箱根と深海魚の旅part20
~FMMでテンション爆上げ4~
本編の前に我が家のプチネタ。
今日のお題は「ももた夏の装い4」です。
最後はありきたりで、座ってるところ。
真正面、やや上からのアングル。
おすましさんです
「モデル料ちょ~だいっ」
ちゃんちゃん。
旅行2日目、富士モータースポーツミュージアム(FMM)を見学中。
長くなってますが、今回で終わりです。
最後なんで紹介したいクルマをどんどん挙げていきませう。
日野コンテッサ900
1961年のもっちろん日本製
1941年に現いすゞ自動車から分離独立するかたちで設立されたのが日野重工業。
戦時中には戦車などを作り、戦後は大型バス・トラックを開発して、大型車両業界での有力メーカーになる。
1953年からはフランスのルノーと技術提携したことをきっかけに普通乗用車の生産もするようになった(1966年まで)。
このコンテッサ900は、日野が独自開発した最初の乗用車。
コンテッサというのは伊語で「伯爵婦人」という意味があるらしい。
1963年の日本グランプリに出場し、ツーリングカー1000cc以下の部門で1位、スポーツカー1300㏄以下の部門で2位に食い込む。
それぞれルノーやオースチンといった欧州車に競り勝っての成績だというところに値打ちがある。
勢いに乗って開発されたのらしい、こいつをベースにしたスポーツタイプ、コンテッサ900スプリントはいくつものモーターショーに出品されて話題を集めたものの市販はされず、幻の名車となっている。
真偽は定かではないらしいんだが、欧州の自動車メーカー各社から圧力がかかったためだとか。
泣く子も黙るトヨタ2000GT
1966年製のやつのレプリカ
日本が世界に誇るスーパーカーは?という問いに対し、多くの人がまず一番に答えるであろう「トヨタ2000GT」。
エンジンはほぼヤマハ製であり、組み立てのほとんどをヤマハの工場で行ってはいるものの、一部で言われているように別にトヨタは「ヤマハに丸投げ」したんではないらしい。
工程のほとんどが手作業で行われるなど生産にはかなりの手間がかかっており。
現在の物価に換算してかる~く2千万円を超える価格で、一般庶民には手が出せない高級車であったにもかかわらず、最初っから赤字確定のクルマだったそうだ。
トヨタの側からしたら広告宣伝費込みっていう腹づもりだったんだろう。
で、この写真のモデルはスピードトライアルに挑戦したもので。
途中台風に見舞われながらも、72時間走行時の平均時速206km/h、1万km走行時の平均時速204km/hなどの当時の国際記録を見事に樹立している(翌年にはポルシェ911Rによって破られている)。
けれどもその輝かしい記録を打ち立てた実車は、現在の保管場所はおろか、現存してるのかどうかさえも分からない状態らしい。
どこかの表には出たがらない好事家が、自宅内にひっそりと保管し、自分だけで眺めて楽しんでるんだ…とでも思いたい。
ムーンクラフトスペシャル7
1987年製で最終仕上げは日本
70~80年代に開かれていた「富士グランチャンピオンレース」。
ムーンクラフト社はカーデザイナーの由良拓也さんが設立。
この車はイギリスのマーチ85のシャーシにヤマハのエンジンを載せ、富士のコースに合わせた空力追求によって生まれた強化プラ製のカウルをおっかぶせたもの。
特に80年代にはこの手のクルマが圧倒的な強さを見せたらしい。
トヨタTF109
2009年のもっちろん日本製
エンジンももちろんトヨタ、タイヤは見ての通りブリヂストン。
国産のF1カーを載せときたくて、ここに挙げてみた。
おっきなフロントウイングがノーズ部分から釣り下がっているのが特徴的。
ベントレー4½
1928年のイギリス製
ベントレー社は1919年に設立された老舗で、現在はフォルクスワーゲンの子会社となっている。
4½は排気量で、4.5ℓという意味。
特にルマン24時間レースにおいて、輝かしい戦績を誇る。
写真の車はルマン仕様とはなっているが、実際に出走したやつではないらしい。
24時間かかって2669.272㎞を平均111.219km/hで走っている。
ちなみに現在はそのちょうど2倍くらいで走ってるみたいだ。
ランサーエボリューションⅢ
1995年のもっちろん日本製
出ました!!!!三菱の「ランエボ」!!!!
