突然だけどね。
いや突然じゃねーか。
フラメンコギターはじめます。
むかーし昔、やってたんだよね。
ちょっとだけ。
で、最近ちょっと落ち着いてきて、再燃したんですわ。
ヤマハの買おうと思ってる。
沖仁さんが、いいってゆってたやつ。
初心者向けのやつだけどね。
フラメンコは初心者だかんね。
がんばろ。
ご飯好きです。
炊きたてより、ちょっと冷めたのがいい。
安けりゃもっといい。
というわけで、最近は九州うまか米です。
送料無料が嬉しいね。
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若い頃バンドをやっていた。
リッチーブラックモアがヒーローだった。
目立ちたくてしょうがなかった。
売れたくて売れたくて喘いだ。
実際、売れかけたバンドにもいたが、スタイルが合わなくなってクビになった。
その後は、いくつかのバンドを点々とした。
幸いな事にバンドへのお誘いは、いつもあった。断った事はない。
三十歳を前にしてバンドを辞めた。
一大決心などでなく、なんとなく辞めた。
未練も後悔もなかったが、やり切った充実感もまたなかった。
就職して、結婚し、離婚して再婚、子供も出来た。
四十をいくつか過ぎたある日。
昔、ライブハウスで共演していたバンドが再結成すると聞いた。
二十年近くも会ってなかった連中に会いにいった。
ライブはいい出来で、打ち上げは朝まで続いた。
太陽が登りきった帰り道、ベースの花ちゃんが言った。
「タツ、一緒にバンドやろうぜ」
「いいよ」
誘われて断った事はない。
二つ返事と言うほどではないが、引き受けた。
昔のようには弾けなかった。
それでもライブはやった。
出来はよくなかった。当然だ。
続けるとも、辞めるとも言わないまま、バンドは放置された。
そのまま10カ月が過ぎたある日、そのメールは来た。
「Mickey Finnが再結成するんだけど、ギターが仕事の関係で参加出来ないんだ。タツ、弾かない?」
ドラムの陽ちゃんからだった。
「いいよ」
当然、引き受けた。
陽ちゃんとは昔バンドをやっていた。GEILというバンドだ。
話が合ってよく飲んだ。
陽ちゃんもリッチーファンだ。
バンドメンバーというより、飲み友達といったほうがいいぐらいよく飲んだ。
二つ歳下だが、陽ちゃんの音楽についての知識は俺なんか足下にも及ばないほどに凄かった。
「これ、イイよ。聴いてみな」
そうして薦められたモノは、必ず良かった。
曲のアレンジでも、みんな陽ちゃんの意見を重用した。
「陽ちゃんがいいって言うから、これで決まりだな」
てな具合に。
陽ちゃんが首を縦に振らないモノは練り直しだ。
そんな陽ちゃんからお声がかかると言うのは実は光栄なことなのだ。
で、その陽ちゃんがGEILと並行してやっていたのが、Mickey Finn。
当時、何度か観たことはあったが、曲までは覚えてないので送ってもらうことにした。
数分後、メールに添付されてMickey Finnが当時リリースしたCDの音源が送られて来た。
「便利な時代だね。カセットテープを受け取るために、駅の改札で待ち合わせなくていいんだもんな」
そんな返信をしつつ、送られて来たデータをiTunesに入れて聴き始めた。
いい曲だ。
売れなかったのが不思議なぐらい。
Mickey Finnも星の数ほどいる売れ損ねたバンドのひとつだった。
売れ損ねたといっても、ライブをやれば必ず満員になり、その場を黄色い声援で満たしてしまうほどには人気があったのも知っている。
送ってもらったMickey Finnの音源を何度か聴いているうちに、その曲の良さに関心しつつも、自分とは全く違う前任者のギタースタイルに不安もよぎってきた。
これ、弾けるのか?俺?
