Maria  santiago Ⅰ    サンチャゴの雨

 

 





” 悠、・・‘スクール・オブ・ジ・アメリカ’・・って知ってる? ”

 

 窓の外は、いつの間にか、淡いブルーに白じんできていた。 二人は、踊り疲かれ、喉の渇きを残ったラム酒のカクテルの氷で潤した。そして先ほどのバーテンに別れの挨拶をしようとした。 顔に深いしわを刻みこんだその初老のバーテンは、カウンターの向こうの端に腰かけた黒のスーツを着た老人と椅子に座って何か話し込んでいた。彼らはヨーロッパ系であった。

 

 黒の老人の額の傷跡が微かに遠くから見えた。 悠は、昨夜の一件以来、とてつもなく大きな宇宙の流れに浮かぶ小さな枯葉のような、自分のちっぽけな運命らしきものを感じていた・・。

 あの黒の老人とは、かつて 旅のどこかで出会った印象があった。 が、今は思い出せなかった。
 
 悠は目の前のマリアを見て、我に返った。 マリアの口にした言葉を、いつか日本で、師の老人山崎の屋敷で、あの若いインテリ青年 高栁 亮に聞かされたことがあった。 

ただ実は、この国だからこそ、人前でこうして、酒を飲みながら口にできる言葉だった。 時と場所によっては禁句だった。
 
 “・・噂は聞いたことがあるよ。

中南米の軍事独裁者や将校の卵たちは、密かにこの殺人者養成学校で学んて祖国に帰る。そして大国の諜報機関や多国籍資本との癒着や保護の下、出世を保証される。そして決まって、傀儡になり下がった自分たちの独裁の不利益になる多くの人々を弾圧し拷問・虐殺してきた、・・と。”

 マリアは頷いて、さらに言葉を続けた。

いつか見たあの中米の幼いゲリラ戦士の目に似ていた。
 
“ ピノチェトの部下の中にも多くいるわ・・。エルサルバドルの基督教大司教の暗殺に携わった将軍もそこの出身よ・・。
 先ごろローマ法王が訪問し、軍事政権の人権抑圧に対する非難をしたわ。神職者や反体制派の人々は、俄かに勢いづいてきている。  
 チリの社会主義政権を転覆させ、何千人もの犠牲者が出るのにも目をつぶってきた北のあの国でも、このところ自国の国民が非人道的で老獪な軍事政権への根強い嫌悪感を持ちはじめたわ。そのため、再び自分の裏庭に社会主義政権が世論の支持を受け誕生するのを恐れてか、かつて陰から支持していた老将軍の軍事独裁政権を今更非難し始めた・・。  "

 ローマ法王ヨハネパウロ2世。悠が学生の頃、留学してエミーナと過ごした、あの東欧クラクフの大学で、この法王も自分より半世紀も前に、その若き日を過ごした。

14世紀からの古い歴史のある厳かな講義棟で学び、静かに神の前に何を祈り瞑想したのだろう。 同じ学び舎にひと時でも過ごせたことを悠は光栄に思っていた。

 

 高校生のはじめ、まだ元気そうだった母親の横で、母の読みさした新聞の記事を見ていた。法王が東欧の改革期に、北の共産主義超大国に向けて人道的批判をしたことで、当時世界中のメデイアをにぎわしていた。白い母の横顔とともに、その日のことを今寂しく記憶によみがえらせていた。

 それからしばらくして、悠の母親は白血病で亡くなっていた。 次の冬、法王が、母の生まれ故郷、長崎を訪れていた。そして浦上のかつての原爆の殉教者たちのために祈った。幼い悠が母親と訪れたことのある天主堂のそばだった。

 "サンチャゴに降る雨"という映画があった。 悠は学生時代によく通ったあの場末の映画館で、久しぶりにみた。その日も、例の’哲学者’の館の主は、窓口の向こうで、難しい顔をして黙って本を読んでいる。ふと度の強い丸眼鏡はこちらに気づくと、そっと本を閉じて、不愛想にチケットを切った。今日は、いつものような原書ではなかった。

