箱根と深海魚の旅part4
~リアル忍者館行ってみた1~
本編の前に我が家のプチネタ。
今日のお題は「ももたの寝る前の行動3」です。
プイっとどっかに行ってしまったんで。
今日は一緒には寝ないのかと思っていたらば。
しばらくしたら、ちゃっかりと戻って来るももた。
いつもの寝床にすっぽりと収まって。
今度こそ本当に寝るみたいです。
なんなんスか?
どっかになんか行ってないスけど
でもたぶん、夜中のあいだに一回は寝場所を変えるだろうとは思う。
ちゃんちゃん。
閑話休題。
旅行1日目、午後2時過ぎ。
せっかく甲賀忍者の古里である滋賀県甲賀市にいるんだから。
甲賀忍者の勉強をしなくちゃでしょう?
甲賀忍者ってのはつまり甲賀流の忍者ってことなんだが。
伊賀流と違って、こちらは正式な「甲賀流」なるものは存在しておらず。
甲賀の里に伝わる諸流派の、まあ総称のようなもんらしい
「甲賀流」の読み方だが。
甲賀市(こうかし)の地名の読み方にならえば、「こうかりゅう」になるのだが。
一般的な読み方として「こうがりゅう」がかなり定着してるってことで、ここでは「こうがりゅう」でいきたいと思う。
まあこの拙文を読むのに、別に音読しないんならどっちゃだってええやん、てことではあるんだが。
ちなみに甲賀地方に住んでた地侍のことを呼ぶ「甲賀衆」や「甲賀者」の読み方はしっかり「こうが」となっているようだ。
と、いうことで。
これから向かうのは「甲賀流リアル忍者館」というところ。
忍の里プララ甲南情報交流センターという甲賀市営の施設内にあり、利用料がなんとうれしはずかしの。
タダだだだだだっ(トラバスのてっちゃん風に)!!!!
近くには「甲賀の里忍術村」とか「甲賀流忍術屋敷」とかいうのもあって。
見せ方とかアトラクションとかいろいろ凝ってんだろうなぁとは思ったんだが。
当然ながら有料だし、出来ればあまり人が集まってないようなところでの~びのび観光したい旅読などにとってはう~ん、ちょっとなぁ~って感じだったんで。
今回はこっちを選んでみることに。
午後2時半、到着。
ほかに観光客は1組だけらしい。
してやったり!!
道路側にある看板です
目的の建物は左側のやつね
顔出しパネルがいくつか
さっそくやってみる
これは妻の方
ちゃんとくノ一の方に顔を出してる
こっちは旅読
おもきし真剣な顔をしている
まあモザイクで見えんのだが
これが入口
信楽焼のタヌちゃんがいる
チ✖チ✖は隠しといてね
なぜに青森の吉幾三さんがここのPRキャラみたいになってるのかというと。
後援会の関係でよく滋賀県を訪れることがあり、かつ陶芸に興味があるような発言をしたことから、信楽焼の甲賀市との縁が出来たんだそうだ。
歌手ってのは世を忍ぶ仮の姿ってか。
…は、ともかくとしてさっそく入室。
1階と2階があるが、2階はプロジェクションマッピングのほかは小部屋にちょっと展示があるくらいで。
メインは1階だ。
特に順路のようなものは設定されておらず、ホールにば~んと展示物が置かれてるって感じなので。
どっからでも好き勝手に見てちょ~だい、ということらしい。
バえる写真が撮れそうな場所
まあ撮ってないんだけど
2階の部分に張り付いてる
甲賀忍者を発見!!
何をやってるのかは分からない
甲賀忍者の服装
甲賀と言えばこの色かな?
滋賀県に伝わる技術、柿渋で染めた衣装。
夕暮れ時などは特に、黒装束などと比べて、周りの景色に溶け込む効果が高かったらしい。
そして着古していくほどに、鉄分の多い水で洗濯とか重ねていくほどに。
しだいしだいにこげ茶に近い色へと変わっていくそうなんだが。
このことを「暮れ染め」などと読んでいたらしい。
ちなみに。
この甲賀流忍者衣装はレンタルすることも出来る。
まあ毎回クリーニングはするだろうし、時には補修とかすることも必要になって来るからだろう、無料とはいかず、1000円とられてしまうんだが。
ここがお着換えの場所
着方が掲示されている
のぞいて写真とか撮ってると、「着てみますかぁ」などと係の人に声を掛けられてしまう。
ごめんなさい、No thank youです。
トイレの手洗い場
たぶん信楽焼なんだろうと思う
なぜに甲賀なのか
…という理由がここに
甲賀で忍者が生まれたわけは大きく3つあると言う。
まず、京都や奈良といった文化的な中心地に近く、交通の要衝地でもあること。
忍者の果たす役割を考えれば、大事なことなんだろうな。
2つ目は自主自立の意識が高い、この地に確たる権力をもった武士たちの集団組織の存在。
甲賀郡中惣と言うらしい。
つまり、そっくりそのまま諜報組織へと様変わり可能な集団が。
新たに一から組織したりせずとも、ここには元から存在していたってわけだ。
3つ目は、修行の場。
忍者と言えば幼少時からのきっびし~い修行がつきもの。
ニンニンですな。
甲賀の里の西、信楽の北東にそびえる飯道山(はんどうさん:664m)がその修行の場だったらしい。
今でも西覗き岩・不動押し分け谷・蟻の塔渡し・胎内くぐり等々の、修行に使われたとおぼしき奇岩・巨岩が残っている。
あえて峻険な場所などを選び、山を何度も踏破しながら、印を結んで呪文を唱えたりなんかしてたんだろう。
と言うか、現在でも修行しておられる山伏さんとかがおられるそうだ。
まあニンニンではないだろうが。
忍者とくれば変装でしょ
おおよそ七つの姿に変装したらしい
「七方出」というのは、「七種類の出で立ち」ってくらいの意味だ。
「変装した七人の忍者を見つけましょう」ってなことが書いてあるんだが。
それは大体柱の陰なんかに貼り付けてあったりする。
こんなふうに。
放下師(ほうかし)と言う
まあ大道芸人さんね
往来で手妻(手品、奇術)や曲芸をして見せるのを生業とした人たちだ。
諸国を転々と渡り歩いてても不思議がられないし。
もともとが忍者なんだから、手先も器用で、雑技団的な体術もお手のもんだったろうから。
実に忍者向きの変装だったんじゃないだろうか。
ちなみに上の写真は、2本の竹の棒を打ち鳴らしながら歌をうたってるところのようだ。
あと6つの職業が残ってるのだが、それは行ってみてからのお楽しみってことで。
今日はここまで。
次回のうPもこの続きをやっていく予定です。
お待ちかねの(だれも待ってないと思うが)。
忍術なんかの事をやっちゃいますんで、よろしく。