しかし、そんな不安も陽ちゃんとまたバンドが出来るのだという嬉しさと、曲の良さが掻き消していった。
自分なりにやるしかない。
もちろん、曲の良さは殺さないように。
そう考えて安心した俺は、早くスタジオに入りたくてウズウズしてきた。まだ曲もろくに覚えていないくせに。
実を言うとその時の俺には、もうひとつづつ楽しみなことと、不安なことがあった。
楽しみな方は、ベースのしちべえも旧知の仲だということ。
GEILをやっている時に、陽ちゃんと二人とも大好きだったAC/DCのコピーバンドやろうぜ!と、相変わらずの酔った勢いで盛り上がり、そのバンドにDC/ACというふざけた名前をつけて、Mickey Finnのしちべえをベースで引っ張り込んだのだ。
そんなわけで、しちべえとはお遊びバンドだったが、一緒にステージにも立っている。
長身でスリム、ハンサムで寡黙という、見た目も性格も俺とは正反対のしちべえは、男の俺から見ても十二分に魅力的なナイスガイだ。
寡黙とはいっても、そうした印象を持たれる人特有の頑固さ(もちろん、いい意味で)もあり、自分の主張はちゃんとしてくるところにも好感を持っていた。
しちべえと一緒というのも楽しみだ。
さて、不安な方のもうひとつ。
それは、バンドの中心人物でヴォーカルのミッキーが未知の人物なのだ。
素晴らしいヴォーカリストなのは、CDを聴いてわかった。
詞もいい。
しかし、人柄が全くわからなかった。
なぜかミッキーとだけは接点がなかった。会話はおろか挨拶もした事がないぐらいだ。
そんな期待と不安を抱きつつ、バンドはスタートした。
全員Facebookをやっていた事で、ネット上でのコミュニケーションは容易だった。
リハーサルの予定や、どの曲を優先してやるかは、Facebook上で決めていった。
初めてのリハーサルは意外と早かった。
11月3日に再結成の話があって、15日が初リハーサル。二週間もない。
優先曲を決めてもらって、その五曲だけなんとかコードと曲の進行を拾った。それを自分にしか読めない楽譜に記して、なるようになれとスタジオに向かった。
ミッキーが現れた。そりゃそうか。
「あ、ミッキーさんですか? よろしくお願いします」
「こちらこそ」
ぎこちないとはこの事か。
とりあえず、リハは終わった。
たどたどしかったが、感触はよかった。
短期間でここまで覚えてくれて、ありがとう。と言われた。
初めてでここまでいけるとは思ってなかった、次が楽しみ。とも。
ミッキーは、いいヤツだった。
ホッとしたのか、そこから俺はスランプに陥った。
ギターソロが出来ない。
ギタリストの一番の見せ場であるソロが決まらない。
前任者と同じように弾けばいいのだが、技術的に難しかった。
俺なりに創るしかない。
しかし、その俺なりが出来なかったのだ。
トンネルの出口はなかなか見えず、見かねたしちべえが一緒にスタジオに入ろうと申し出てくれて二人でスタジオに入った事もあった。
陽ちゃんとも二人で入った。
「ダメなのは俺とタツだから、一緒に入ろう」と。
涙が出るほどありがたかったが、それでもまだソロのフレーズは降りてこなかった。
焦れば焦るほど、トンネルの出口は遠のいていく。
ミッキーもさすがに焦れて、ソロのフレーズを固めてくれと言ってきた。当然だ。
なんとか出来上がったのが1月の28日。ライブは二週間後に迫っていた。
フレーズは出来たものの、身体に入ってないそれはとても聴けたもんじゃなかった。
リハーサルは毎回録音して、聴き直しているが、自分でも恥ずかしくなるぐらい弾けてなかった。
練習するしかないのはわかってる。でも、それだけじゃダメなこともわかっていた。
リズムに乗れてなきゃダメなんだ。
ギターソロにばかり気持ちがいっていた俺に陽ちゃんのダメだしがきた。ついに。
「タツさー『欲望』のイントロでリズムがよれてるよ」
ハッとした。
自分では弾けてると思っていたところだった。
その部分を繰り返し練習し、矯正した。
すると、どうだ。
他の曲もギターソロも乗れてきたではないか!
