乙嫁語り展に出会う旅part19
~王貞治ミュージアムにgo!1~
本編の前に我が家のプチネタ。
今日のお題は「ももた、夕ご飯前のルーティン1」。
さてこれから夕ご飯にありつこうかというところ。
「はようくでぇ~くでぇ~」の格好をしとります。
背筋、ピ~ン!!!!
舌もチロチロのぞいてます
か~な~りお腹を減らしてるんだと思われ。
閑話休題。
旅行2日目、お昼前。
なんとなく「大乙嫁語り展」の余韻を引きずりつつ、小倉駅前の駐車場に戻る。
お腹空いた!!
妻が「かば田」のおにぎりを買って来てくれていたのでさっそく食べる。
妻、グッジョブ!!
昆布明太子ととりめしがあったので、ここは迷うことなくとりめしをチョイス。
やっぱ小倉駅と言えば「かしわめし」とか「とりめし」なんだよな。
もちろん「かば田」は本来辛子明太子屋さんなので、明太おにぎりの方も当然うまいことはうまいんだろうが。
そっちは妻に譲るぜ。
とりめしのにおいをかぐ
ももたは既に昼食を食べている
すきっ腹だからか、ほんっとうにうまい。
満足まんぞくぅ~。
さてと…このあとだが。
1時間ちょい時間はかかるんだが、福岡市の方に移動だ。
…北九州市の都市高速から九州縦貫道、さらに福岡市の都市高速と。
高速を乗り継ぎつつ走って行く。
途中、鞍手PAで休憩。
鞍手PAです
ど~んと松屋があるな
あんまり大きくはないPA。
ここも近々駐車場のラインを引き直すらしい。
おみやげを買い足し、飲み物を仕入れて一息つく。
現在、目指してるのは「王貞治ベースボールミュージアム」。
福岡PayPayドームに併設してある施設だ。
運営は福岡ダイエーホークス。
つい最近まで旅読は、野球大好きな少年にとって今はちょっと不遇な時代だな、と思っていた。
それは、打席のたんびにホームランを期待してわくわくしながら見守るっていうような存在がいないことからなんだが。
まあ今は大谷翔平の登場によって、その「不遇な時期」は過ぎ去ったようではあるけれども。
旅読が子どもの頃、その、わっくわっくしながら毎打席ホームランを期待してる存在ってのは圧倒的に王貞治選手(このあとはふだん言っている通りにワンちゃんと呼ばせてもらう)だったのだ。
旅読の周囲にいた、旅読と同年代以上の人たちには圧倒的に長嶋茂雄のファンが多かったんだけれども。
旅読は最初っからワンちゃんのファンだった。
野球のルールなんかもよく分かるようになった頃の長嶋茂雄は相変わらず打って走って守れるスター選手ではあったけれども。
さすがに少しずつ衰えが見え始めてきたかっていう感じで。
チャンスに凡退し、がっかりさせられてしまうことも多くなってきたからだろうと思う。
それに…何と言ってもワンちゃんにはホームランがある。
これが何にも代えられない魅力!!
なんせホームランてのは外野手の届かないところにまでボールを運び、敵方が呆然とor悔しがりながら見ている前で、悠然とダイヤモンドを一周出来るんだから。
まさに「この俺が勝者だ!!!!」って感じなんだよな。
こんな爽快なシーンは、ほかのスポーツにおいてもなっかなかないんじゃないかと思う。
せいぜい柔道できれいな一本勝ちが決まったときなんかが、ようやくホームランに見合うスカッとシーンかもって思うくらい。
旅読は結構ラジオの実況生中継なんかを聞いていたんで。
今でもアナウンサーの渡辺謙太郎さんが「きれいな放物線を描く、実にワンちゃんらしいホームラン、これはもうディスイズ・ワンちゃんずホォ~ムラァ~ンですね」などと楽しそうに話されていたことなんかを思い出す。
今の子たちは大谷翔平の打席を、同じようなわっくわっく感をもって見つめているんだろうか。
…てことで。
午後1時半、
無事に福岡PayPayドーム近くに到着。
駐車場に停め、歩いてミュージアムに向かう。
とっさに方角が分からず、きょろきょろしてしまう。
田舎モンなので。
これが入口です
入場料は1800円。
なかなかにお高いんだが、これは野球体験アトラクションのコーナーの料金込みになっているためだと思われる。
というのは体験コーナーのみのチケットだと1000円になるからだ。
ミュージアム部分だけのチケットってのはない。
800円にしてほしいよぉ~。
入口の看板??
構えてるだけでかっこいい!!
早稲田実業時代
春の選抜で優勝する
1957年のこと。
ワンちゃんは投げてはエース、打っては主砲の大活躍。
球は速かったもののノーコンだったワンちゃんは、1年の秋からノーワインドアップ投法(振りかぶらないで投げる)を取り入れたことで制球力を付け、3試合連続完封を含む4試合を完投する。
これ、たぶん投げ過ぎだったんだろうなぁ。
そして1959年、高校卒業と同時に巨人に入団。
高校及び入団当初の品々
説明すると…
上は入団してから数年間身に付けていたユニフォーム。
背番号はおなじみの「1」だ。
お皿は早稲田実業野球部のみんなの寄せ書き。
ワンちゃんの筆文字が普通にきれい。
小さなトロフィーは卒業時に野球部から贈られたもの。
下は東京都からの優勝記念のペナント。
ほそなっがい額に入ってるのは当時の契約書だ。
…さて晴れてプロ野球選手となったワンちゃんだったが。
まず春のキャンプでピッチャーをクビになってしまう。
当時の巨人のエースでのちに監督も務めた藤田元司さん(愛媛県出身でございます)の言。
「僕が見る限り、投手としての王君はくたびれていました」だと。
たぶん高校時代に投げ過ぎて肩を壊してしまってたんだろ~なぁ~。
…てことでバッターに徹することになるわけだが。
不振にあえぐ新人時代
外見では焦りを感じさせなかった
開幕後10試合ノーヒット。
27打席目の初ヒットがホームランではあったが、結局たいした活躍も出来ずに1年目が終わってしまう。
ここいらは新人のときから活躍しまくり、最初っから栄光の道を歩いていった長嶋選手との大きな違い。
打率は1割半ばで、ホームランは7本。
三振を喫する割合が高かったため、「三振王~っ!!」と名前に引っかけてはやし立てられる始末。
2,3年目はやや成績が上向いたものの、打率は2割半ば、ホームランが10数本という結果に終わり。
長嶋選手と並んでおおいに巨人を盛り立てる主軸となる、という期待をモロに裏切ってしまったのだった。
当時の巨人はかなり貧打にあえいでおり。
打線では長嶋選手一人が気を吐いているという状態だったので(3割打者は長嶋選手のみであとのレギュラーはだいたい2割5分以下)。
「早くワンちゃんに打撃開眼してもらいたい」というのは球団首脳部の切なる願いだったわけだ。
それでどうなったか…というところで次回に続きます。
今日はここまで。
次回のうpは今日の続きです。