私は別に
特別にダウン症を理解してもらおう
とはまったく思わない

本人や他の家族はわからないし
他の人の考えを否定するつもりもない



私には得意なことも苦手なこともある
どちらかと言うと極端に
しかもたくさんだ

得意なことは何かに役立てたいし
苦手なことは誰かに
サポートや協力してもらいながら
なんとかやっている

息子にだって
ものすごく得意なことや
ものすごく苦手なことがある

旦那にだってもちろん、山山山ほど

だから娘もあって当たり前で
そこで「ダウン症を理解してもらう」
とはどうしてもつながらないのだ
いまいちピンとこない



息子と娘を育てていて感じたこと
それは「大変な種類が違うだけ」
(正直、息子のが育てるの大変だよ、今も)
(旦那も付き合うの、もっと大変だよ)

大人になったって
息子も娘も一人で生きてはいけない
ただまわりの関わる人間は
それぞれ違うだろうとは思うけど

二人とも誰かに支え支えられながら
自分の人生を生きていくだろう

もちろん、私も旦那も、みんな
絶対に出来てる自信がある
しかもタイミング的に女の子

という状況だったので
ちょっと早めの妊娠検査を自宅でやった
ハッキリと線が見えた

でもあまりにも早すぎたので
少し日にちをおいて産婦人科に行った
結果は陽性、でも袋が見えなかった

「この週数で袋が見えないと、子宮外妊娠の可能性があります。それか双子で卵が小さすぎてまだ見えないのかも。数日後にまた来て下さい。」

いきなりのハプニングだった

子宮外妊娠だったら、妊娠は即終了
双子だったらどんな生活が始まるのか…
初めての検診からドキドキの連続だった

今思えば、お腹にいるときからずっと
ダウン症の娘はとても小さかったので
だから卵もめちゃくちゃ小さくて
きっと見えてなかったんだよね
…ていう笑い話



その時の診察室の壁に
「ダウン症が産まれる年齢の確率」
みたいな表があって
35才から矢印が急カーブして上がっていた
ものすごい急カーブだった記憶がある
「ふーん。35才過ぎると、ダウン症の確率ってこんなに上がるんだ」
と、他人事のようにながめて
違う意味でドキドキしながら
その日の診察は終わった



そんな私は、当時36才になったばかり
息子が年少で保育園に入ることができて
私に心穏やかな生活がやっと戻ってきた
初めて二人目が欲しいと思った

私「そろそろ息子に兄弟をつくってあげたい」
旦那「そうね(あっさり)」

私は生理が毎月ピッタリ来るタイプで
特に問題もなかったので
子供が出来る「この日」がだいたい分かった
ルナルナを使って
いつが排卵日でいつがタイミングで、とか
欲しいなと思ってから半年くらい
自分の体をよく観察して
体の調子が分かるようになった

あとは確率の問題
赤ちゃんが出来る確率は
1ヶ月で25%とどこかで読んだ
そして35歳で出来る確率は約1/10
(本当の情報かはさておき)

1ヶ月で25%、そのうちの1/10…
けっこう確率は低い

でも1年間で12ヶ月あるから
1年間トライすればできるのかも?
そんなことを考えていた


旦那とサイコロを2つ用意して
「両方1が出たら、赤ちゃん出来るのと同じくらいの確率かな?」
と言って2回サイコロをふった
2回とも両方1が出た

そのちょっと前、あるイベントで
任天堂のDSが450人の抽選で1人私が当たった

この環境
この状況
この気持ち
このタイミング

なんか今ならすぐに
赤ちゃん出来るような気がした

そしてホントにすぐ妊娠した