陽ちゃんのダメだしのおかげで、やっと掴めたのだ。
復活ライブを三日後に控えた2月8日。
最後のリハーサル。
この後に及んでも未だ完璧とは言えないが、前回のリハでリズムを矯正したおかげで格段にノリがよくなった。やっとバンドの一員になれた気がした。
やるしかない。
2月11日、ライブ当日。
実はこの日もスタジオに入った。最後の悪あがきというヤツか(笑)
しかし、もうバンドには、諦めでも開き直りでもない、余裕の雰囲気が漂い、要所を確認するのみで予定時間をかなり残してリハーサルを終えた。
いよいよハコに入る。
弦を張り替える作業は本番への集中力を高めるための儀式のようなもので、バンドをはじめて以来ライブの時はハコに入ってからサウンドチェックが始まるまでの間に必ずやってきたことだ。
料理人が包丁を研ぐのに似ているなぁ、といつも思っていた。
サウンドチェックを終え、時間があるのでみんなで喫茶店へ行った。
陽ちゃんが食べきれなかったナポリタンが俺に回ってきた。
「もう開場時間だね」
「そろそろ行こうか」
最初のバンドが始まった。
俺たちの出番は次だ。
楽屋に入る。
緊張はない。
あと二曲で俺達の出番という時、ミッキーに向かって右手を差し出した。
そうしようと思っていたわけでなく、もうすぐ自分たちの出番だと思ったら自然に右手が出てしまったのだ。
「楽しもう」
あと二つの右手も自然に重なってきた。
しちべえと陽ちゃんのだ。
四人の右手はバレーボール部員のように重なり、バレーボール部員が試合前にやるような、かけ声の儀式をやった。
今までに沢山のバンドをやってきたけど、こんなことしたの初めてだな。
少し照れくさかったけど、その代償として素敵な高揚感が訪れた。
今思えばあの日のライブの出来はこの時点で決まっていたように思う。
例え演奏が上手く出来なくても、いいライブになるということが。
30分の演奏はあっという間に終わったが、その素敵な余韻は一晩たっても消えなかった。
翌日、ミッキーからメールが来た。
なんどもなんども読み還した。
電車の中で読み、帰る前に寄った居酒屋で読み、寝る前に布団の中で読み、起きてはまた読んだ。
まるで彼女からの手紙のように。
Mickey Finnをやってよかった。
リッチーブラックモアがヒーローだった。
目立ちたくてしょうがなかった。
売れたくて売れたくて喘いだ。
実際、売れかけたバンドにもいたが、スタイルが合わなくなってクビになった。
その後は、いくつかのバンドを点々とした。
幸いな事にバンドへのお誘いは、いつもあった。断った事はない。
三十歳を前にしてバンドを辞めた。
一大決心などでなく、なんとなく辞めた。
未練も後悔もなかったが、やり切った充実感もまたなかった。
就職して、結婚し、離婚して再婚、子供も出来た。
四十をいくつか過ぎたある日。
昔、ライブハウスで共演していたバンドが再結成すると聞いた。
二十年近くも会ってなかった連中に会いにいった。
ライブはいい出来で、打ち上げは朝まで続いた。
太陽が登りきった帰り道、ベースの花ちゃんが言った。
「タツ、一緒にバンドやろうぜ」
「いいよ」
誘われて断った事はない。
二つ返事と言うほどではないが、引き受けた。
昔のようには弾けなかった。
それでもライブはやった。
出来はよくなかった。当然だ。
続けるとも、辞めるとも言わないまま、バンドは放置された。
そのまま10カ月が過ぎたある日、そのメールは来た。
「Mickey Finnが再結成するんだけど、ギターが仕事の関係で参加出来ないんだ。タツ、弾かない?」
ドラムの陽ちゃんからだった。
「いいよ」
当然、引き受けた。
陽ちゃんとは昔バンドをやっていた。GEILというバンドだ。
話が合ってよく飲んだ。
陽ちゃんもリッチーファンだ。
バンドメンバーというより、飲み友達といったほうがいいぐらいよく飲んだ。
二つ歳下だが、陽ちゃんの音楽についての知識は俺なんか足下にも及ばないほどに凄かった。
「これ、イイよ。聴いてみな」
そうして薦められたモノは、必ず良かった。
曲のアレンジでも、みんな陽ちゃんの意見を重用した。
「陽ちゃんがいいって言うから、これで決まりだな」
てな具合に。
陽ちゃんが首を縦に振らないモノは練り直しだ。
そんな陽ちゃんからお声がかかると言うのは実は光栄なことなのだ。
で、その陽ちゃんがGEILと並行してやっていたのが、Mickey Finn。
当時、何度か観たことはあったが、曲までは覚えてないので送ってもらうことにした。
数分後、メールに添付されてMickey Finnが当時リリースしたCDの音源が送られて来た。
「便利な時代だね。カセットテープを受け取るために、駅の改札で待ち合わせなくていいんだもんな」
そんな返信をしつつ、送られて来たデータをiTunesに入れて聴き始めた。
いい曲だ。
売れなかったのが不思議なぐらい。
Mickey Finnも星の数ほどいる売れ損ねたバンドのひとつだった。
売れ損ねたといっても、ライブをやれば必ず満員になり、その場を黄色い声援で満たしてしまうほどには人気があったのも知っている。
送ってもらったMickey Finnの音源を何度か聴いているうちに、その曲の良さに関心しつつも、自分とは全く違う前任者のギタースタイルに不安もよぎってきた。
これ、弾けるのか?俺?
