『というのは』 

 

 さて、いよいよ僕の儚く短い大学時代が幕を閉じるときが来た。日本人なら誰でも必ず小学生の頃に自分の夢や将来の目標など書かせられたことが一度あっただろうが、それは香港人の僕にとって喉から手が出るほど欲しかった作文テーマだった。どうしてかというと、日本語をまじめに勉強してからこういった将来の夢と題した作文の宿題は一回も設けられなかった。このまま学生時代の終焉を迎えると思いきや、いわゆるラスボスと闘う準備を整えなければならない最後のセメスターに、自分の将来の目標について十年後の自分に手紙を書いてくださいと先生に言われた。それは二月のまだ空気が澄んでいた頃とある日の話で、あっという間にもう五月だった。季節の変わり目は自律神経が乱れやすいせいか、晴れたり曇ったりじめじめしている香港の春の天気が到底気に食わないせいか、僕がこれから何をしていくかという質問を出された前では、がむしゃらに頑張って、必死に努力すると干からびた答えより、夢を見つけた経緯を振り返りながら夢を語っていきたいと思う。

 

 日本のいわばポップカルチャーとの出会いは、僕がまだ子供の頃の話である。一人っ子の僕の夏休みはいつも退屈だった。友達を誘って家に来てもらっても遊ぶものがあまりないから、いつも友達からの電話を待ちかけていた。いまだに鮮明に覚えているのは、友達の薄暗い小部屋のほとんどその部屋のあらゆる空間を占めている二段ベッドの下で、小学生男子らしい散らかった机の真ん中のモニターを見つめ、聞いたことのない心を奮い立たせるような、ポップな音楽と、なに言っているかさっぱりわからないことばと、イヤホン越しに聞こえるエアコンのポコポコ音の混沌たる音が、消したくても消せないような衝撃を覚えさせられた。それはいわゆるJ-POPと呼ばれる日本の流行歌だった。

 

 しかし、音楽を嗜むだけでは欲張りな僕を満足させられなかった。気に入った曲の歌詞を調べるたびに、見慣れのある漢字とピンと来ない漢字とともに、意味不明なふりがなとカタカナがいつも僕の好奇心を掻き立てていた。それから、今の時代の一人っ子の子供の相方だと言っても過言ではなかろう。インターネットを通して、日本に関するあらゆることを掘り下げようとした。まだ小学生だった僕が歌詞を見ながら単語を覚えたり、辿々しい日本語でどうしようもない日記を書いたり、ドラマや映画をはじめ、お笑い番組やバラエティ番組を毎日のように観たりしていた。何事に対しても三日坊主なのに中学校に入った途端、自ら日本語の授業を受けたいとお母さんにお願いして、気づいたらもう十年近く日本語の授業を受けてきた。

 

 卒業式を間近に控え、大人になりかけているところ、僕は子供の頃の初心を思い出した。様々な異文化のなかで、一体なぜ僕は日本語や日本の文化に惹きつけられたか、神様しか分かるまいが、せっかく日本語に対して誰にも負けない愛着が持っているという自信があるから、ライターにせよ記者にせよ、もし日本で自分が紡ぐことばを生かせる仕事ができたら幸せだと改めて思った。つまらない人だと思われがちであろうが、言語という地球において人類しか上手く操られないものがとても面白く感じており、日本語は僕の母語である広東語と似ている箇所があれば、香港人の第二言語である英語と似ている箇所もあるし、そもそも日本語の表現がとても豊富であるため、僕の脳内のあらゆる感想を細かく表現できるのは日本語しかないだろう。特に僕がまだ大学一年生だったとき、すなわちコロナ禍の始まりの頃、外出を控えていた僕は家に引きこもってひたすら日本の文学作品を読んでいた。徐々に僕は日本の文学作品しかない細やかな感性に惹きつけられ、広東語では適切な表現を見つからないほど些細な、複雑な、曖昧な気持ちを潔く表現してくれる日本語の研究に専念したいという衝動さえあった。

 

 外国人の僕には大学院で日本文学の研究を行うのは容易ではあるまいが、子供の頃から日本で勉強することを夢見ていたから、子供の自分の期待に応えるように頑張っていきたい。大学院を出たら、また様々な挑戦がたくさんかかってくると思うが、その暁には僕が自分の日本語にもっと自信が付くはずであろう。それから、研究者にせよ、ライターにせよ、勤めていてやりがいがあると感じつつも楽しいと思えばいいと、あらかじめに目標が達成しても背伸びするせいでストレスを抱えてしまう自分に言っておきたい。

 

 幸せという奥深い概念にぼやけたことばで定義をつけるのは難しいが、31歳になる前にはまず幼い頃なりたかった、日本語力を生かせる仕事に就く大人になれたら良いと思う。というのは、次々と出てくる目標に向けて前のめりに生きて、日本語が好きな気持ちや、日本と香港の架け橋になりたいという初心を忘れずに、僅かな力で社会になにかを貢献できたら、達成感と共に幸せを味わえるであろう。

 

 

 

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 おまけ

 

 タイトルをひらがなにしたのは、タイトルがひらがなだけの文学作品はタイトルに漢字が含まれている文学作品より圧倒的に少なく、ひとつだけの接続詞を用いてタイトルにするのが稀だと思います。それに、漢字県出身だからあえて漢字を使わずにひらがなだけでタイトルを綴りたい気持ちもありました。あとは、ただ主観的に「というのは」ということばの響きが気に入ったのと、ひらがなのまるまるとした無垢な雰囲気が好きだからです。それから、自分が31歳のときにこれを見てまだ「というのは」というシュールなタイトルをつける理由をはっきり覚えているのか試みたいというのもありました。