癒しびと Ⅲ     Rio  星の医者   

      

                            

                        

                                  

 

 

            インデイオの村

 

 

 すでに旧友 尾崎孝之の不在となったプランテーションの邸宅を、心にぽっかりと空虚感を伴ったまま瀬川は後にした。そして尾崎を知るインデイオ ぺリに伴われ、森の奥深くにある彼の故郷の村を訪ねた。 尾崎の妻Mairaの母親が、少女の頃に過ごした村でもあった。

そこには、昔白人の入植者により使用されたさびれた無人診療所があった。

瀬川は、しばらくそこに腰を据え、村の病人の為に診療をすることにした。かつて別の種族のシャーマンに教えられたハーブの知恵、そして熱帯医学と公衆衛生など近代医学の知見、それに、日本の東洋伝統医学の方法を彼なりに融合したものだった。

 

 かつて親友の尾崎は、医師瀬川と二人でできそうな、何かの大きな先住民のための医療プロジェクトを思い描いていた。 尾崎から瀬川が東欧の医学生時代に受け取った数通の手紙によると、近代医学と自然医療の共存のためのプラン、それに先住民の民族療法をつなぐための柔軟で共生的な方法を当時思案しているようだった。そこには古い先住民の習俗やスピリチュアリズム、そして文化人類学的な解釈をも含めた広範なものだった。

 

 それはまず、インデイオの伝承者たちが命を懸けて受け継いできた薬草の知恵を、彼らの国際的特許・既得権としていくこと。そしてそれに基づくオリジナルで複合的な日本でいう漢方薬のような生薬の保存の手法と製品化がメインだった。さらには、インデイオたちが採取するゴムの、珍しいエコなバッグなどの製品への応用。

また、森の天然染料などの高級素材としての欧米への輸出など・・、彼ら自身に利益が十分に還元され、生活の安定と、彼らの伝統的な自然との共存の生活の場を、できる限り外部にさらすことなく保存し、近代的な文明価値観を基準にせずに、原初的なままで存続できるようなそんな提案だった。生活圏を狭められ、西欧的な価値観と粗悪な物質文明にさらされつつある先住民族に、様々な難題を残しながらも、伝統文化の保存と従来どおりに生きる場所を確保しようとするものだった。Periと同じく、インデイオの血を引く尾崎の妻Mairaも、夫のその案にはとても喜んでいたという。

瀬川は、あの若い頃のように、旧友尾崎と大きな夢をもって膝を突き合わせて話しあいたかった。 が、今はもう、それができなかった。

 

 やがて、その村出身のインデイオの若い医師が村の診療所に戻ってきた。彼はこの貧しい村で育ち、尾崎の妻Mairaの学資援助を受け、都市部のハイスクールまでの教育を受けた。成績優秀で、その後キューバの国際医科大に推薦され、無償留学をして医師の資格を取っていた。卒業後、その医科大の無償留学の条件で、西アジアの戦災地の難民キャンプに派遣された後、この村に8年ぶりかで戻ってきていた。

瀬川は、しばらく彼に現場での臨床の助言や、アマゾンのハーブの伝統療法、鍼灸など珍しい東洋の医療技術の手ほどきをして、統合的な医師として自らの民族の伝統療法の本質を守り、そこに生きる人々の理解をはかり、その村をひとりで任せられるようにしていった。各地の伝統的な英知の、スピリチュアルなネットワークの必要性を瀬川はその若い医師に訴えた。

 

 そんな折、彼から派遣されたコーカサスのある小国の難民キャンプでの内戦の話を聞かされた。瀬川はその若い医師の卵に、人を癒す道を志す熱意と資質を感じていた。そして、涙ながらに悲惨な当地の状況を語る若者の話に、瀬川はいつの日かその地を訪れることを心に誓っていた。

 

 瀬川は、さらに奥地のインデイオの少数部族を紹介され、そこにぺリとふたりで出かけ、彼の現地語の通訳で、土地のシャーマンから様々な貴重な教えを受けた。

街にもどり、アフリカ系の霊的儀式’カンドンプレ’の集会にも出かけてみた。

かつてペルー寄りのアマゾンのインデイオの村で、幻覚植物アヤワスカを摂取した際の、あのトランス状態で見た夢に似ていた。

 

