人はなぜ異性と付き合うのか?
答えとしては、お互いに引き付け合い、お互いに恋愛感情を確認したからでしょう。ただの友人以上の恋愛感情に基づく親しい関係でいたいからでしょう。

考え方として、個人は独立した人格で、性格も違い、個性も違う存在だということと、男女の性差の根本は脳の違いだということを受け入れるところから人間関係を築くのが良いだろうと思います。もともと違う人と人とが付き合うのだから、「同じ」とか「似ている」とかは、思い込みの可能性があることを理解している方が間違いが少ないだろうと思います。

異なる存在の二人の間で、本当に似ているところや同じところがあることは、特別に喜ばしいことでしょう。そこから親しさが増すということもあるでしょう。




恋愛感情は、理由をはっきりされることは難しいような現象のように感じます。基本は片想いだろうと感じます。片想いは、相手を大好きになり近付きたい親しくなりたい相手の幸せに貢献したいという気持ちでしょう。そしてお互いに片想いだということに気が付くと恋愛関係になるのではないでしょうか?相手に愛して欲しいという感情よりも前に、自分が相手を勝手に愛している状態があるだろうと思います。




恋愛関係は、「妥協」ではないと思います。妥協ではなく、相互に受け入れること、違いも欠点も含めて受け入れることではないかと思います。お互いに受け入れることができれば、その関係は長く続くでしょう。歩み寄りも妥協も、納得してそれを受け入れるのなら、それも良いでしょう。ただし、相手のためとか関係のために無理して犠牲しているという理解では、押し殺している不満が残るだろうと思います。

そして、不満を押し殺していると、それは相手に伝わらないでしょう。伝えることをしないことも、不満を押し殺していることも、自分の中では、英雄的行動としてすごいことをしている感覚になるかも知れません。つまり、二人の関係を維持しているのが、自分の英雄的犠牲的精神であるということになります。そうすると、相手が自分を愛するのも当然だろうし、自分に奉仕するのも当然に思えてくるかもしれません。相手の犠牲を期待するかもしれません。ところがそれらは、相手によく伝わっていないのであれば、自分の中だけの勝手な妄想ということなのです。

お互いに相手のために自分が犠牲になっているという英雄伝説を自分の中に育ててしまうと、相手が自分に感謝すべきだと妄想してしまうかも知れません。相手からの愛情を当然だと思い、愛情を感じても喜びを感じなくなるかも知れません。

だから、妥協は危険だと思います。妥協ではなく、そっくりそのまま受け入れることでしょう。欠点も嫌いなところも含めて、意見の違いや価値観の違いも、そのまま受け入れることができるなら、それは恋愛関係だろうと思います。激論を戦わせても、大喧嘩をしても、違いを違いとして受け入れることができるなら、良い恋愛関係なのではないかと思います。もともと、同じ人間など一人としているはずがないのだから、その事実を基盤にすることを忘れないことが良いだろうと思います。

人として受け入れられないなら、その恋愛関係は終わりでしょう。