漂流・サバイバル23
~あきらめたら生きられない!!~
本編の前に我が家のプチネタ。
今日のお題は「ももた、『なんなんですかぁ~っ?!』」。
まったく何でもない、何気ない一瞬。
スマホを向け、こっちを向いたところをパチリとしただけ。
体は隣の部屋を向いていて
顔だけこっちに向けている
顔つきからしても「何か用事ぃ~?」って感じだ。
ちゃんちゃん。
閑話休題。
旅読的「漂流・サバイバル」ジャンルでのブックレビュー23回目。
今回ご紹介するのはコレ。
あきらめたから、生きられた
©武智三繁/小学館
2001年7月長崎の崎戸(さきと)港を自分の漁船で出発したのち、エンジンの故障によって遭難、千葉の犬吠埼沖で救助されるまで。
37日間の漂流生活を乗り切ったという、著者自身の体験実話。
そりゃあ世に名高い漂流記などと比べたりなんかすると、スケールはぐっとちっちゃくなってしまうわけだけれども。
もしかしたらそこらへんにいそうなおっちゃんがなんとなくやってのけちゃった冒険ばなし…として。
かなりのリアリティーを感じながら読むことが出来る。
題名はたぶん著者自身の言葉から編集者がでっち上げたモノなんだと思うが、いろいろと誤解を招きそうなタイトルを付けたもんだなっと思う。
当たり前のことだがすべてをあきらめてしまったら、生きることなんて出来ない。
人間は(まあ人間に限らずかなりの動物がそうだが)意図的行為によってのみ命をつなげていくことが出来る生き物なので、絶望の先には無気力しかなく、あとは文字通りの「座して死を待つのみ」の状態に陥ってしまう。
だから、このお話の「あきらめる」というのは「生還するために、救助されるためにシャカリキにがんばろうとすることをあきらめる」というぐらいの意味だ。
実際、武智さんはただ「生きよう」とするだけでなく、救助に備えて普通に考えてやれる限りのこと…はちゃんとやっている。
最後まで発煙筒を残したこと、帆柱などに色とりどりの布を結び付けて救助を待ったことなど…。
本の帯に、これも編集者が考えただろう「レットイットビー・サバイバル」という太字の惹句が踊ってるんだが。
こっちの方がずっと本書の内容をきちっと表してる感じがする。
「なすがまま、なりゆきまかせのサバイバル」ってことね。
2001年7月26日付
佐世保海上保安部から
たぶん各所に配られたFAX通信
©武智三繁/小学館
「入港遅延船情報」という表題になってるのが、なんとも生々しい。
こういうのが回されるんだなぁ。
安部公房「砂の女」のラストで、失踪宣告の審判書がいきなり出て来て、ドキ!!っとなったことを思い出してしまった。
ちなみにこの情報が出回った時点で出港後、6日が経過している。
繁栄丸のエンジンはもとから不調だったのだが、今回の出航の最初の日から(もともとの予定は日帰り)止まったり動いたりを繰り返していたらしい。
武智さんは修理業者には連絡をとったのだが、陸から近かったこともあり、ことをかる~く安易に考えており、救助の要請などはせず。
そのうちに携帯は圏外となり、エンジンも完全に逝ってしまう…なんていう事態になってしまった。
「これぐらいのことで救助要請とかしてもいいんか」という遠慮もあったかもしれないし、「まぁなんとかなるんじゃね」とかいう楽観的な気持ちもあったかもしれない。
とりあえずこの最初の6日間で、食料は底をついてしまっている。
なぜ日帰り予定の船に6日分もの食料があったかというと、それは武智さんに買いだめをする習慣があったこともあるが。
対馬海流にほど近い崎戸地区には昔っから漂流話がごまんとあり、そのため漁師たちは常に「海の上では何があるかわからんけん」と非常時に備えて多少の水や食料を携えて仕事をすることが、ほとんど習い性のようにもなっていたらしいのだ。
というわけで、船には20ℓ入りのポリタンク2つに満タンの水、缶詰・ソーセージ・せんべい・インスタントラーメン・即席の粉末スープなど、普通に食べれば4日分の食料の備えがしてあったらしい(付け加えると、置き薬業者が置いて行った十数本の栄養ドリンクもあった)。
©武智三繁/小学館
持って来た食料がなくなれば、あとは釣りでもするしかない。
幸いにしてこの船は漁船で、釣り道具はある。
最初は船の生け簀で生かしていた小魚を餌にしての釣り。
狙うはこういう漂流物にはつきもののシイラだ。
たやすく釣り上げることが出来たそいつを、水を使って調理するのはもったいないので生のまま刺身で食らう。
餌釣りがシイラに警戒され始めたらルアーを使い、ルアーがシイラの歯で食いちぎられてしまうと(もともとシイラ釣りなんかを想定してたわけではないので、丈夫なラインではなかったんだろう)、身近にあるモノを工夫し、お手製のルアーを作って使ったらしい。
