川根本町を旅するpart24
~丸子宿に立ち寄る~
本編の前に我が家のプチネタ。
今日のお題は「ももた、冬の散歩2」。
散歩中、ももたの体のどっかに葉っぱとか枝とかがくっつくことがあります。
気にならなければ別にどうでもいいことなんですが、気になるときにはもう大変。
必死になって取ろうとし、取れなければその場に立ち止まり、こちらが取ってやるまでその場から動かなくなります。
今は顔のはしっこに枯葉がくっついたみたいですが…。
まだ、気になってはいないみたい
たくましく生きろよぉ~っ。
閑話休題。
旅行3日目、午前11時前。
富士山静岡空港のところから、一路東へ。
静岡市方面に向かう。
とりあえずの目的地は丸子宿(まりこじゅく)だ。
途中、藤枝市の「フレジュス」に立ち寄って、スイーツを補充。
季節のタルトとキャラメルアップルパイとパウンドケーキとエンガディーナ。
食べるのを楽しみにしておこう。
たまたま通りかかった道の駅「宇津ノ谷峠」にも立ち寄り。
3か所に分かれてるというちょっと変わった構成の道の駅だが、立ち寄ったのは藤枝側の上り。
かる~く様子見だけして先に進む。
ドライブの途中
雲の切れ間からのぞく富士山
こぢんまりしたお店、フレジュスさん
青いカラーが印象的
国道1号線沿いの道の駅です
読みたい人は読んで
雰囲気で見て
岡部宿のあるところなんだね
これが道の駅の建物
開駅は1999年
道中の安全祈願
旅読も祈っておきました
丸子宿にとうちゃ~く。
正確には「丁子屋(ちょうじや)」さんのところだ。
ここにやって来たのは、昔の「ザ・茶店」っていう景色がどうしても見たかったから。
現在の茅葺きの建物は広重の「東海道五十三次」に似せたものにするために、わざわざ古民家を移築して来たものだ。
広重が丸子宿(重版以降は「鞠子」の表記に変わる)を描いた当時、丁子屋さんはすでに開業して二百年以上経ってる超老舗であったのだが、広重の描いた茶店が丁子屋さんであるという確証はないらしい。
これが広重の「丸子 名物茶店」
付近の掲示板から
で、これが現在の…ありゃ
車が写り込んでしもうとる
旅読のヘボさがここにも
記念写真をパチリ
お客はまあまあ入ってた
とろろ汁は食べませんでした
「東海道中膝栗毛」の碑
子ども用に書かれたのを読んだっけ
これは芭蕉の句碑
たぶん読めないと思うが…
「梅若菜 丸子の宿の とろろ汁」と書いてある。
旅の餞別にと詠まれた一句らしい。
近くに高札場がありました
お定め書き
だいたいは当たり前のことばかりだが
処刑の見物や人身売買の禁止などもある
こ~んなところです
なんじゃもんじゃの木
ここのやつはヒトツバタゴらしい
おまけ。
なかば自分のために、「東海道五十三次」に描かれた風物のうち、丁子屋さんを除いて現在まで残っているモノについて調べてみた。
ざっくり調べただけなんで、当然落ちはあるかもしれん。
① 神奈川宿の旅籠「さくらや」
もちろん当時の建物などは残っていないのだが、「田中屋」という名前で、料亭として商売を続けているらしい。
② 戸塚宿の石の道標
今は妙秀寺の境内に移されているらしい。
③ 三島宿の鳥居と灯籠
三嶋大社の鳥居と灯籠がほぼそのまんま。配置は違ってるが、これは意図的なもんなんだろう。
④ 日坂宿の夜泣き石
かつては街道にど~んと置かれていたものだが、現在は久延寺の境内に移されている。
⑤ 荒井宿の関所
新居関所として、今も一部の建物が現存する。てか、主要街道でちゃんと残ってる関所はここだけ。
⑥ 吉田宿の吉田城の櫓
一部の櫓が復元されている。絵に描かれたのと同一の櫓かどうかは分からない。
⑦ 赤坂宿の旅館中庭のソテツ
清州屋という旅籠から移されたというソテツが浄泉寺に残っている。まあほかの旅館にもソテツは植えられていたかもしれないが。
⑧ 藤川宿の棒鼻
棒鼻は、宿場の境界を示した榜示杭(ぼうじぐい)。ぶっちゃけ柱みたいな標識のこと。今あるのは復元されたもの。
⑨ 鳴海宿の有松紋のある店
現在の町並みは復元されたものだが、写真で見る限り絵の雰囲気がかなり再現されていると思う。
⑩ 宮宿の熱田神宮の鳥居
…ということになってるのだが、絵に描いてある鳥居は全くの別物だ。
⑪ 桑名宿の桑名城
蟠龍櫓(ばんりゅうやぐら)のみ外観復元されている。
⑫ 石薬師宿の石薬師寺
当時からそのまんま。山門とか、バッチリだ。
⑬ 関宿の本陣
本陣が二つあるので、どちらをモデルにしたかは分からない。残っているのは伊藤家の本陣。
⑭ 草津宿の姥が茶屋
現在は「うばがもちや」として違う場所で商売をしている。機会があったら姥が餅を食べてみたい。
こんなところかな。
これからの旅の参考になればいいが。
今日はここまで。
次回のupは今回の続きです。