しかし、そんな不安も陽ちゃんとまたバンドが出来るのだという嬉しさと、曲の良さが掻き消していった。
自分なりにやるしかない。
もちろん、曲の良さは殺さないように。
そう考えて安心した俺は、早くスタジオに入りたくてウズウズしてきた。まだ曲もろくに覚えていないくせに。
実を言うとその時の俺には、もうひとつづつ楽しみなことと、不安なことがあった。
楽しみな方は、ベースのしちべえも旧知の仲だということ。
GEILをやっている時に、陽ちゃんと二人とも大好きだったAC/DCのコピーバンドやろうぜ!と、相変わらずの酔った勢いで盛り上がり、そのバンドにDC/ACというふざけた名前をつけて、Mickey Finnのしちべえをベースで引っ張り込んだのだ。
そんなわけで、しちべえとはお遊びバンドだったが、一緒にステージにも立っている。
長身でスリム、ハンサムで寡黙という、見た目も性格も俺とは正反対のしちべえは、男の俺から見ても十二分に魅力的なナイスガイだ。
寡黙とはいっても、そうした印象を持たれる人特有の頑固さ(もちろん、いい意味で)もあり、自分の主張はちゃんとしてくるところにも好感を持っていた。
しちべえと一緒というのも楽しみだ。
さて、不安な方のもうひとつ。
それは、バンドの中心人物でヴォーカルのミッキーが未知の人物なのだ。
素晴らしいヴォーカリストなのは、CDを聴いてわかった。
詞もいい。
しかし、人柄が全くわからなかった。
なぜかミッキーとだけは接点がなかった。会話はおろか挨拶もした事がないぐらいだ。
そんな期待と不安を抱きつつ、バンドはスタートした。
全員Facebookをやっていた事で、ネット上でのコミュニケーションは容易だった。
リハーサルの予定や、どの曲を優先してやるかは、Facebook上で決めていった。
初めてのリハーサルは意外と早かった。
11月3日に再結成の話があって、15日が初リハーサル。二週間もない。
優先曲を決めてもらって、その五曲だけなんとかコードと曲の進行を拾った。それを自分にしか読めない楽譜に記して、なるようになれとスタジオに向かった。
ミッキーが現れた。そりゃそうか。
「あ、ミッキーさんですか? よろしくお願いします」
「こちらこそ」
ぎこちないとはこの事か。
とりあえず、リハは終わった。
たどたどしかったが、感触はよかった。
短期間でここまで覚えてくれて、ありがとう。と言われた。
初めてでここまでいけるとは思ってなかった、次が楽しみ。とも。
ミッキーは、いいヤツだった。
ホッとしたのか、そこから俺はスランプに陥った。
ギターソロが出来ない。
ギタリストの一番の見せ場であるソロが決まらない。
前任者と同じように弾けばいいのだが、技術的に難しかった。
俺なりに創るしかない。
しかし、その俺なりが出来なかったのだ。
トンネルの出口はなかなか見えず、見かねたしちべえが一緒にスタジオに入ろうと申し出てくれて二人でスタジオに入った事もあった。
陽ちゃんとも二人で入った。
「ダメなのは俺とタツだから、一緒に入ろう」と。
涙が出るほどありがたかったが、それでもまだソロのフレーズは降りてこなかった。
焦れば焦るほど、トンネルの出口は遠のいていく。
ミッキーもさすがに焦れて、ソロのフレーズを固めてくれと言ってきた。当然だ。
なんとか出来上がったのが1月の28日。ライブは二週間後に迫っていた。
フレーズは出来たものの、身体に入ってないそれはとても聴けたもんじゃなかった。
リハーサルは毎回録音して、聴き直しているが、自分でも恥ずかしくなるぐらい弾けてなかった。
練習するしかないのはわかってる。でも、それだけじゃダメなこともわかっていた。
リズムに乗れてなきゃダメなんだ。
ギターソロにばかり気持ちがいっていた俺に陽ちゃんのダメだしがきた。ついに。
「タツさー『欲望』のイントロでリズムがよれてるよ」
ハッとした。
自分では弾けてると思っていたところだった。
その部分を繰り返し練習し、矯正した。
すると、どうだ。
他の曲もギターソロも乗れてきたではないか!
