冬から春へと移ろう手前の、

色彩は、まだ乏しいお社、

夜明け直後の柔らかな光に、

灯火のように小さく赤く輝く

たくさんの楓の新芽は、

梅や桜のようには、

注目されないけど、

とてもきれいだと思う景色。


写真では撮れない景色。

 


 

全面通行止めになった通勤路。

遠回りの迂回路で見つけた神社。

 

 

はじめての参拝を終えたところで、

神主さんが、朝のお勤めに来られて、

拝殿に入れていただく。

 

本職の祝詞や柏手をちゃんと聞けたり、

綺麗な提灯を見させていただき、

お呼びくださったのかな、と嬉しくなる。

 


 

昨日、ハイキングで山に向かう途中、

 

 

ちょっと遠回りになるけど、

枝垂桜の名所に立ち寄って、

 

 

 

 

その場所からナビは、

樹齢500年のカツラの大木を経由する道を示して、

 

(逆光で、新芽の色はかなり消えてしまったけど)

 

 

 

 

 

 

鮮やかな新芽たちが、

今年の命を芽吹かせていて、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

光の角度によっては、

大木の輪郭で、

 

 

樹幹の黒を背景にして、

透けた新芽が輝いて見える、

見たことがなかった景色。

 

写真を諦めて、心にとどめようとする景色。

 

 

 

 

このカツラの巨木は、

タタラの神様・金屋子神の

飛来木とも言われているらしいけど、

 

さらに道の途中、

金屋子神さまを奉るらしいカツラの樹があって、

こちらも新芽が輝いていた。

 

 

 

 

カツラの新芽は、春先、

ほんの3日程度だけ赤くなるらしい。

 

寄り道の偶然で、新芽を見ることが出来た僥倖に、

お呼びくださったのかな、と嬉しくなり、

感謝もしたけれど…

 

 

 

同乗の妻は、眠気が勝っていて、

樹を一瞥しただけで爆睡継続…

 

 

 

 

望まない形だったけど、

「個性」の違いに対して

鷹揚になりたいな、と

心が納得する。

 

 

個性の違いを頭で認めて理解して、

心で受け入れて鷹揚になることは、

君の個性を理解できず、対応に困っていた私の、

この世でのつとめの一つなんだと思う。

 


 

あざやかな紅色を見て、思う。

 


見てみたい。

 

楓やカツラの新芽のような、

あざやかな紅色の、お稲荷様の鳥居を。

 

 

ペンキ色の鳥居に、

この春に見た色を重ねながら、

たくさんのご縁、見守りと、気付き、

感謝と敬意を、

重ね続けたいな、と願う。

 

心を広くしてくださいますようにと、意宣る。