その後、ペリから、リオデジャネイロの心霊外科医の話を聞かされた。19世紀半ば、フランスで生きたアラン・カルデイックの思想を源流とする’スピリチュアリズム’が、ほかの南米諸国同様、ここブラジルでも古くより広く信奉されていた。彼は、その系統に近い有名な霊媒ということだった。 当時米国の作家が当地を訪れており、リオの市井の霊的治療家を扱ったノンフィクションの著作にもなっていた。

 ぺリに世話になった礼を言って別れると、瀬川は高速バスで、陸路で大都市サンパウロを経由し、リオ・デジャネイロへ向かうことにした。そこは、東欧の医学生時代に友人だったジュリオの故郷のはずだった。

 

 

 

 

 

TRANSIT(トランジット)25号 美しきブラジル (講談社 Mook(J))

 

 

 

   リオの神霊外科医

 

 

 瀬川はリオの海辺のカフェのベンチに座り、霧交じりの海を眺めていた。長い旅の休息に、久しぶりにひとりくつろぐことができた。太陽が燦々と輝き、どこか懐かしい爽やかな空気のにおいがする。自然の造形に溶け込んだ美しい土地だった。丘の中腹に、陽を受けたファベイラの粗末な家々が居並ぶ。 経済の行き詰まりで貧富の差も激しくなり、犯罪も増加しているようだった。でも、瀬川はこの街が、まるで夢に見る故郷のように、何故か勝手気ままな自分自身に相性良く感じられた。

 一昔前、ビ二シウス・ジ・モラエスという名の詩人が、この同じカフェのベンチに座り、目の前を’通り過ぎる’エロイーザという美しい少女のために詩を書いた。それはのちにトム・ジョビンの曲によって’イパネマの娘’というボサノバの詞になった。彼は、フランスのボードレールの詩からそのイメージを得たと伝えられている。

 

 瀬川がこの街で出会う人々は、どこか穏やかだった。 肌の色がまちまちで女性も美しく、陽気で、どこか情が深かった。異邦人の瀬川にも優しかった。瀬川の歩いてきた他のスペイン語系の南米諸国とは少し印象が異なっている。そこでは少しプライドの高い白人系と、静かで素朴な、外部から目をそらしがちなインデイオ系の顔立ちの二つに分離されているようで、どこか中南米の虐げられた長い歴史を象徴するようだった。

 丘の中腹の最も見晴らしのいい場所に、この街の最も貧しい住民たちがひしめき合い、身を寄せ合って住み着いている。人生の喜怒哀楽、長い軍政の陰り、様々な世情のしわ寄せを一身に引き受けて、その場所に生まれてきた理由、この先そこで生きていくわけを彼らなりに見つけ出して、逞(たくま)しく、そしてリオの太陽のように陽気に日々を送ろうとしている。

・・年に一度のカルナバル、一生懸命働いて蓄えた、わずかながらのお金を、神の準備したその大イベントにそのほとんどすべてをささげる。そして、それが終わるとけだるい憂鬱の水曜日がやってくる。とぼとぼとまた、来年の次の祝祭の日のために街に働きに出る。瀬川は、そんなファベイラの診療所を訪ねてみようと思っていた。

 瀬川の今いるカフェの周りには、金持ちたちの住む高層マンションや高級リゾートホテル、そしてしゃれたカフェやパブが並んでいる。瀬川は、潮風とともにどこからともなく流れてくるギターの悲しげな旋律に耳をくすぐられながら、ここに来るまでの旅の回想にふけっていた。

 

 

 旧友尾崎の妻Mairaの死のことが、瀬川の心の中でやはり尾を引いていた。友と幼い娘のその後。

・・一体、どこで今頃何をしているんだろう。 かつて会社の後輩から漏れ聞いたうわさでは、尾崎はしばらく、娘と二人南米を転々として、会社を早期退職している。が、その後は行方が知れぬとのことだった・・。

 

