人間はショートカットしたがる傾向にあると思う。

パソコンならそれで良いけれど、道ではあまりやらない方が良いと思う(こちらの道の方が近い、というような場合は除く)。

曲がり角を曲がる場合、最短距離を行く。気持ちはわかるが、曲がり角が90度とかなら死角をつくる。結果向こうから同じくショートカットしてきた人間、もしくは流れに沿って歩いてきた人間とニアミスを起こしやすい。

人間が内側にいてもその前を遮るようにショートカットする輩もいる。自分がされると不快に思うのに。

エスカレーターの昇り口とか特に横切る人間が多い。昇ってくる人間がいるとは考えないのかわからないが。このような人間は仕事ができないらしい。なぜなら長期的な予測ができないから。人がいるかもしれないという予測ができないと考えるそうだ。エレベーターしかり、電車の出入口しかり。

自分で作り出した敵に怒る。滑稽に見える。

人間は見える範囲・見たままでしか判断、評価をしない傾向にあるように見える。

なるほど「百聞は一見にしかず」という言葉があるし、それは正しいと思う。でも見た世界がすべてだろうか?

先ほどのショートカットカットでいえば、死角をつくってしまう。そのとき見えないからいない、または無い、という判断、評価をするみたいだ。

見えている部分と見えない部分が合わさって初めて意味をもつ。

人一人、二人分でも空けて曲がれば驚くほど視界が変わる。そして結果的にその方が早いことが多い。

曲がり角以外にも死角を作る場合はよそ見、等かな。あとは携帯やスマホ、ゲームを操作しながらとか、本を読みながら、とか。この場合はもっとひどい死角をつくる。自転車に乗りながら本を読む輩なんか理解に苦しむ。

見たまんま、自分が見ている(見えている)範囲でしか判断しないということは死角をつくる。それは人生でも。

見たまんま、というのは楽なのかもしれない。見えた世界がすべてであれば、考えることも少なくて済む。ショートカットは楽だし速いと感じる。でも見えている範囲なんて案外自分の半径数メートルしかないものだ。へたをしたら目の前のことさえ見えていない。もしくは見ようとしない。

だからショートカットは死角をつくる可能性が高いと思う。

人生にショートカットは無い、とどこかで教わったことは正しいと思う。

簡単にいこうとすると自分でつくった死角に足元をすくわれる。

気をつけていきたいと常に思う。