浦島太郎に出会う旅part23
~銀の馬車道と辻川山公園~
本編の前に我が家のプチネタ。
今日のお題は「ももた散歩する4」。
散歩中、お友達と出会ったところ。
局部のにおいをかがれてるところです。
い、いやぁ~ん
ちゃんちゃん。
閑話休題。
丹後半島旅行3日目の帰宅途上、午前11時半過ぎ。
兵庫県神河町の道の駅神河にいる。
正式名称は道の駅「銀の馬車道神河」だ。
「銀の馬車道」というのは。
1876年に開通した、生野銀山と姫路市飾磨(しかま)港間約49㎞を結ぶ、馬車専用の道路のこと。
銀などの鉱石を運び出し、代わりに採掘用の機材だとか鉱山で働く人たちのための必要物資だとかを持って行っていたのだ。
「銀の馬車道」というのはもちろん後付けの愛称で、当時は「生野鉱山寮馬車道」などと呼ばれていたそう。
日本初の産業用の高速道路。
今の国道312号線とかなりの場所が重複している。
蒸気機関車はまだ4年前に走り出したばかりであり、旅客ではない物資の輸送専門に使うなどという発想は湧いてはこなかったらしい(鉄道は1895年に開通している)。
建設のコンセプトは、出来るだけ最短距離を、出来るだけまっすぐに、出来るだけアップダウンなしで、というもの。
せせっこましい日本ではなかなかに難しい注文なのだが、お上の権力は現在よりもずっと強力であったのだろう。
着工後、3年足らずで開通したらしい。
日本遺産として2017年に登録されている。
日本遺産認定の記念モニュメント
道の駅にある
馬車道であった当時の面影をそのままに残している場所がほとんどないというのが残念なところ。
実はこの道の駅の近くのため池の周囲に「唯一現存する馬車道跡」というのがあるのだが。
ため池に沿ってぐるっとカーブしてたりするんで、本当に馬車道の跡であるのかどうかについては疑問なところもあるようだ。
…では、次。
国道312号を道なりに南下。
午後0時半過ぎに福崎町の辻川山公園に到着。
お昼の太陽がじりじり暑い。
なぜかじ~ちゃんば~ちゃんがとっても多い。
暑さに負けずエイジングパワーに負けず、公園内をとっとと観光してしまおう。
なんとなく雰囲気で見て
柳田國男先生の銅像と歌碑
ここ福崎町辻川は柳田國男先生の生まれ故郷。
フィールドワークを重んじた日本民俗学の祖であり、「遠野物語」などの作者でもある。
今本棚を見たらば「日本の昔話」「こども風土記」「毎日の言葉」と3冊持ってました。
この人、好きだなぁ。
遠野市とはつながりがあるらしい
柳田國男・松岡家記念館なんてのがある
実は柳田國男は松岡家(姓が違うのは養子に行ったため)の6男だ。
兄弟は8人で、すべて男。
こりゃあ、すさまじいな(何が??)。
早逝してしまった者を除き、医師・日本画家・海軍大佐・国文学者・民俗学者とみ~んなひとかどの者になってるのが驚き。
で、この公園には彼の生家が移設されている。
いい感じの古民家だ
元は街道沿いに建っていた
三和土からの上り口
たぶんきれいに補修されてると思う
こんな和室が二間で終わり
男子8人にはちっさすぎると思う
読みたい人は読んで
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ここ福崎町のウリは。
2014年から始まった、地域振興課の一職員の独断による、柳田國男作品に出て来る妖怪?の、リアル系フィギュアを使った町おこし。
最初は、当時の町長からの「この公園の池から河童を出してくれよ」という無茶ぶりから始まったことであるらしい。
で、造型師としても玄人はだしの腕を持つその職員が、あえてリアルな気味の悪いモデルを作り上げ、当然のごとく周囲から猛反対を受けるものの、「絶対に人が来るから」と自らの意見を押し通して進めていったんだそうだ。
どら焼き?を食ってる妖怪小屋の逆さ天狗
1時間に4回出現する
これが出て来たところ
顔出しパネル
ちょっとお下品なんでモザイク
一応ももたがのぞいてます
最初に手掛けられたという河童の「ガタロウ」は出て来るまでが待てなかったので、写真撮ってません。
ごめんなさいです。
この町おこしは見事功を奏し、テレビのニュースやバラエティ番組、新聞等に取り上げられ、福崎町の観光客は一気に倍近くまで増える。
ただ…最大の功労者であった職員の方はおととし自死されてしまったらしい。
理由は明らかにはされていない。
合掌。
次回はここ福崎町で出会える妖怪たちをビシバシ紹介していきたいと思いまぁす。
今日はここまで。
次回は今回の続きになりますっ。