 瀬川は、ペリに話を聞いていたその心霊外科医にぜひ会って身近に助手をしてみたいと思い、その場所を探し歩いてみた。

 この土地は、Magicに寛容だった。人に不幸をもたらす為の呪術の手段としても、また逆にそれにより病より命を救われる民間医療の方法としても、人々の間にこの古めかしいマジックは健在だった。 未知の霊的な力に、人生と生活の多くを委ねることを、この土地の誰もが日常的に受け入れているようだった。

 

 人に尋ね歩き、やっとのことで、それらしき場所を見つけ出した。その霊的医師の元には、近隣諸国からの重病の患者をも含め、毎朝、千人もの貧しい患者達が訪れ、治療のため列をなした。

その仮設の治療所となったのは、リオのはずれのある小さな出版社の倉庫であった。

 

 彼には第一次大戦でエストニアの地でなくなったドイツ人の医師 アドルフ・フリッツの霊が憑依するとのことであった。 彼は、メスを握ると患者と和やかに会話をしながら、無麻酔で無痛・無出血の外科手術を施していた。最初にフリッツの霊媒となったのは、田舎町コンゴー二オス・ド・カンポのアリゴーという男だった。彼のもとに南米中から医者に見放された患者たちが訪れ、その多くにアリゴーは奇跡的治癒をもたらした。彼がなくなってから、その後、霊的医師の媒体は何代も引き継がれ て、今日に至っていた。瀬川は、さっそく見学と助手を願い出ると快く許され、いま、そのいにしえの医師の憑依するという心霊外科医フリッツのそばに立った。 
 当地の大学病院の外科医も匙を投げた危険な部位の悪性腫瘍も、患者にジョークで話しかけながら、驚くほど短時間で切除していった。 患者といえば、その医師を見つめ微笑みさえうかべ、痛みの表情はまるで無かった。 その外科的手技の鮮やかさは近代医術を学んだ瀬川の目にも驚くべきもの、いや、それをさえはるかに凌駕する何世紀も先の医療のあり方をも予言するものに思えた。
 レーザーメスも、薬剤ももう必要なかった。無痛・無出血ゆえに出来るすばやい処置も、ミクロの次元での内なる眼で適確に病のありかを探りだし、常に生命の全体像を見据えながら、周囲細胞組織や神経・血管すら損傷することなく、病的組織を剥離(はくり)していった。洗浄や消毒、滅菌という微生物に対する配慮もほんの形式的なものだった。瀬川の知る近代医学の感染の概念からすると無謀な行為に見えた。

だが何故か、それが無菌下で行われているように術後の感染症を残さない。見かけの施術行為とは別のところで、ウイルスや微生物などの動態よりミクロの次元でのエネルギーのやり取りが起きているような印象だった。それが何なのかは科学的には不明であった。

 だが、これまでの旅の途上で瀬川が出会ってきた様々な伝統的療法に、原理的に共通する何かがありそうだった。今、目の前で起きている奇跡的現象は、自然の統合的な摂理のなかでの一貫した統一原理で説明できそうだった。 

 それらすべてを包括する、言葉にならぬ、理屈を超えた何ものかの合目的な力がある気がした。

それは美しく、穏やかで、慈しみに包まれている。 でも、とてもシンプルな何かであった。

その神霊医師は、助手の瀬川の目を見ると、穏やかにこう言った。
 
 ”・・・君の前のこうした医療器具を使った目に見える手術も、じつは必要ないのだ。 

 微細なエネルギーで、全てを見通し、そこに働きかけ、処置をすれば、目の前の物質レベルの肉体的治癒へと導くことは容易だ。’病’にはすべて意味がある。
 
 人はまだ未熟で、目で見えるものでしか、その意味を理解することができない。 
だから、私はあえて、今の時代でいう物理的な’手術’という方法を選び、背後に三千の数多くの霊的医師たちの守護のもとに、それを行っている。ミクロとマクロはエネルギーで一貫して共振する。
 