陽ちゃんのダメだしのおかげで、やっと掴めたのだ。
復活ライブを三日後に控えた2月8日。
最後のリハーサル。
この後に及んでも未だ完璧とは言えないが、前回のリハでリズムを矯正したおかげで格段にノリがよくなった。やっとバンドの一員になれた気がした。
やるしかない。
2月11日、ライブ当日。
実はこの日もスタジオに入った。最後の悪あがきというヤツか(笑)
しかし、もうバンドには、諦めでも開き直りでもない、余裕の雰囲気が漂い、要所を確認するのみで予定時間をかなり残してリハーサルを終えた。
いよいよハコに入る。
弦を張り替える作業は本番への集中力を高めるための儀式のようなもので、バンドをはじめて以来ライブの時はハコに入ってからサウンドチェックが始まるまでの間に必ずやってきたことだ。
料理人が包丁を研ぐのに似ているなぁ、といつも思っていた。
サウンドチェックを終え、時間があるのでみんなで喫茶店へ行った。
陽ちゃんが食べきれなかったナポリタンが俺に回ってきた。
「もう開場時間だね」
「そろそろ行こうか」
最初のバンドが始まった。
俺たちの出番は次だ。
楽屋に入る。
緊張はない。
あと二曲で俺達の出番という時、ミッキーに向かって右手を差し出した。
そうしようと思っていたわけでなく、もうすぐ自分たちの出番だと思ったら自然に右手が出てしまったのだ。
「楽しもう」
あと二つの右手も自然に重なってきた。
しちべえと陽ちゃんのだ。
四人の右手はバレーボール部員のように重なり、バレーボール部員が試合前にやるような、かけ声の儀式をやった。
今までに沢山のバンドをやってきたけど、こんなことしたの初めてだな。
少し照れくさかったけど、その代償として素敵な高揚感が訪れた。
今思えばあの日のライブの出来はこの時点で決まっていたように思う。
例え演奏が上手く出来なくても、いいライブになるということが。
30分の演奏はあっという間に終わったが、その素敵な余韻は一晩たっても消えなかった。
翌日、ミッキーからメールが来た。
なんどもなんども読み還した。
電車の中で読み、帰る前に寄った居酒屋で読み、寝る前に布団の中で読み、起きてはまた読んだ。
まるで彼女からの手紙のように。
Mickey Finnをやってよかった。
野球の基本はキャッチボールだ。
ボールを投げ、それを捕り、また投げる。
投げる側は、相手が捕りやすいように胸元をめがけて投げる努力をし、捕る側は相手のミスにならないよう、多少逸れてもそのボールを捕球する努力をする。
捕る側のモチベーションとしては、後逸した場合にボールを捕りに行く事の煩わしさや、華麗に捕球していいところを見せたいという欲求もあるかも知れない。
いずれにしても、自分に向かって来たボールをグラブに収める努力はするのだ。
お互いがそういう心持ちでキャッチボールに向き合うことで、信頼関係が芽生え、技術の向上を経て上位目的である野球へと繋がるのだ。
これは会話のキャッチボールにも、そのまま当てはめることが出来る。
話をする側は、相手が理解しやすいように努めて話し、聞く側は、それを理解しようと努める。
お互いがそういう心持ちで接することで、信頼関係が芽生え、コミュニケーション技術の向上を経て、より上位のコミュニティを形成していくのだ。
ね。
ここまでは、いいんだ。
ここまでは。
当たり前の話だからね。
その当たり前が出来ない人もいるってことは、四十うん年も生きてりゃ、わかってて当たり前。
しかしね、自分のコミュニティを広げてみるといるね、まだまだ未知の生物が。ウヨウヨいる。想定外ってヤツ。
正面にいる俺に向かって投げなきゃなんないのに、真横に投げておいて捕れない俺が悪いんだとさ。
そりゃ多少逸れたり、ワンバウンドしたりぐらいは捕るよ。
昔から守備範囲が広いと言われて来た俺だよ。
そういうヤツに限って、こっちが投げたボールは10センチずれても捕らないんだ。
さらにそのボールが肩に当たったと文句を言ってくる。
今度は構えたところに投げられない俺が悪いんだそうな。
いや、いるんだって、ホントに。
それって、野球以前、キャッチボール以前の、人としての問題でしょ?
