傍線一報216 学校で育むアナキズム | 自遊人のブログ

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学校で育むアナキズム/池田賢市 新泉社

p.99

 ・・・現在のわたしたちが、実は大きな誤解をしているかもしれないことがわかったのではないか。「個人」には固定的な実体がある、という誤解(あるいは錯覚)である。それを求めて「自分探しの旅」に出かけようとするのだが、むしろ、そのような実体はないのではないか。そのことは、わたしたちが、たくさんの関係の中で実際の生活を送っているという事実から導き出せる。いま、ここで、このようにして生きているこのわたしは固定的なものというわけではなく、どのような関係の中にいるかによって、常に変化する。人間は、まわりの環境でそのつど変化する。そういう性質をもつものとしてとらえたほうがよいのではないか。

 

「個人」というのは、不透明なガラス容器のようなもので、「自分」というのは、その容器に入っている色々な液体の混合物に例えられるのではないだろうか。

結晶化して取り出せる物ではない。