言わずと知れた"原爆の父"です。

遂に映画に!ってか、今まであんまり映画内でお目に掛からなかったのは、ワタシの偏食癖のせい?と思ってみたりしたのですが、何とアメリカにとって結構な黒歴史だったのですね。そりゃ大っぴらにするのに時間も掛かるわけだ。


ワタシの乏しい知識では、彼の人はアインシュタイン後の最大の物理学者っと言う認識でした。ワタシ、理系の脳は持ち合わせないので、この世の事象を数式で表すなんて考えたくもないのですが、一方でSF好きなのでタイムパラドクスなんかは一応理解したい。そんな訳で相対性理論に首を突っ込んで見たら、数式を理解する気がない事が功を奏して、観念だけは割とすんなり理解できたのです。で、調子に乗って科学雑誌ニュートンなどつまみ食いした結果、オッペンハイマーの名も表面だけは知っていたと言う訳です。ついでに言うと、彼が原爆を実現させはしたけれども、それが実際に投下されてしまった事には大変な罪の意識を感じていた事も聞き及んでいました。

天才であると同時に繊細な人だったんだなぁ、と感心したものです。そう言う人であったが為なのでしょう、当時の思想においては、…イヤ、ヒトがもし清廉潔白な存在であるなら時代に関係なく…、理想的な社会体制であろう、共産主義に心惹かれた様で、左方向に支援などした事があり、その事が、原爆をナチスドイツよりも早く完成させ、アメリカのグローバルリーダーを決定付けた功労者であるにもかかわらず、のちにソ連のスパイ容疑で国家大勢から外されてしまいます。最終的には合衆国からエンリコ・ファミル賞を贈られてエネルギー分野で国に貢献したと認められ、その受賞で映画が閉められます。

描かれているのは、オッペンハイマーの半生と彼を絶頂から貶めたルイス・ストロースが商務長官として適任かを審議した公聴会とオッペンハイマーに掛けられたスパイ容疑についての聴聞会(ストロースの暗躍で開かれた)、これらが同時進行的に描かれ、公聴会のみ、つまりストロースのパートのみがモノトーンになるので、フェーズが違う事はすぐに理解できますが、公聴会も聴聞会も何が争点なのかの説明が一切ないので、この辺の歴史を知らない者から見たら、時間軸さえ解らず、しかもモノトーン画面を無意識に過去の事と認識してしまって、ワタシなどは大混乱です。(詳細が余りにも解らなかった為、二度鑑賞して、多少調べて、ナンとか大筋を理解しました)

オッペンハイマーは良心の呵責に苛まれるし、大変な想いをしながら責務を全うしたのに、挙足取りの様なもので失脚させられ、同情したくもなりますが、しかしストロースを審議した公聴会では、彼を軽んじる発言をしたりしていて、因果応報的な部分も確かにあったのでしょう。

それにしても国家単位の人事が結局は私怨で動いているし、原爆を投下した最高責任者・合衆国大統領トルーマンは悩めるオッペンハイマーとの会見でクソみたいな事言ってるし(映画内の事ですが、まさか適当に脚色した訳ではないでしょう)人間の浅はかさはいかばかりなのでしょう。

それでも原爆の開発一番乗りがアメリカで良かったとは思いますが。

ラストシーンはオッペンハイマーの心象風景です。あれは一見悲劇的又は絶望的な感じがしますが、覚悟を決めた決意表明とも思えます。人類が進化する限り避けられなかったであろう戦争と科学技術の行き着く帰結としての最終兵器。それを実現してしまった者の苦悩。

この作品の日本公開にあたっては賛否あった様ですが、今作が"グレイト・アメリカ"の映画ではない事は明白で、公開の是非を問うのは言い掛かりでしかないと思いました。


そして多分、ノーラン監督の良心はアインシュタインとオッペンハイマーの奥さんに込められていると思います。

二人の在り方は一本筋が通っていて、かっこよかったですねぇ。