四月朔日 | 樹のブログ|実験台モルモット

四月朔日

はいどうも、いつの間にか今年も1/4が終わりましたよ
1/4が終わって4/1 なんだか不思議ですね
え、そんなこたない?そうですか


さてさて、今日は4月1日ですよ
4月1日といえば、まあエイプリルフールなんですけど
なんか最近ネット上ではエイプリルフールがやたら盛り上がりすぎて
天邪鬼の俺は、逆にいまいち気分が盛り上がりません

まあ、一つには忙しいのが原因ですね
どうせウソつくなら、大掛かりに準備して思いっきり騙したいじゃないですか
ところが、この日って年度末から新年度への移行で
なんだかんだとやたらバタバタしてるんですよ
なので、あまり心ゆくまでエイプリルフールを楽しんでる余裕が無いんですよねえ
とかなんとか言いながら、昨夜ちゃっかりtwitterで軽いウソついておきましたがw



そうそう、そういうわけで、今日から新年度ですよ


新年度となれば、進学、入学、就職などなど色々な事があると思います。

今日から社会人という人
いよいよ大学生という人
進学してゼミに入ったよ!っていう人
去年と同じ学年もっかいやるよ・・・っていう人
異動や転居でバタバタしてる人
今年度の予算たりねーよ、どうしよう、っていう人
新年度?今日は3月32日ですけど?っていう人

まあ、悲喜こもごも、色々な方がいらっしゃると思いますが
生きてれば良いことあります。頑張りましょう。
おわり









じゃなくて








なんで4月って新年度なんでしょう?
ずっと疑問に思ってたんで、調べてみたんですけど
どうやら特別の理由があるわけじゃないみたいですが
まあなんか、色々紆余曲折があったみたいです。


まず、明治維新があって日本が西洋化した時に
会計年度という物も、他の色々な西洋のシステムと一緒に入ってきたわけで
一年のどこかで「年度」という物を区切らなければいけなくなりました

当然、一年を区切るのに一番簡単なのは元旦から新年度、とする事なんですが
明治の頃の暮れから新年にかけて、というのは色々と大騒ぎでとても忙しいんですね
しかも商店は閉めちゃうし、奉公人は実家に帰っちゃうし、と
あまりビジネスの事を区切るには適していない時期だったわけですね

なので、最初は10月にしてたらしいです
というのは、新米の収穫が終わるのがこの時期だから
当時の農業中心の国家財政の集計などには丁度よかったんでしょうね

その後、地租改正により、地租(俗にいう年貢ですね、今で言う固定資産税です)が
年間4回の納期が設けられるようになり、その第一期が7月に設定された事で
会計年度は7月始まりに変更されました

この7-6月制については、ちょっと調べたところでは今ひとつ
7月スタートにした理由がよく分かりませんでしたが・・・


さて、この7月制になったのが1874年。明治維新から7年後の事ですね。
それから10年はこの制度でなんとかかんとかやってたんですが
その間に、軍備の拡張とか、デフレとか、士族の反乱とか色々あって
明治政府の財政は悪化の一途をたどります。

特に、問題となるのは、軍備の拡張でした
その昔教科書で習った「富国強兵」ってヤツの副作用ですね
軍ってヤツは国家の機関ですから、財布は当然ながら税金です
そこに充てる予算をどこかから捻り出すために
まだ入って来てない税金を前借りするような形で予算をつける、という
まあ言ってみればボーナス払いでカードでキャッシングをしまくる
みたいな事が行われていました。

ここで、その「前借り」の対象になっていたのが、酒造税でした。
当時の政府の歳入の大半は、地租と、酒造税が支えている状況でした。
で、この酒造税ですが、酒造りの時期に合わせて納期が定められていたんですね

当時「酒」といえば日本酒の事
日本酒というのは、秋に米の収穫が終わり、そこから
農閑期の出稼ぎ的に杜氏と呼ばれる酒造りの職人が冬の間に醸造を行い
春に新酒を出荷する、という形態でした(今でも日本酒はそうですが)

