我が母校のこと | 辰巳琢郎オフィシャルブログ「道草日記ーTakuro’s Michikusa Daysー」by Ameba

我が母校のこと

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今週は、月曜日から金曜日まで『日刊ゲンダイ』に、『辰巳琢郎の「我が時、我が朋輩」』と題したインタビュー記事が連載されています。

その中で一番読んでいただきたかったのが、第一回目の山中教授編です。

山中先生は、中学高校の4年後輩にあたります。我が母校は、本当に素晴らしい学校でした。これからの日本に必要なのは、こういう教育ではなかろうかと思います。新聞記事を転載しますので、是非ご感想をお聞かせください。

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昨年、「iPS細胞」の開発でノーベル生理学・医学賞を受賞した山中伸弥教授。彼は辰巳の中高の後輩だ。「大阪教育大学教育学部附属高等学校天王寺校舎」。この国立校は、他の学校では見られない珍しい特徴があることで知られる。それは「試験監督がつかない」というもの。試験問題を配り終えた教師は教室を退出し、試験の時間が終わる頃になると教室に戻ってくる。カンニングしようと思えばやりたい放題だが、そんな生徒は皆無だとか。

「高校に入ると、中学とはガラっと変わって大人扱い。自分の責任で行動することを要求されました。カンニングしてテストで良い点を取っても自分のためにならない。勉強は受験のためでも親のためでもなく、自分のためにするものだということを叩き込まれた気がします。だから『赤点』というものが存在しない。いい点を取らないとダメ、という発想そのものがありませんでした。200点満点で15点だったときも全く落ち込まず、すごい伸びしろがあるんだと自慢していたくらいです」

クラブ活動や友達づきあいを大切にし、自分のやりたいことを見つけるのが高校生活。大学は一年浪人して好きなところに入ればいいと受験指導もほとんどないため、最近では「そんな学校で大丈夫か」と敬遠する親もいるそう。しかし、辰巳は「自主性を重んじる伝統は守り続けてほしい」と話す。

「何が大事なのかを自分で考え、責任をもって行動するのが一番大切。『自由』というと、髪を染めたりピアスをしたり、形ばかりにとらわれる人が多いけど、もっと内面の充実を考えるべきです。精神的に自由でしたたかな若者を育てる教育、他の学校もどしどし真似していただきたいですね」

この高校からは政治家や企業の社長をはじめ、芥川賞作家(辻原登)や内閣官房副長官(世耕弘成)なども輩出。大学教授も数多く巣立っており、山中教授もその1人だ。中学高校から大学2年まで柔道、大学3年からはラクビーを始めた山中教授。ラグビーをやるきっかけも「自由な校風」が関係しているという。

「うちの高校にはラグビー部がなかったのですが、日本史の先生が大のラグビー好きで、日本史の授業を休講にして、『女子は自習、男子は着替えてグラウンド』ということがしょっちゅうありました。最後のラグビー大会は高3の1月という入試直前でしたが、そんなことはお構いなし。みんなラグビーに夢中でした」

辰巳が山中教授と久々に会ったのは今年の7月半ば。ふたりの中学時代の恩師の葬儀でだった。教え子代表として最初に山中教授が、二番目に辰巳がお焼香に呼ばれたという。

「酒も大好きで、酔うとさらに楽しくなる」という山中教授。2人で飲みに行けば母校の思い出や教育方針など、話は尽きないそうだ。卒業生たちで母校の伝統を残す運動を始める気運も高まっている。同窓朋輩の志は一つだ。

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画像は、7月の告別式の夜、大阪にて。

明日は、同じく高校の後輩にあたる、ロザンの宇治原君と同じチームで『Qさま!!』の収録です。