川根本町を旅するpart2

~あいち航空ミュージアム1~

 

 

 

 本編の前に我が家のプチネタ。

 

 今日のお題は「ももたとデビフのお試しフード2」

 

 モラタメから届いたものを開封し、ももたをモデルにして撮影中。

 

モデルしたらいいことあるんだよね!

 

 ごほうびを思いっきり期待してる目!!

 

 

 

 閑話休題。

 

 旅行初日、午後3時半。

 

 名古屋空港に隣接して建てられた「あいち航空ミュージアム」にたどり着いたところ。

 

 「たどり着いた」というのは空港の駐車場からえんえん(というほどではないかもしれないが、運動不足の身には結構な「えんえん」だ)1㎞ちょっと歩かされたせいだ。

 

 まあ、自分がきちんと場所の把握をしてなかったせいだけれども。

 

入ってすぐのところ

旅客機のモニュメントだ

 

受付のところのはす向かい

トイレ前のディスプレイ

 

 …気を取り直して入館。

 

 JAF割がきいて750円になる。

 

 きかさなかったら1000円になるので、これは旅読にとってはかなり大きい。

 

 「今なら4時からのシミュレーター体験、予約することが出来ますけど」とご案内してもらうが、今回はパスすることに。

 

 以前石川県小松市の「航空プラザ」でやったことがあるし、今は20分近くの時間を拘束されたくもなかったもんで。

 

チケット買いました!!

 

 「搭乗券」となっているのがニクい。

 

 QRコードがついていて、これを読み取らせるとゲートが通れるのだ。

 

 実際の搭乗方法に似せてあるわけなんだが、こういうのは機械オンチのおっさんはただもうおたおたしてしまう。

 

 あと「日本名機100選」のカードがランダムでもらえます。

 

 しっかりとした紙質で、ちゃんとした作りになってます。

 

 多少収集癖のある旅読なんだが、もうたぶんここに来ることはないだろうしなぁ。

 

 …残念っ。

 

 ちなみにアヴロ504Kはイギリスの飛行機。

 

 大正時代にライセンス生産され、200機以上が練習機として海軍や航空学校等で大いに活躍している。

 

 たぶん故障が少なく、安定した飛行性能をもった機体だったんだろう。

 

 

 

 ではでは展示を見て回ろう。

 

ほぼ格納庫と言っていい造り

右側から直接飛行機を搬入可能だ

 

ゲートからすぐのところ

ダビンチのヘリコプターだ

 

 モナリザで有名なあのレオナルド・ダ・ヴィンチがスケッチだけ残してるヘリコプター。

 

 「空気ねじ」と呼ばれてるやつ。

 

 「こんなの飛ぶわけねぇ」とず~っと思っていて、今しがたネット上のwebページをぱらぱらと眺めていたんだが。

 

 どうやら現ヘリコプターのローターシステムよりも優れてるとは言えないまでも。

 

 うまく工夫すればちゃんと飛ぶことは飛べるようでありましたぁ。

 

 さっすがレオナルド・ダ・ヴィンチ。

 

 次に「日本の名機100選」の模型を見ていく。

 

 ケースに近づいてしっかり眺めたり写真を撮ったりしてるのは旅読のほかにも二人ほど。

 

 いずれもおっさんだ。

 

 …なんとなく親近感。

 

 家族連れやカップルなんかは、ちらちらっと見るだけのほとんど素通りだ。

 

 以下、旅読の気になった機体のご紹介。

 

ドイツ製で初飛行は1910年

ハトのイメージで造られたもの

 

日本で最初に飛んだ飛行機

アンリ・ファルマン複葉機

 

川西航空機(現新明和)の3発複葉の飛行艇

主翼はまだ羽布(はふ)張りだ

 

97式飛行艇、スマートでかっこいい

川西航空機によって1936年に開発された

 

東大付属の航空研究所が設計

正式名称はなく愛称は「航研機」

 

 長距離飛行の世界記録を打ち立てるべくつくられた機体。

 

 初飛行は1937年。

 

 1938年に62時間22分49秒かけて11651.011kmを飛び、見事に当時の世界記録を打ち立てる。

 

 日本の端から端までをおよそ3000㎞とすると2往復近くをノンストップで飛んだことになる。

 

ゼロ戦52型、初飛行は1943年

もっとも多く生産されたザ・ゼロ戦

 

艦上爆撃機「彗星」

ゼロ戦に比べてスマートな印象だ

 

大戦末期に出て来た爆撃機「飛竜」

製造は三菱重工業で、1943年から生産

 

中島飛行機製造の爆撃機「銀河」

ハセガワ製のプラモデル持ってたなぁ

 

戦闘機「秋水」

日本初のロケット機だったのだが

 

 高高度にいるB-29からなすすべのない爆撃を受けていた大戦最末期の、日本のあがきのような機体。

 

 当時としては圧倒的なスピードでB-29のいる高高度にまで上昇して戦うことをねらったものだが。

 

 一歩間違えば即死の劇薬を燃料としてたうえ、飛行時間はほんの数分間だけだ。

 

 ただ一度の試験飛行は失敗に終わる。

 

 もし運用が始まればパイロットが次々死んでいく予感があった、などという当時の関係者の言もある。

 

 実用化されなくてよかったのかもしれない。

 

攻撃機「橘花」

こちらは日本初のジェット機だ

 

 これも大戦末期の話。

 

 日本に先んじてジェット機の開発に成功していたドイツとの、ジェームズ・ボンドばりの共同スパイ作戦により入手したわずかな情報を基に、中島飛行機が1945年に製作。

 

 こちらは初回の試験飛行は成功し、量産に向けた体制も出来上がり、専門の部隊も訓練を始め…というところで終戦を迎えてしまう。

 

 さて、次…というところだがそろそろ長くはなって来たし、大戦中のお話はここまでなんで今回はこれでケリをつけようと思う。

 

 今回のブログ、かなりオタクっぽいと思うんで、どれくらいの人に見てもらえるもんか心配なところではあるなぁ。

 

 

 

 今日はここまで。

 

 新しい旅日記、始まりました。

 

 次回のupは今回の続きです。

 

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