なので、酒造税も、酒造りが終わった4月が第一期
そして7月、10月の計三期に分かれていました。

そうすると何が起きるか、というと
7月から新年度が始まる明治政府では、7月と10月には充分な収入が入ってくるわけですが
1月は酒造税の納税がないので、4月まで待たなければなりません。
しかし、国家財政は1月だからって支出が止まるわけでもなく、かかるものはかかりますから
4月に入ってくる予定の酒造税を、別の部門から借りるような形で補います

それでも、歳入と歳出の帳尻があっているならば
4月の税収で前借りした分を返せばいいんですが
往々にして世の中、そんな予定通りに物事は進みません

そこで、明治政府が1884年に取った荒業がコレ

「来年から、新年度は4月からにするからヨロピク♪」




わぁお




コレで何が起きるかというと
まず、酒造や農業の開始に会計年度が合致する事で
「今年の収穫や今年の酒造=今年の税収」と、物事が単純になります

今までの7月制の場合は、去年が豊作で今年が凶作、という場合
7月と10月の税収は、去年収穫された米やそれを元にした酒の量から計算されるので
上半期の税収は上々ですが、今年は米の収穫が良くないわけですから
下半期は税収が少なくピーピーする事になります

そうすると、会計年度に合わせて年間で予算を組む大蔵省としては
どうにもやり辛くて仕方ないわけです。

ところが、4月スタートにしてしまえば、去年が凶作ならそれに合わせて少ない予算
豊作だったら、それに合わせて多めの予算、というように予算が組みやすくなるんですね。
というのが表向きの理由


もう一つの理由は
「今年度が9ヶ月になったので、1年分の予算を9ヶ月で使いきっても大丈夫」という事
平たく言うと「2月は28日しかないから少しだけ家計が楽」というのと似てますねw


ま、とにもかくにも、そんな荒業を行う事で、明治政府は
「去年の赤字は去年の赤字!この4月から財政健全化するから!」
と豪腕をふるって、会計年度を改めたわけです。


当時は当然ながら国民の間からは随分とブーイングも出たみたいなんですが
実際に運用してみると、農業国だった当時の日本にはことのほかマッチしたようで
その後は会計年度は変わる事なく、4月スタートになりました。

(ちなみに、この「1年をちょっとだけ短くして財政危機を乗り切る」というやり方ですが
 実は明治五年にも、旧暦を新暦に切り替える時に、似たような事をやってます
 もっとも、旧暦には閏月があったので、月給を払う側としては大問題だったのかも)
 

ところで、会計年度が変わったのは分かりますが
学校はなぜ会計年度に合わせて4月なのでしょう?


これはですね、当時の学校というのは大半が公営の学校だったので
校舎の建造にせよ、教材の作成にせよ、オカミの予算に大きく左右されるわけですね
なので、最初は欧米に合わせて9月を新年度にしていたんですが
それでは不便だ、という事で、4月を入学期に設定したようです。


なので、教育機関の成り立ちが違う欧米などの諸国では
会計年度と入学時期が一致していない国も多くあるようです。

例えば、イギリスなんかは、日本と同じ4-3月制の会計年度ですが
学校の入学は他の欧米と同じく9月ですし
フランスはじめ、ドイツ、オランダ、ベルギー、スイスなどでは
会計年度は新年に合わせて1-12月制をとっています。



あ、ちなみに、最後に余談をもうひとつ。

実は昔はヨーロッパでは、4月を新年度にしていたそうです。
理由は分かりませんが、日本と同じで農業の開始時期に合わせていたのかもしれません
ところが、時のフランス国王シャルル9世が
「来年から新年は冬のド真ん中にするからヨロピク」
と言いだしました。

ところが、民衆としちゃ
「そんなクソ寒い日に新年なんて言われてもちっともメデタイ気分になれねーよ」
って事で、今の1/1が新年に制定されてからも
4/1を「ウソの新年」として盛大に祝っていたそうです。

それが、エイプリルフールの元になった、という説があります。






が、どうやらこの説には信憑性はほとんど無いんだとか。
その成り立ちからしてウソかホントか分からないあたり
エイプリルフールに相応しい伝説と言えるかもしれません。





ではでは、今日はこのへんで。