めて、です笑)