山形-長野フルーツ旅part27

~山形県立博物館行ってみた2~

 

 

 

 本編の前に我が家のプチネタ。

 

 今日のお題は「ももた、寒いのかい2」

 

 毛布のプチプチ洞窟で寝てるももた。

 

 かなりの熟睡モードで、近寄ってシャッターを切ってもいつものように目を開けたりしません。

 

静かに寝てます

(いびきをかくこともあります)

 

 いい夢見ろよっ!!!!

 

 ちゃんちゃん。

 

 

 

 旅行3日目、お昼過ぎ。

 

 あいにくの天気なので、山形県立博物館でもろもろのよしなしごとをstudy中。

 

 前回からの続きで、この博物館の大きな目玉「縄文の女神」を見せてもらっているところだ。

 

 全然関係ないことだが、「大きな目玉」って言うのと「大目玉」って言うのとでは日本語の意味がまったく違ってくるのな。

 

 日本語って不思議。

 

 …話を戻すと。

 

 この「縄文の女神」という土偶、2012年に国宝指定を受けている。

 

国宝指定書

記号番号の最初の「考」は

考古資料から選ばれたことを示す

 

読みたい人は読んで

この土偶の見方が書いてある

まあいろいろ謎があるってことで

 

 「縄文の女神」が国宝指定を受けたのは。

 

 ほとんど完全なかたちに復元出来ていること(出土時には5つの部分に分かれていた)と45㎝という土偶としては最大級の大きさを有しているところが大きい。

 

 というのは土偶はその完成後に、儀礼的あるいはまじない的な意味からほとんどが人為的に破壊されてしまっているからだ(人為的ではないとする説もある)。

 

 そのように考えられたわけは、土偶がありえないくらいに細かく壊れていたり、一部穴が開けられていたみたいだったり、体の一部が辺りのどこにも見当たらないことがままあったりするからなんだが…。

 

 なっかなかすぐに結論とか出るようなお話ではなさそうだ。

 

 おまけの土偶をもう一つ。

 

 抽象化が進んで生身の人間からはだいぶかけ離れちゃってる「縄文の女神」に比べると、こっちはやたらと表情が豊かでおもしろい。

 

残念ながらこれは複製

腹部の一部が飛び出てはいるが

これも女性像だと思う

 

 …さて、縄文からだいぶ時代は下って。

 

 最上川を中心とした江戸時代の暮らしへ。

 

ベニバナやカラムシの産地で

独自の紬織物も作っていた山形には

大店の呉服屋が多かったらしい

 

小鵜飼船の模型

山居倉庫でも見たや~つ

後ろの打櫂(うちがい)は

たぶん実際に使われたもの

 

最上川は山形藩ばかりでなく

江戸幕府にとっても重要だった

そのわけは…

 

 江戸時代に一つの頂点を極めた江戸の町。

 

 繁栄していくにつれ、その人口もふくれあがっていき。

 

 江戸中期にはついに100万人を越える世界最大の街になった。

 

 当然米不足が心配されるようになり。

 

 江戸幕府は材木商の河村瑞賢に、東北地方からの年貢米を早く安全に輸送するために、航路の見直し整備をするように命ずる。

 

 …で、西廻り航路が整備されたわけなんだが。

 

 その航路というのが、まず最上川を通じて山形の米を酒田まで運び、そこから大きな船でず~っと関門海峡まで行き、瀬戸内海を抜け、ぐるっと紀伊半島を回って江戸まで運ぶというすさまじいルートで。

 

 なんと約3200㎞、2ヶ月間もかかるという大航海ルートだった!!

 

 それ、もんのすっごい遠まわりやん。

 

 …とみんな(先刻承知でない人は、という意味)は思うだろうが、さにあらず。

 

 従来のルートである敦賀辺りで陸揚げし、桑名ぐらいまで陸路で運んでそこからまた船に乗せる、なんてのよりも。

 

 逆に数倍も効率的になったと言うんだから。

 

 やっぱり昔は荷物の積み替え作業がそれだけ大変だったっていうことなんだろう。

 

最上川は流れが急なので

こいでは遡れない場所があり

陸から船を曳いていったらしい

 

船衆(船頭さんとか?)の

蓑(みの)やら笠やら

こういうの着てたんだなぁ

 

当時の最上川舟運で

最も栄えた河岸が大石田町

絵地図などを参考にして

ジオラマ化したものだ

 

最上徳内さん

北方を探検した人

現在の山形県村山市の出身

 

 間宮海峡で有名なあの間宮林蔵さんより少し前の人。

 

 樺太や北方領土の探検を何度も行っている。

 

 農家の長男に生まれながら家業は弟たちに任せて学問を志し。

 

 投獄されたり免職の憂き目を見たりといろいろ紆余曲折はあったものの。

 

 最後には幕臣となるまでに上り詰めている。

 

 右上の肖像画は、ドイツ人医師シーボルトの本に掲載されているもので。

 

 まるで往年の山崎努さんみたいな感じで、一本芯の通った気骨のある人物、悪く言えば気難しそうな頑固なご隠居さん、て感じを受ける。

 

農家の囲炉裏端のジオラマ

囲炉裏の上には「火棚」があり

いろいろな物を乾かした

(全部煙にいぶされそうだが)

 

 …常設展示についてはこのくらい。

 

 最後に入口ホールのところの体験広場をのぞいてみる。

 

 ここはまあ、館内の展示資料について興味をもってもらい、理解を深めてもらおうというようなコーナーになっている。

 

 まあ誰もおらず、無人でありました。

 

クロミンククジラの骨

長さは8mを超える

下に見切れてるのは

県内で発見されたクジラ化石

 

 1995年南氷洋にて、調査捕鯨を行っている日本鯨類研究所によって捕獲された個体らしい。

 

縄文の女神のレプリカ

3Dプリンタで作られたそうだ

3Dプリンタ、欲しいなぁ

 

 たぶん3Dデータが保存されてるんだろう、壊れたり汚れたりしてもすぐに代わりが作成出来るんだと思う。

 

 だから観覧者が自由に触ってよ~し、となっているわけだ。

 

 さっそく「足の裏」眺めちゃいますっ。

 

だから何?という足の裏

どうやら焼成時の破損防止のために

中が空洞になっているらしい

 

触ってもいい化石と

それに関するクイズ…なんだが

もっと興味を引くネタプリーズ

 

 …ということで見学終了。

 

 オススメは…したいところだが、今のままの展示内容だと根っからの博物館好きや展示物への特に興味関心がある人に限定されるかもしれん。

 

 いつになるか分からないが新生の県立博物館に期待、ってところだろうか。

 

 料金がリーズナブルなのは買えるんだが。

 

 

 

 今日はここまで。

 

 博物館編、終わります。

 

 次回のupは今回の続きです。

 

 霞城公園を出発、山形市内でもう一か所だけ巡ってみます。

 

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