もう、病気レベル。
野球なんかやってる場合じゃない。
またまた野球に戻るけど、技術がより高度になると、補給の後に投球モーションに入りやすいところをめがけて投げたりするね。
6-4-3のダブルプレーなんかのときにショートがセカンドの左肩をめがけて投げるアレだな。
(野球に詳しくない人ごめんなさい)
高度な技術とお互いの信頼感があれば、プレイヤーは伸び伸びとプレイが出来るよね。
そうそう、これは会話にも当てはまるってのはご想像通り。
20年来の友達ならどこに投げても捕ってくれるし、どこに投げてきたって捕れるんだよ。
相手が捕れる範囲をお互いがわかってるからね。
次に投げてくるところがわかってるから、先回りしたりしてね。
そしたら裏かかれたりしてな:笑。
それが、会話が弾むってやつだよ。
そんな高度な技術と信頼感に裏打ちされた華麗な(加齢か?w)プレイをしてるところに、いきなりルーキーが来て「それは、おかしい。ちゃんと基本に忠実にやるべきだ」って言われても、こっちは「はぁ?」ってなるわけじゃん。
出来るよ、基本に忠実にだって。
そこから発展させてプレイを楽しみ、観衆を沸かしてるわけだよ、こっちは。
まぁそんなヤツがいるんだわ、ネットの世界には。
「おい、新入り。キャッチボールが出来るようになってから来な」
ボールを投げ、それを捕り、また投げる。
投げる側は、相手が捕りやすいように胸元をめがけて投げる努力をし、捕る側は相手のミスにならないよう、多少逸れてもそのボールを捕球する努力をする。
捕る側のモチベーションとしては、後逸した場合にボールを捕りに行く事の煩わしさや、華麗に捕球していいところを見せたいという欲求もあるかも知れない。
いずれにしても、自分に向かって来たボールをグラブに収める努力はするのだ。
お互いがそういう心持ちでキャッチボールに向き合うことで、信頼関係が芽生え、技術の向上を経て上位目的である野球へと繋がるのだ。
これは会話のキャッチボールにも、そのまま当てはめることが出来る。
話をする側は、相手が理解しやすいように努めて話し、聞く側は、それを理解しようと努める。
お互いがそういう心持ちで接することで、信頼関係が芽生え、コミュニケーション技術の向上を経て、より上位のコミュニティを形成していくのだ。
ね。
ここまでは、いいんだ。
ここまでは。
当たり前の話だからね。
その当たり前が出来ない人もいるってことは、四十うん年も生きてりゃ、わかってて当たり前。
しかしね、自分のコミュニティを広げてみるといるね、まだまだ未知の生物が。ウヨウヨいる。想定外ってヤツ。
正面にいる俺に向かって投げなきゃなんないのに、真横に投げておいて捕れない俺が悪いんだとさ。
そりゃ多少逸れたり、ワンバウンドしたりぐらいは捕るよ。
昔から守備範囲が広いと言われて来た俺だよ。
そういうヤツに限って、こっちが投げたボールは10センチずれても捕らないんだ。
さらにそのボールが肩に当たったと文句を言ってくる。
今度は構えたところに投げられない俺が悪いんだそうな。
いや、いるんだって、ホントに。
それって、野球以前、キャッチボール以前の、人としての問題でしょ?
もう、病気レベル。
野球なんかやってる場合じゃない。
またまた野球に戻るけど、技術がより高度になると、補給の後に投球モーションに入りやすいところをめがけて投げたりするね。
6-4-3のダブルプレーなんかのときにショートがセカンドの左肩をめがけて投げるアレだな。
(野球に詳しくない人ごめんなさい)
高度な技術とお互いの信頼感があれば、プレイヤーは伸び伸びとプレイが出来るよね。
そうそう、これは会話にも当てはまるってのはご想像通り。
20年来の友達ならどこに投げても捕ってくれるし、どこに投げてきたって捕れるんだよ。
相手が捕れる範囲をお互いがわかってるからね。
次に投げてくるところがわかってるから、先回りしたりしてね。
そしたら裏かかれたりしてな:笑。
それが、会話が弾むってやつだよ。
そんな高度な技術と信頼感に裏打ちされた華麗な(加齢か?w)プレイをしてるところに、いきなりルーキーが来て「それは、おかしい。ちゃんと基本に忠実にやるべきだ」って言われても、こっちは「はぁ?」ってなるわけじゃん。
出来るよ、基本に忠実にだって。
そこから発展させてプレイを楽しみ、観衆を沸かしてるわけだよ、こっちは。
まぁそんなヤツがいるんだわ、ネットの世界には。
「おい、新入り。キャッチボールが出来るようになってから来な」