箱根と深海魚の旅part31

~甘酒茶屋でマジ極上の一服!~

 

 

 

 旅行3日目、午前11時半。

 

 小田原市の生命の星・地球博物館から箱根峠に向かう。

 

 国道1号線を通って行くが、途中から旧道の方へ分岐。

 

 箱根登山鉄道沿いに行って、途中大平台駅で電車がスイッチバックする様子を見るっていうプランもあったんだが。

 

 このときは「一息入れたい」という気持ちが勝って、甘酒茶屋の方を目指して行くことに。

 

 箱根湯本を過ぎると辺りは山がちになり、畑宿と呼ばれる地域に入って行く。

 

 ここも箱根湯本と同じく、小田原と箱根との間の街。

 

 有名な箱根の寄木細工はこの畑宿で生み出されたものらしく、ところどころに「寄木細工」という看板が出てるのが目にはいる。

 

 …結果論だが、ここいらのどっかの寄木細工のお店に入っておけばよかったなぁと思う。

 

 箱根町の繁華なところにももちろん寄木細工のお店とかはあるんだが、そっちの方は観光客ずれしてると言うか、ほっといても客が来るからって言うか。

 

 全般的にこう…サービスとかがもひとつのような感じがしたのよなぁ。

 

 極私的な感想です、はい。

 

 30分ほどで甘酒茶屋にと~ちゃ~く。

 

 きっちり駐車場があるんで、そこに停める。

 

 すっかり山ん中で、高度は800mほど。

 

 空気がちょっとひんやりしている。

 

茅葺屋根のTHE茶店

こ~ゆ~とこに行きたかった

イメージばっちり!!

15年前に建て直されている

 

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文政年間には茶屋が9軒も!!

にぎわっていたんだなぁ

 

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これには茶屋が13軒とあるが!?

いったいどういうこと??

年代が違うってことかな

 

 ここは400年もの歴史があり、今の店主で13代目。

 

 箱根八里で、現在まで残っている茶店はここだけだ。

 

 明治期の国道1号線の開通とともに人の流れが大きく変わり、特に戦後すぐなどは客足が完全に遠のいて経営が大変だったらしい。

 

 1週間に客が一人だけなんてことも。

 

 おばあさんが店番をし、おじいさんが出稼ぎに出ることで、なんとかかんとかしのいでいたとか。

 

 ホントによくもまあ今まで店を続けて来られたもんだと思う。

 

 畏敬と感謝の念しかない。

 

 …旧街道が通っているのは甘酒茶屋のちょうど真裏で。

 

 茶店の位置は動いてないんで、つまり今と昔では店の裏と表が入れ替わっているってことになる。

 

 当時の峠道の様子はどうだったんだろう。

 

 行けども行けども寂しい山ん中をただひたすらに進んで行かなくてはならないってわけじゃなかったみたいだな。

 

 数キロも歩けば、グレートレースのエイドステーションよろしくこういう茶店が出て来てくれるんなら、歩き旅もまんざらじゃないって気がする。

 

 もちろん甘酒茶屋の「甘酒」は、旅人の疲労回復に効き目があるからってことでふるまわれてたんだそうだ。

 

 うん、糖分の補給は大事。

 

 今のお店の入り口には「給水すぽっと おいしい御水あり〼」なんていうちっさなのれんなんかが掛かっていて。

 

 昔も今も歩き疲れた旅人に優しい場所になってるみたいで、それだけでもう心がちょこっと癒される感じだ。

 

 …お店の中へ。

 

 お客さんはいるが、土曜日のお昼時って割には混雑ってほどじゃなく、内心かなり心配してただけに一安心(あとでいっぱいになった)。

 

中は薄暗~い

昔の家の造りそのまんまだ

(一応撮影許可いただきました)

 

メニューはシンプル

飲み物を入れても全6品

甘酒は酒かすを使ってないやつ

 

 旅読のチョイスは、いそべの力餅とみそおでん。

 

 うちにはももた(ヨーキー)もいるし、茶店の楽しみ方と言えば店の中で食べるんじゃなくって外のテラス席、じゃなかった縁台で食べるの一択でしょう。

 

茶店を入れて

ももたと妻を撮ろうとしたら

中からお店の人が…

ありがとうございます!!

