4年目の決意 | AKB48、とある地方ファンの呟き

AKB48、とある地方ファンの呟き

とあるきっかけからAKB48のファンになりました。地方ファンの立場からいろいろと思ったことを綴っていきます。

3月11日、今年もこの日を迎えるにあたり様々な思いが頭の中を駆け巡りました。

4年間という月日、時間は誰にとっても平等ですが、その感じ方は人それぞれであり、何気なく平凡な生活を送っている側と、無慈悲にも日常を奪われ苦難に苛まれてきた側ではまったく違ったものであったでしょうし、実際にそういう経験をしていない側からすれば想像することしかできず、しかしながら現実というのは、時として想像の範疇すら超えてしまうという残酷な一面もあります。

自然災害という、誰を責めるわけでもないですが、仕方ないという言葉で片付けれるようなものでないし、失われたものはあまりにも大きかったです。
亡くなられた方に哀悼の意を表するというのはもちろん大事であるし、今日はそういう日であると認識しています。それと同時に考えていかなければいけないのは、これからのことです。
震災から4年経ちましたが、復興へは道半ばどころか始まったばかりです。震災で倒壊した高速道路が再建され、津波に流された鉄道が復旧するなど徐々に元のかたちに戻ろうとしていますが、未だに更地のままの場所も多く仮設住宅から復興住宅への移行は進んでいるものの、生まれ育った場所を離れ新たなコミュニティを作り上げねばならないという苦労もあります。福島では原発事故の影響も残っており、慣れ親しんだ故郷から離れざるを得なかった人たちがいます。

阪神淡路大震災の時もそうでしたが、4年経ち、被災地から離れた場所では風化という兆候が出てきているように感じます。対岸の火事という言葉があるように、人間というのは、基本的に自分に関わりのないことについては割り切る性分があります。これが家族であったり、知人、友人が関わっていればそんなことは言っていられませんが、そうでない場合、どこか自分とは違う世界の出来事と捉えているような気がします。それはある種の防衛本能であるし、そういうふうに割り切らないと自分の身が持たないというのもあるでしょうが。
亡くなられた方の犠牲を無駄にしないというのが、生き残った人間の使命であり、よりよい社会を作り上げるために知恵を絞り力を合わせて前に進んでいくことが、亡くなった方に対して出来る一番の手向けだと考えます。

ここ数日震災関係の番組をいくつか拝見しましたが、改めて多くの人が直面している現実の重さを感じましたし、これから歩んでいかねばならない道のりの厳しさを思うと思わず溜め息が出そうでした。


AKB48が震災後に行っている「誰かのためにプロジェクト」
2011年5月から毎月行われている被災地訪問、NHK(MJやAKB48SHOW)以外のメディアで取り上げられることはほとんどなく、ファンでない人では、AKB48が今でも毎月訪問活動を行っていることを知らない人もいます。
被災地訪問について、AKB48を快く思わない人たちによる誹謗中傷もあると聞きます。主にネットに載っているものであり、自分もその一端を見て悲しい気分になったことがあります。「偽善」とか「売名行為」という心無い言葉を発している人たちは、いったい何を見てそう言ったのか理解に苦しみます。一度でも被災地の現状を見たことがないのに、ただ気に入らないからという狭小な考えから発した言葉であれば誠に慎むべきであり、ただただ悲しいの一言につきます。
何もやらずに手をこまねいているよりも。批判を承知の上で行うことにこそ意義があると思います。

最近のAKB48の活動について、俗に”AKB商法”と言われる行き過ぎた商業主義であったり、炎上商法とも言われる、話題優先でファンやメンバーの意向を顧みない運営であったりと、決して両手をあげて賛成という立場ではありませんが、この件についてだけは話が別です。単純な好き嫌いではなく、良いものは素直に良いと認めるのがこのグループのファンとしてすべきことであるし、自分に出来る範囲でこのプロジェクトを支えていくことが務めであると考えます。
よく知りもせず、偏見だけで批判をあげている人たちにはファンとして憤りを感じます。

劇場や握手会の会場には義援金の募金箱が設置されていますが、果たしてどれだけの人がそれを意識しているでしょうか、毎月の被災地訪問の記録はAKB48SHOWで紹介されていますが、以前よりもオンエアの尺が短くなってきているのが気になります。いつまでこの件を取り上げるのかという議論もあるでしょう。
運営としては今後も被災地支援を続けていくということで、大いに結構であり異論の余地はありませんが、ファンの間ではどう受け止められているのかが気になります。震災からまだ1年も経ってない頃ですが、全国握手会で話を聞かずに騒いでたファンをメンバーが一喝する場面を見たことがあります。当時ですらそんな状況なのですから4年経つとどうなるのか。さすがに毎日とは言いませんが、折に触れて思いを寄せることくらいはして欲しいです。募金をしたり、ボランティアをすることだけはなく、何かしらのかたちでできることはあるはずです。自分もこうしてブログに記事を書くことで微力なりとも貢献できればなと思いたいですが果たして役に立っているのか自問自答しています。

今日は各劇場で特別公演、そして昨年同様、被災地での訪問ライブも行われました。被災地訪問については受け入れる自治体側の準備もありますし、関係者のスケジュールの調整など大変だろうと思います。慰霊の日に静かに過ごしたいという人たちにとってはひょっとすると迷惑な話なのかもしれません。ファンから見ればアイドルというのは崇高な存在ですが、興味のない人からはどこか軽んじられているような気がします。いろんな考えがありますが、ライブを見て喜んだ表情の子どもたちの姿が全てを物語っているのではないでしょうか。
実際に被災地を訪れたメンバーが、その時の体験をブログ等で感想を綴っているのを見ると、個人差はあるものの、自分の目で見て考えることで初めてわかることがあるのだと、人づてに聞くだけで実感できないものを体感することの大切さ、それによって自らを見つめ直し、アイドルとしての存在意義を考え直すきっかけになっているのであれば意義深いことです。

チーム8の佐藤朱さん(宮城県)や舞木香純さん(福島県)は、実際に被災地訪問に訪れたAKB48の姿を客側で目の当たりにしていて、その後オーディションに合格し、AKB48のメンバーの一員となって、今度は自分が訪問する側になるという、4年という月日がもたらした変化というのを感じる出来事ですが、種を蒔いてからの芽が出るまでにある程度の時間が必要となります。
活動の成果というのはなかなか目に見えて現れるものではありません。ただ、今は芽が出てきたばかりの状態であっても、それがやがて蕾となり、いつか華を咲かせる時が来るのではと思っています。