 ・・ただ、病の奇跡的治療は本来の私の目的ではない・・。 
 
 本当の宇宙の愛に人を気づかせる為のひとつの方便に過ぎない。
 病や不幸を通して宇宙の摂理である神の愛を知り、それに感謝し、自分のこの世での真の使命を知り、隣人を愛し慈しむ・・。たとえつらくても、生きていくことの意味・・。


 そうした生への気づきこそが、最も大切なことなんだ・・。

 

ここでの使命を終えれば、私は次の星の、別の世界に生きる人々のもとに行く・・。”
 
 奇跡的治癒をもたらすリオ・デジャネイロの霊的医師の中に宿るその’ 光 ’は、瀬川にそう語った。

 瀬川の見守る前で、彼は目を閉じて一瞬頭をかしげると、南部の古いドイツ語なまりで何かつぶやいた。と思うと、現在はもう使われていないような、単純な化学組成式の薬剤の処方箋を、素早くそこに書き記した。目の前の患者にそれを手渡すと、これを薬局でもらって飲みなさい・・、とそういった。生体との分子相互作用は、元来自然界にある単体の分子のほうがエネルギー的に効率が良いのかもしれない。

 例えば、構造の単純な水素分子気体を体内に入れ、肺や腸管で血流に交じり末端の組織の細胞膜をも通過して、細胞内のミトコンドリアで産生されたヒドロキシラジカルを捕捉してくれる。生体内の細胞傷害性の活性酸素消去に有効で、汎用的に様々な酸化ストレスに基づく疾病改善に大変有効であるのを、瀬川はかつて救急医療の現場で経験していた。心停止後の血液再灌流障害に対し、水素ボンベによる同時吸引で多くの命が救われていた。
 

 Dr.Fritzは、後ろに準備してあったホワイトボードに、チョークで何やら不思議な古代先史文明の象形文字のような綴りで、一行の宇宙方程式のような数式を書くと、興味深げにそれを見守る瀬川にこういった。 

 

” これが生命と宇宙の法則をシンプルに表現したものだ ”と・・。

 

 瀬川は医学生時代、何故か現代の多次元をつなぐ幾何学にひかれ、数学や物理学を独学したことがあった。

そして、ロシアのある先端の物理学者が書き記したシンプルな宇宙の万物のエネルギーの原理を示す方程式を思い起こしていた。 かつて若い中世の医師の卵たちは、天文学や幾何学を必修として学んだという。

瀬川は医学生の頃、図書館で、古来からの医学史の本や、中世のラテン語訳の医学古書を寮の自分の部屋に借りてきては、辞書を引きながら夜ごと夢中で読んだのを思い出していた・・。 

その頃自分の中にあった多次元幾何学や物理や古典を学ぶことへの渇望は、今目の前に展開する異次元現象を読み解くための準備だったのかもしれない。この日にむけ、魂のどこかで、未来に呼び寄せられる何かを幻視していたのだろう。

 

 目の前の心霊外科医師は、自らホワイトボードに板書したその文字を、目の前の患者にそのまま書き取らせると、家に帰ったらその紙きれを患部に当てなさい、などと指示することもあった。


 昔読んだあの老医パラケルススが古医書の中で述べていたように、地球上に生きる我々の’迷妄の壁’を突き崩すために、或いは’病という苦悩’からの解放が、自分の一生において実は何を意味するのかを気づかせるために、この霊的媒体は今この瞬間に現れているのかもしれなかった。瀬川は自分がそんな稀なる縁を持てたことに今感謝していた。

どこかの異次元空間或いは遠い宇宙から、地球上の今の現象世界に生きる我々の前に、彼は何かのメッセージを抱いて現れていた・・。

 

 前世紀にドイツに生きた従軍医師'Fritz'の魂を借りて、この現代の世界に仮の姿を現しているのだろうと・・。その霊媒の背後には、はるかに知的進化を遂げたこの地球に縁のあった異次元時空の3千もの知的生命体が、その’善意’のみで我々を見守っていてくれるのだと・・。

