先日の大震災のとき出張にて栃木県におりました。
商談も大詰めのところで地震が発生し商談は中断にて工場だった為、建物から外に避難しました。
但し外部の人間である自分達が工場内に居ても何も出来ない為、商談先のバスにてJRの駅まで送って頂きました。
その際ローカル線の某駅前には何も無いので宿泊施設のある新幹線の停車駅までタクシーで移動し、タクシーのラジオで今回の地震の震度が6強と人生初めての経験の揺れだったことを知りました。
途中大谷石で出来た塀がボロボロに倒壊しているのを見ながら家族とコンタクトを取り家族の無事を確認後に
会社に自分達は無事とのメールをする事が出来ました。
携帯はこちらから発信は出来ない状態でしたが掛かってくる際にはつながる状況でしたね。
那須塩原の駅もコンクリートが剥がれ落ち、柱の鉄骨が?き出しで天井が崩落という惨憺たる有様で
ホームが崩れ落ちて線路の上に覆いかぶさってるのを見たときに今日中の復旧は無いと思い、コンビニにて
食料を確保して宿屋を探しました。
奇しくも前の月にニュージーランドの件もあった為、鉄筋コンクリートのホテルは避けようと同行の上司と話して
駅前にあった旅館『加納屋』さんの扉を叩きました。
停電中となっており夕食の用意も出来ないので一度は無理ですと断られたが、日帰り出張の予定で来ており
在来線の復帰も本日は無理そうだと説明。また食料は確保してあるので『素泊まり』で構いませんと交渉し
なんとか部屋を用意していただきました。
また雪もちらついている状況だった為、石油ストーブを女将さんが準備してくれ暖をとりながら真っ暗な(停電中)
部屋の中で湯のみでお湯割りを延々と飲んでいた所、これぐらいならと釜で炊いたおコメでおにぎりを用意してくださいました。
※自分達で用意してた焼酎一瓶が無くなったら女将さんの旦那さんの飲みかけ焼酎ボトルまで頂いちゃって!!
翌朝には通電しTV等も見ることが出来た為、大震災の凄さと海側でなかったことに安心しつつ現金の持ち合わせも少なかった為、宿泊料は後日振込みとさせて頂いたりと感謝しっぱなしの一晩でした。
そんな栃木方面への出張が再び訪れたので改めて御礼を申し上げたく。
本日訪問して参りました。
お父さんのお酒飲み尽くしちゃったので一升瓶で焼酎を携えて『こんにちは~』と。
3/11に無理を言って泊めて頂いた『たつお』ですと名のると女将さんはあらあらわざわざすみません~と
玄関先であの後どのように帰宅したかとか、今回一緒にこれなかった上司にも宜しくとご挨拶して帰宅。
『ご丁寧にありがとうございます。もう一人の方にも宜しくお伝え下さい』と涙ぐんで喜んでくださった女将さんが
印象的でした。
那須塩原駅は復旧工事には入っていたがまだまだ床とかに砂利があったりと復旧中。
街中では瓦屋根が崩れて今もブルーシートの架かった家が何件もあったが復旧に向けて活動してましたね。
もっと大変なところが有ることは重々承知してますがそれぞれがそれぞれに『頑張ろう!』といいたく日記を書いてみました。
