吉報! | 辰巳琢郎オフィシャルブログ「道草日記ーTakuro’s Michikusa Daysー」by Ameba

吉報!

あの衛星電話以来、連絡が全く途絶えていた石巻の友人から、遂に電話がかかってきました。

「やっと家に帰れました。なんとか元気です。ありがとうございました!」

胸のつかえがとれ、思わず涙ぐんでしまいました。

アナログ人間ゆえ、全くブログなど考えもしなかった僕ですが、周りからのプレッシャーで、おっかなびっくりで始めたこの『道草日記』ですが、今回、5日間で、250万近いアクセスを頂き、感謝と共に、大きな責任を感じています。総ての方へ返信したい気持ちでいっぱいですが、とうてい叶いません。取り急ぎ、簡単な御報告をさせていただいた次第。

一カ所だけ間違いがありましたので、訂正と補足をしておかなければなりません。先のブログ『地獄…』の中で僕は、ただ「避難所」と書いてしまいましたが、正確には「指定の避難所」ではなく、「避難している場所」だったみたいです。則ち、取りあえず逃げていた建物を津波が襲い、浸水地帯の中に、島のようにポツンと取り残されていた模様。ほどなく場所は確認され、ほんの少しの食料は届いていたそうです。でも当面はそこに居た方が、周りの惨状から考えて安全だとの判断があったのだと思います。漸く水が引いて、家が残っている人はそれぞれの家へ、流された人は避難所へ、皆さん無事にたどり着かれたそうです。

場所を明かさなかったのは、他にもっと大変なところが沢山あるだろうこと、そして報道陣に殺到されたくないとの、言わば彼の深謀遠慮だったのでしょう。

「子供が餓死」という言葉が、凄まじいエネルギーを持ってネットの世界を、それこそ津波のように広がったことには、発信元として少し反省もしています。しかし想像してみてください。その場に医師もおらず、死因を確定出来る環境になかった彼らが、食べることのできない子供の死を「餓死」と表現した状況を。

どうしても取材モードになってしまう僕に対して、淡々と語ってくれた彼の言葉の中で、印象的だったフレーズがあります。

「今、来ていただいてもやれることは殆どないんです。それよりも、復興に向かって立ち上がった時に、是非、力を貸してくださいね。」

そうなんです。地震から10日、まだまだ救援活動の段階なんです。情報の入り乱れる原発騒動に、相次ぐ余震。被害者の数すら掴めていません。明るい報道(これもテレビの使命だと思います)や、作り込んだ映像が増えて来ましたが、復興が始まるのは、特に沿岸部では、かなり先のことになりそうです。

その日まで、しっかり力を蓄えておかなければ… そう自分を納得させながら、自分自身出来ることを続けながら、一刻も早く現地へ赴いて何か出来ないか、悶々としています。