瀬川はそう考えてみた。
 
 この出版社の倉庫の仮設診療所には、時としてリオや近隣の都市から、フリッツに共鳴する西洋医学の医者が訪ねて来ては、身分を隠して助手を願い出ることがあった。 

霊術家は、時々注射針を使って患者の背中の皮膚の東洋の伝統医学の’ツボ’のような部位に突き刺し、それを片手で軽く抜き差し刺激しながら手術をすることがあった。 

そこで興味深く見守る瀬川に東洋のハリ療法の心得があるのをフリッツが霊的に見抜くと、そっと目くばせした。そして、その場で高次の霊的な’ハリ’の打ち方を手を取り教えてくれた。

 言葉を伴わない瞬間的な心の相互コミュニケーションを通じ、その場で瀬川は貴重な体験をすることになる・・。 フリッツは瀬川に言った。

 “光の螺旋を鍼(ハリ)に伝えなさい・・。愛に裏打ちされた光の鍼は、

・・そう、君にとり、この世の弱者の為のものなのだ・・。” と、そう教えてくれた。

その時、ふと、あの日のエバの面影がフリッツの傍らに浮かんだ。

弱者のためにエバはひとり身を捧げていた。瀬川は涙した。先ほどまでの緊張が瞬間消えていた。

 それを察したのか、フリッツに少し寂しそうな表情が浮かんだ。 が、すぐにこう続けた。 
” ・・それは、君のために生きた’慈しみの愛’だ。・・心のどこかに留めおきなさい。 

 かつてドイツに生きた思想家ルドルフ・シュタイナーの言葉にあるように、医者は生体を覆う微細なフィールドを、内なる目で知覚できるようにならねばならない。

そう、肉体を診る前にそのエネルギーの流れを読み、その微細な振動のレベルから、やがて荒い肉体の振動レベルへとむけて癒していくのだ・・・。今の君の心には、それに必要とされる繊細さと優しさがある・・。” と。

 ’慈しみ’の想いこそが鍵であり、人類共通の癒しの技であった。 

 

 フリッツはつづけた。

” 今地球上でいう量子論など、先端の物理学の原理を一通り医者は学ぶべきだ。

何らかの膨大なエネルギーが供与されるなかで、分子や原子のミクロなレベルでのエネルギー転換の原理の可能性を知っておくことだ。経験を通して、自ら治療を施す手の内でそのイメージを現実化し、やがて既知のものとしていかねばならない・・。”と。

 

 これにより、人間が五感の限界を超えることができる。そうすると、これまでの数々の近代医学の高額な医療機器を使った煩雑な検査や治療の手順は省くことが可能になる。 

医療にかかる費用は安く抑えられ、たとえ貧しくとも世界中の誰もが受け入れることのできる未来の癒しの技になる。瀬川はそう思った。

 


 愛と慈しみの’意識’こそが、あらゆるミクロな場を繋ぐ素粒子間の力をも、時空を編成しなおして、すべてを自由に操作しうるようであった。 学生時代に通った修道院での断食中、瞑想の中で現れた光り輝く黄金のフィールドは、宇宙と伴に呼吸し、真空の微細なエネルギー流を注ぎ込むように肉体の周りで穏やかに脈打っていた。

エバと二人で訪れた、雪のホワイトクリスマスの聖堂。あの日のマリア像の眩いばかりの輝きは、純粋なふたりの愛への祝福を、その面影に静かに投影したものだったのかもしれない。

 瀬川はいま、からだを覆う光のフィールドを感じ取れ、破損した細胞組織の治癒の過程がエネルギーフィールドの光の授受という形で修復されていくのを、内的視覚により見ることが出来るようになっていた。 

 それぞれの細胞、組織や人体器官は、独自の周波数を有する回転と揺らぎを持っているようだった。 そこに、医者は内的な意識の振動によるチューニングをもって誘いかけ、その共振部位を探り出す。無尽蔵の宇宙の場から、それに適う微細なエネルギーと情報を引き出してそこに組み入れ、大自然の本流から逸脱したものから、あるべき流れへと引き戻し、生命を共振、賦活していく。

