日の出を眺めることができそうな高台へ向かう途中で、

カーナビの地図にも出てこない神社があった。

 

 

民家のような御本殿、

コンクリートの参道、

曇り空で光のささない境内。

 

 

文字にしたら魅力はないけれど、

「お呼びいただいた」フィルターもあってか、

きれい、を感じて、不思議と、心が落ち着く。

 

 

1・2と二拍して、

寸分の狂いのない三拍目のタイミングで、

スピーカーから有線放送が流れ始めて、驚く。

 

 

10円玉のお賽銭を、どうかな、と思い、

財布の中で目立っている500円玉には躊躇して、

100円玉に落ち着いた時間も、

この、一瞬につながっていたかと思うと、

やっぱり、お呼びいただいたのかな、と思い、

あたたかくなる。

 

 

また、きれいな写真が撮影できる日に、

お呼びいただければいいな、と思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

命を終えたときに、

彼方側で2つのことを質問される、という説がある。

 

「人生を楽しみましたか?」
「人に親切にしましたか?」

 


笑いながら過ごしているけど、

楽しんでいる、って定義が分からないし、

きっと、当てはまることは、ない。

 

でも、慈しんでいる、

と答えられるかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

ちいさな出来事に、

慈しみを重ねて、

それらを君に届けながら、

 

命をおえたときには、

感情や記憶を思い出させる、

書いてきたひとつひとつを振り返りながら、

「おかげさまで、慈しんできましたよ」と

おだやかに答え、たい。