少し深場にルアーを下ろすとカツオもかかったそうだ。
せっかくのカツオなんで刺身だけではなくたたきにもしてみたそうなんだが(後述するが武智さんはカセットコンロとカセットボンベも14,5本持って来ていた)、あまりおいしいとは感じなかったらしい。
やっぱりカツオを味わうような心の余裕がなかったせいだろうか。
食べ切れなかったぶんはぬかりなく干物にしたそうだ。
釣りをしてると気もまぎれ、ある程度のストレス発散にもなったようだが、体力が衰えてくるとともに、魚を釣り上げる際のやりとりにかなりの消耗を感じるようになっていったらしい。
次に水のことだが…。
およそ20日ほどで水が底をついたそうだ。
雨が降った日が一日だけあったが、すべての容器は塩まみれになっており、雨水を溜めるなんてことは出来なかったらしい(シャンプーと石けんでシャワー代わりにすることはやり、ついでにヒゲもそってさっぱり生まれ変わった気分になれたそうだ)。
考え着いたのは、カセットコンロで海水を沸かし、水蒸気を集めること。
「ランビキ」ですね。
多い日で日に10回ほども海水を沸かし、水分の補給に努めたらしい。
台風にも遭っている。
2日間繁栄丸をもてあそんだ台風は、意地悪にも雨は降らせることなくひたすら大波で繫栄丸を翻弄し。
武智さんは海に投げ出されてもいる。
単独航海をやってるヨットマンとかならまずライフジャケットに命綱をつけてただろうが、武智さんにはそんなモノはなし。
泳ぎの苦手な旅読ならその場でジエンド。
武智さんもこの頃には水以外はほとんど口にしないような生活になってたんで、体も相当にフラフラになってたハズだが。
嵐の海を泳ぎ、きっちり船に帰り着いている。
「でも、泳ぎ始めるてみると、意外と力が出るんだよ」などとあるんだが、やっぱこの辺りは小さい頃から漁について行き、海でもまれながら育って来たという。
積み上げて来た何かがあるんだろ~なぁ~と思わされたところだった。
繁栄丸のたどった進路の予測図
©武智三繁/小学館
マグロはえ縄漁船:末広丸が漂流中の繁栄丸を発見したのは8月26日。
既にボンベのガスは使い切り、水を得る方法がなくなった武智さんは尿を口に含む(飲み込めなかった)までになり。
とにかく日陰にじっとして体力の消耗を出来る限り抑えている、といった状況だった。
そのとき、末広丸からは飲み物やおにぎり、タバコなどが差し入れられたそうなんだが。
よくよく考えれば衰弱している(しかけている?)人間にいきなり普通の食べ物をあげて大丈夫なんか…とも思うが。
武智さんはこれをたいらげたあと、船上を普通に歩いたりもしたらしい。
たぶん体が本当に大変なことになるほんの一歩手前で踏みとどまってるって感じだったんじゃないかなぁ。
救助後の診察では、血圧脈拍ともに正常で、意識状態にもまったく問題はなし。
特に担当医師が驚いたのは胃に全然潰瘍が見られなかったことで。
つまりこの漂流生活のストレスなどから来るハズの、胃へのダメージがまったくなかったのだ!!
武智さんが精神的なダメージが内臓とかには来ないような特別なタイプの人だったのかと言えばそうではなく、武智さんは過去に胃潰瘍も患ってはいたのにだ。
漂流中の彼の精神安定方法は大きく分けて2つあって。
それは音とにおい。
音…は、乾電池式のラジオとカセットデッキ。
武智さんは野球には興味のない人なんだが、このときばかりは野球中継も喜んで聞いたらしい。
人の声が聞こえたら何でもよかったんじゃないかなぁ。
夜寝る前には音楽を聴き、そのおかげでしっかりと眠ることも出来たらしい。
におい…は、コーヒーと石けん・シャンプー。
コーヒー好きの武智さんは、飲んだあとのコーヒーのペットボトルのにおいをかいで「飲んだつもり」になったらしい。
それぐらいのことが何の役に立つのか、と門外漢は思うんだが、これは実際にやってみた人の「思った以上の効果があった」という言葉を信じるしかない。
アロマテラピーの芳香浴なんかとおんなじような効果があるのかもしれない。
石けん・シャンプーってのは、そのにおいをかぐことによって自宅での寛いだ入浴の気分を再現してみたってことね。
おまけ。
武智さんは漂流中、一度だけ大型船と遭遇をしている。
4本あった発煙筒のうち3本を使い、必死に救援を求めたそうなんだが…。
いろんな漂流記に出て来る通り、なんにも気づかず大型船は通り過ぎてしまっている。
大型船からちっさな漂流船を発見するって、すんごく難しいことなんだな~。
今日はここまで。
次回のupもブックレビューです。
たぶんジャンルは「漂流・サバイバル」になるかと思います。