 かつて中国の山岳地で修業したあの太極拳を教えてくれた道家の師のいう’気’の医学のイメージに共通するものがあった。

太極拳は、静かな心身の動きの中で気の発動を促し、意識と身体で、気の流れに’捩じれと回転’を生じせしめ、宙からの無限の力をそれに乗せることで、体内に自ずと強いパワーを秘めたエネルギーを醸成していくものであった。 ある時は無尽蔵のエネルギーでひとを癒し、またある時は自己に危害を加えようとするものに武術的な衝撃で自己を破壊から守ることもできた。

 人と人、人と自然をつなぐ環、普遍の慈しみの気づきこそが、ひとに自らの心身の病の本質を気づかせ、実は自己治癒を促すものであった。

その気づきで、本来の自然に適った生き方に回帰し、周りに謙虚な思いやりと慈しみを広げていくこと。・・それがフリッツの魂がその奇跡的治癒を通じて、未熟な人類に伝えたかったことなのかもしれなかった。
 
 そうやって人の意識が研ぎ澄まされていけば、この地球は遠い宇宙から見て、より輝く美しさを取り戻すに違いなかった。 瀬川は心の中でそう思った。

 瀬川の目で見ると、昔のドイツ人の医師フリッツの霊が憑依する刹那、明らかに一瞬にして霊媒の生体のフィールドの色や形が変化するのが知覚できていた。

それまであった人間の肉体上の粗雑なエネルギー反応がすべて消え、メスを握る手だけが光るエネルギーに輝いていた。 そして、さらにその数メートル上には、丸い光体が浮かんでいた。

 宇宙の意思がひとの直感と共鳴したとき、膨大な宇宙ホログラムの絵巻が紐解かれ、そこに新たなエネルギーが渦巻き、目の前に実体化された。瀬川の知覚、我々人間の五感でキャッチできる姿となって・・。 人の意思(慈愛)は、唯一、宇宙の真空の場に働きかけて、気の渦の流れを導き、この世に実体化したすべてのものの創生の鍵となるもののようだった。

 それが次の世代の医療の姿なのだろうと、瀬川はいま思っていた。

 そしていつか、純粋な志を持つ途上国の若い医師の卵たちに、この内なる癒しの原理を伝えたかった。

 

 

 

 

 瀬川は想像してみた。 いま目覚め始めたこの霊的直観は、ある種の電磁波信号による非線形力学の’誘い水’としての共振コアでもあり、量子論的な観測装置でもあった。宇宙の無限の青写真は瀬川の意識の’観測装置’により、波動関数が一つの状態へと収束し、現象界に実体化しているように思われた。

 それが再びマクロな脳に認識、長期記憶され、細胞内のDNAに磁気的情報として固定保存される。それがまた次なる新たな共振の為のコアとなり、連鎖的に新たな情報を収束してそこに折りたたまれていくように思われた。

次々と、自己組織的に一連の合目的な’意識’の流れの中で、宇宙ホログラムの情報の倉庫から新たな英知が導き出されていった。

 生命の進化は、そうした意識との相互性の中に成り立ってきているようだった。


宇宙のシステムや構造の相似性は、なぜか宇宙創生の140億光年より、さらに彼方の無限宇宙にも認められる。 ビッグバンによる小宇宙の生成の背後には、その形成に必要となるマクロな宇宙進化、生命進化の為の青写真が情報として既に横たわっているのではないか・・。

 そこに生まれた記憶の断片は、原初の記憶として、DNAにも、今は役割の不明なジャンクの目に見えぬ信号として留まっているようだった。いつか封印を解かれる日を待って・・。

地球生態系、宇宙と共進化の記憶とともに、その雄大な青写真のなかで、ひとは’真空の場’を通じ共に振動し、全体系へと繋がっていた。全なる一であった。

 見えない世界の可能性を、意識はこの3次元世界に顕現させることができるようだった。
 

 瀬川は、聖なる医者の大いなる叡智に感謝して、リオの仮設の粗末な診療所を離れた。

 

 

 

 

 

宇宙(そら)からの医者―ドクター・フリッツの奇跡

 

ドクター・フリッツ奇跡の生還

 

 

 

エノクの鍵 ― 宇宙の仕組みを解明し、本来の人間へと進化させるための光の書