三菱が世界ラリー選手権参戦のために開発したシリーズで、セダンタイプのスポーツカー。
エボⅢは14戦に出場し、うち6回優勝している。
日本人ドライバー篠塚建次郎さんが乗っての優勝じゃないのがちょっとだけ残念なところだ。
2016年のファイナルエディションで生産が正式終了。
「比較的手の届きやすいスーパーカー」だっただけにいまだに復活を望む声が多いみたいだ。
スバルインプレッサ555
1996年のもっちろん日本製
終戦後の1945年、中島飛行機が解体され、富士重工業(現スバル)が誕生。
360やサンバーなどの軽の実用車が成功を収めたことで、自動車会社としての地場が固められる(その後軽自動車からは撤退)。
インプレッサはレオーネの後釜のスポーツタイプとして、世界市場で勝負することをねらって開発されたクルマ。
エンジンは2ℓのEJ20型水平対向4気筒DOHC。
まあ門外漢の旅読にはよぉ分からん。
もともとWRC(世界ラリー選手権)参戦が目論まれていたらしく、初代セダンWRXのタイプはすぐにイギリスのワークスでラリー仕様に改造されている。
結局インプレッサはWRCに参戦した6年間で通算11勝。
特に95年、96年には3勝ずつを挙げて、スバルが2年連続でメーカーとしてのチャンピオンに輝くことになった。
ちなみにインプレッサ555の「555(スリーファイブ)」というのは。
当時のスポンサー企業、イギリスのタバコ会社「ステートエクスプレス555」から来ている。
セリカST185
1994年のもっちろん日本製
先にランエボとインプレッサを紹介してしまったが、WRCでの活躍はこちらが先。
1995年に藤本吉郎さんが日本人ドライバーとして初めてWRCで優勝するんだが。
これはその実車だ。
かっこいい!!!!
もちろんこ~んなにピカピカになってるのはあとからきっちりレストアされたためだ。
イソッタ・フラスキーニ
1908年のイタリア製
最後にもう1台、クラシックなやつを載せとこうと思って挙げてみた。
イソッタ・フラスキーニ社は1900年設立の超老舗自動車メーカー。
マセラーティ、ゴルディーニ、フェラーリなど、のちにモータースポーツ界を支えていくことになる人材を数多く輩出している。
これは8ℓもの排気量を誇るモンスターマシーン。
これで、結構たくさんの自動車レースで優勝をさらっているらしい。
イーグル・マークⅢ
1993年のもっちろん日本製
国際モータースポーツ協会主催のGTP(グランドツーリングプロトタイプ)レースに参戦するために開発されたクルマ。
排気量は2140㏄。
市販はされていない。
武骨な感じがなんともかっこいい!!!!
出場した3年間の戦績は27戦21勝。
3年目などは余りに勝ちすぎてしまうため、かえって悪者っぽく目立ってしまうことを恐れ、いくつかのレースをあえて欠場したほど。
でもって、これはその実車。
ローラT93ホンダ
1994年のアメリカ製
クルマの紹介これでラスト!!
最後はいかにもモータースポーツという感じのフォーミュラカーで締めたい。
ただ…ホンダの部品はエンジンのみ。
CARTワールドシリーズという、かつてあったフォーミュラカーの自動車レース選手権に、1994年からホンダはエンジンを供給し始める。
これはその初年度で、搭載したのはイギリスのローラ・カーズ社のクルマだが。
残念ながら優勝は出来なかった。
ホンダのエンジンを積んだクルマが見事に優勝を飾るのは2年後からで、なんとそれから6連覇していく!!
ボディもタイヤもドライバーもみ~んな日本の自前だったらすごいんだがな~。
まあ、大方の日本人がモータースポーツそのものにたいして熱狂しないんだから、メーカーに本腰を入れてもらうってのはどだい無理な話なんだろうな。
今日はここまで。
次回のうPは旅日記の続きです。
FMM編、終わります。
次はちょこっとだけ進みますんでよろしくです。