 

力餅(左)とみそおでん

なんなんなんなん…と

においをかぐももた

 

 みそおでんは玉こんにゃくのみ5個、力餅は2個。

 

 妻と分け合って、ちょ~どいいぐらいに小腹が満たされる。

 

 大食いじゃない我々には十分な量。

 

 力餅に添えられた漬物が実にいい仕事をしてるんで、後でぜひぜひお土産として仕入れようと妻と話し合う。

 

 茶店、すごくいい!!!!

 

 …などと、茶店を満喫していると。

 

 おじいさん、おばあさんの一団30人ほどがドーン。

 

 裏手側からやって来る。

 

 それぞれの格好、引率してるらしき人たちの格好から見て、どうやら「箱根旧街道を歩こう会」みたいな人たちらしく。

 

 この甘酒茶屋でいったん休憩にするらしい。

 

 引率者が「空いてるとこに座ってくださ~い」などという実にざっとした指示をしている。

 

 それほど広々した場所ではないんだし、もしも空きがなかったらどうするつもりだったんだ??などと考えてしまう。

 

 旅読たちは縁台のひとつを占領していたんで、とっととこの一団にゆずってあげることにする。

 

 そして一回車に戻り、妻はおみやげを買いに、旅読は茶店の隣の「箱根旧街道休憩所」の方をのぞいてみることに。

 

この建物がそう

名前の通りに

無料で休憩することが出来る

 

 もともとは「箱根旧街道資料館」という、有料の施設だったところ。

 

 なので受け継がれた展示品なんかがそのまま飾ってあったりして、単に休憩するってだけじゃなく、箱根旧街道についての勉強まで出来ちゃうという一石二鳥な場所なんだが。

 

 いくら「休憩所」であったとしても、もうちょっと今残ってる展示品とかにも気を配ったらどうなんかな、って気はする。

 

 特にひどいのは一部の写真。

 

 変色、退色に加え、汚れ、シミ、カビなどによって、一体何が写っているのやら分からないって状態になっているものもある。

 

 こういうような施設があること自体はとってもいいことだと思うんだが。

 

お座敷に囲炉裏

ここも茶店の風情がありあり

駕籠に「甘酒茶屋」とあるが

 

明治期に東京に遷都する際に

ここを天皇が通られたらしい

2500人の大行列だったそうだ

 

男の旅装について

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こっちは女の旅装について

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宿代や人や馬のレンタル代

こんなのはネットで調べても

なかなか詳細には分かりませんぜ

 

赤穂浪士47人の一人である

神崎与五郎の話をジオラマ化

舞台はお隣の甘酒茶屋

 

 神崎与五郎の有名なわび証文のエピソード。

 

 どうも創作の疑いが強いらしいんで、ここではその内容については割愛。

 

 興味のある向きはググってみて下され。

 

 実は旅読はこの神崎与五郎とほんのちょっぴり縁があり。

 

 もと津山藩士だった神崎与五郎の親元の家が、旅読が子ども時代を過ごしてた地域のすぐ近くにあるのだ。

 

 両親のお墓なんかもある。

 

 小学校低学年の社会科の地域学習で、「神崎家の屋敷跡」ってのを習ったようなとお~い遠い記憶がある(ような気がする)。

 

 まあ大人になってから「神崎与五郎」という名を聞くたび、「あれ、この名前どっかで」とは感じていたなぁ~。

 

 ちなみに岡山県の勝央町というところです。

 

 

 

 今日はここまで。

 

 箱根峠のお茶屋さん、よかったぁ~。

 

 これからここいら近辺に行かれるという方、オススメです。

 

 次回のうPはこの旅日記の続きです。

 

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