「汝の欲するところを成せ

それが汝の法とならん」


アレイスター・クロウリー




身体の内側から破裂するように激しく

骨と筋肉がギシギシと軋む音だけが私の中に反響し続けていた


鋭く空気を切り

鞭がしなる音がした次の瞬間

激しい火傷をしたかのような痛みと共に

骨が軋み肉が踊る



いつこの地獄が終わるのだろう

彼が何を言っているかよく聞こえない


あぁ、その目が気に入らないと言ったのね

この時はまだこの目を「いい目だ」と言う人に出会うなんて思いもしなかった




「態度」だとか「目つき」だとか

稚拙な理由を付けては調教に託けて暴れ回るこの男が私をハーネスで縛りあげられたのは


大学の講師だったからだ



芸術系の学校のすべてが講師や教授陣の気まぐれ1つで卒業を迎えられなくなる危うさがあるかは知らないけど



私の居た学校は少なくともそうだった

芸術や文学、アートかぶれの連中の中には

自分の歪んだ性癖を「アーティストだから」とその一言で簡単に正当化してみせた



彼のようにね



私の男の見る目の無さは

思えばこの頃から筋金入りだったかも知れない



彼の名前はユウジ

ユウジに初めて出会ったのは私が所属していた門下の教授のレッスンでだった



若手、そして端正な容姿をしたユウジは

「歌が上手くなりたいなら沢山恋をしなさい」と明後日な指導をする教授のお気に入りだった



この教授が白を黒と言えば黒だと頷かなければならず、この大学では教授が右を左と言えば右は左になるのだ


それくらい教授は強い権力を持った存在で

万が一破門にでもなろうものなら

それは退学の2文字を意味した


転科しようと違う門下に所属しようと一度破門になれば試験を受けて平均点を取ったところで0点になる


教授が0点と言えば0点になるからだ



上京組の田舎娘の私が「不条理」という言葉を学んだのは皮肉にもこの大学でだった



それだけならまだしも


私の無防備さや世間知らずな様子を見たユウジがジリジリとそして強引に距離を詰めて来たのだった



「今日は君の伴奏が終わったら教授は帰られる予定だけどこの後の予定は?」


「…バイトに行かないと」


「うーん、人が予定を聞いているんだからさ。

合わせないと、ね?」



私が困っている顔をしてもユウジはイキイキとしていた


「今度の門下の発表会の伴奏、僕がやらないってなったら大変だと思うよ」


そうやってユウジは何かと学校の関連事に絡めて私を上手く強引に誘い出した



今までマトモな交際経験が無かったからか

男性とはこんなにも強引なのかと


田舎の父親の「東京の男には気を付けるんだぞ」という言葉がユウジと顔を合わせる度に頭を過ぎったがユウジが教授に何か吹き込むのではと思い我慢の日々だった



そんな中ユウジは「マルキ・ド・サド(サディストの元祖と言われている変態侯爵)」の翻訳書を始めとする趣味が良いとは言えない澁澤文学作品やSMに関する映画やエロスとグロテスクについてばかり「在学中に芸術への造脂を深めておいた方がいいよ」とすすめて来ては


歪んだ性癖を恥ずかしげもなく何かを媒体にして私に向けるようになって行った



学校でロッカーを開けると毎日何かしらユウジがそれら「芸術作品」を勝手に置いて行き

返そうとすると「感想」を聞いてきた



ユウジの事で辟易としていた中

同じ学部の他門下の子からとある男子学生がいつも私の後をついて回っていると教えられ

「構内ストーカー」にも悩まされるようになった



音楽大学にはアップライトピアノ1台が入るくらいの小さな練習室がいくつもあり

学生たちはこの練習室を借りて課題曲の練習やコンクールやオーディションの準備に励むが



私が練習室に入ると例の男子学生はしきりに防音ドアに付いているガラスの小窓から何度も何度も何度も私の姿を確認しに来た



私はドアに背を向けて男子学生と視線を合わせないようにしていたが



「あの…サキさんですよね」


「何で私の名前を知ってるの」



ある日の帰り道に男子学生が話しかけて来たのだ



男子学生は何か言いたげな様子でチラチラと私を見たが今までの執拗なしつこさが頭に来ていた私は



「名前で呼ばないで気持ち悪いから」


と、一言軽蔑するように冷たく言った




しかしその瞬間

男子学生の瞳が爛々と輝いたのだ


そしてその眼差しでじっと見つめてくる男子学生に嫌悪感を覚え、私は走って帰路を急いだ



朝学校に着いてロッカーを開けると卑猥物が入っていて履修科目のほとんどの授業中、後ろからあの男子学生が見つめて来て


レッスンに行けばユウジの誘いや卑猥物の感想を言わなければいけない日々を過ごす中で学校に何をしに行っているかわからなくなる一方だった



元々上京組でサークルにも入っていない私には心強い相談相手も気心知れた友達も居なかった




そんな夏休みが近付いていたある日


「付き合おう、サキ」


ユウジが驚く事を言って来た



動揺した私は言葉に出来ず

とにかくユウジの交際の申し出を断ったら面倒な事になる事だけはすぐ予想がついた



「僕たち物凄く相性が良いと思うんだ」


品の良さそうな表向きのユウジの振る舞いしか知らない同門の上級生たちはレッスンの度にユウジの傍に寄って色めきたっていたが

私はユウジの危うさをよく理解していた



そしてユウジが私ならコントロール出来るだろうと考えて歪んだ性癖の矛先として私に強引な態度を取っている事も感じ取っていた



この男と「付き合う」とどんな辱めを受けるか

それをこの男が飽きるまで

もしくは卒業まで耐えていけるか



色んな最悪な予想ばかりをしていると

ユウジは真顔で「何か気に入らない?」と少し不機嫌そうに聞いてきた


「ユウジ先生は学校の人だから」


そうはぐらかす他無かった


微妙な空気が流れている中

ハッとユウジが何かを思い付いたように私に向けてニコニコと笑顔を作り直した


「いいところに連れて行ってあげるよ!

六本木にいいところがあってサキと一緒に行きたいなって思ってたところがあるんだ!

教授のレッスン終わったら連絡するから絶対来てね!」



そうしてまた強引に押し切ると

ユウジは颯爽と教授のもとへ戻って行った