2001年の米国同時テロを受けて開始された米国軍のアフガン侵攻。2021年まで米国軍はアフガニスタンに残留し続け、タリバン政権を崩壊させましたが、殲滅には至らず、撤退後は再びタリバン政権が復活しています。米国軍が作戦展開している間、通訳として働いた現地人達が多数おり、彼等は米軍撤退後、タリバン政権からの迫害を逃れて身を潜める様に暮らしているらしく、その事実を取り上げたドキュメンタリーにインスパイアされたガイ・リッチーが監督のみならず、制作・脚本にも名を連ねた作品だとの事。


2018年、米軍曹長ベン・キンリーはタリバンが隠し持っている武器や弾薬を摘発する作戦を展開していたが、相手の反撃に遭い被弾。重症を負うが、現地採用の通訳・アーメッドが100kmもの道のりを1人で彼を運び助ける。

この事で2人は英雄扱いを受け、キンリーは叙勲されて帰国。その後、アーメッドがアフガニスタンでタリバンに狙われて潜伏していると知り、彼の救出を働きかけるも、全く動かない軍に業を煮やし、ついに自費でアーメッドの救出に向かう。


中東情勢を詳しくは知りません。積極的に知ろうともしていませんが、それでも物心ついてこの方、中東の何処かで紛争が起こっていると言うニュースはずっと聞こえていた様な印象を持っています。

なんたる無駄でしょう。

信念の為に命を賭けて戦っているのだと言えば聞こえは良いですが、どれだけの命が消えたのか、宗教とは?国連とは?

と、改めて考えざるを得ません。

そうした背景は一旦置いておくとして、そんな中でも人は生きていて情は芽生える、そして命懸けで他者を守る事もある。

そう言う話でした。

義をもって義に応える。

当然とも思える論理です。と言うか、当然でなければなりますまい。果たして個人でこの主人公の様に行動できるのかは分かりませんが、少なくてもそれが正義である、と、この国では教えられているのではないでしょうか。

それを踏まえた時、この物語に於ける米国の態度は義に欠けていると思わざるを得ず、その為にこの映画が作られたのでしょう。

今現在でも戦争があり、同時に国連も運営され、暴力は元より差別や格差を無くそうとの声が世界中に満ちているけど、同じくらに偽善にも満ちているよなぁ、なんて毎度お馴染みのパラドックス。


キンリーがアーメッドの救出の為に民間の組織を仕切るパーカーをたよります。しかしこれが約束の日に人を揃えられず、当然の様に「三日待ってくれ」と言い、キンリーはアーメッドを保護したら、彼等をピックアップしてもらう手筈だけ整えて単独捜索に向かい、ギリギリの所でピックアップされますが、この時パーカーが言います。「あんた、あのキンリーだったのか。初めから言ってくれればもっと出来たのに」

こんなもんなんですよね。所詮。