 ’収奪された大地’ 本のタイトルがのぞき見えた。悠は覚えておいて、いつか本屋で立ち読みしてみようと思った。くだんの哲学者が読む本である。間違いはないであろう・・。

 

 ドアを開けると、主題曲のピアソラのバンドネオンが場内にすすり泣くように流れている。

その後、悠は、その音色を、中南米の旅の途上でたびたび耳にするようになる。政情が不穏な地域ほど、ラジオから流れるその美しい音色に込められた、長きにわたる’収奪された大地’の歴史の悲哀が、悠の脳裏に浮かび上がっていた。

  ミゲル・リチン監督の映画” 戒厳令下チリ潜入記 ”という作品を見たのも、ここだった。

”文芸座”という名ばかり立派な、さびれた場末の映画館で、まさにそのわびしさに似つかわしい冬の雨の日に、暖かい場内で、パンをかじり眠気まなこで映像を見つめていたのを覚えている。 この映画はノーベル賞作家ガルシア・マルケスがのちに一冊の本にした。 まだ、わずか数年前のことだ。

 

 妙な喪失感に打ちひしがれていた悠の孤独な心を、微かな隙間風まじりに、あの哲学者の”文芸座”は、いつも素朴で温かな安堵感で包み込んでくれていたように思う。 

 だが、当時の悠には、これらの映画はどれも悲惨なだけで、ショックで胸がむかつき、夜は食欲がなかったのを覚えている。 平穏な自分のいる日本からは、あまりにも遠すぎる現実のように思えていた。 こうした悲惨な映画を好んで上映する哲学者も、少し自分とは違った’趣味’の世界の人なのかもしれないとも思ってみた。 自分も、いずれそんな悲惨を’好んで’追い求め、世界中を走り回ることになろうとは、その日の悠には想像だにできなかった。

 

 ひとの生死の重さを身に染みて感じとれるようになるには、さらにもうしばらくの重い体験が若者にも必要のようであった。

 

 アジェンテ大統領率いる社会主義政権がアメリカの経済封鎖で国内経済は窮地に追いやられ、CIAの工作と、ピノチェトのクーデターによって、転覆させられるシーンをふたつの映画は描いていた・・。

 ピノチェトの率いる軍のクーデター直後、大統領アジェンデはモレダ宮で死に、その後市内の国立競技場に多くの市民が集められ、軍により拷問・虐殺されていた。 哲学者の本に延々と描かれた遠い南米の悲劇と、映画で描かれた現在の悲劇の背景の因果関係が、まだ悠にはよく分からなかった。 実はそれは、500年の南米大陸の歴史に深く刻み込まれてきていた潜在的悲劇でもあった。

 若い悠が憧れたあのチェ・ゲバラが、まだチェの愛称で呼ばれる前のやはり同じ若い学生のころ、南米を旅してその鋭敏な感性で鮮烈に感じ取った、あの”虐げられた大地”南米に深く刻み込まれた歴史の闇であった・・。

 

 

 マリアは悠と客の引けたフロリデイータを出ると、火照った体を悠に預け腕を組んで、涼しい潮風が吹く海岸のマレコン通りを、ゆっくりと歩いていた。夜の海岸通りは、少し湿ってオレンジ色の外灯に照らしだされ、暗い海から穏やかな波の音が聞こえていた。 向こうにモーロ要塞の灯台の微かな明かりが揺れている。 マリアは、ブロンドの髪をかき上げると、悠に話した。

 

” まだ幼い頃、祖々母に連れられて、かつてのクーデターの日を記念した祝典に、大統領府まで出向いたことがあるの。祖々母は、この地域では貴婦人だった。受け取っていた祝典の招待状は、いわば慇懃無礼な召喚状のようなものだったわ。

 かつて民主派の銃撃戦の最後の砦となったモレダ宮が会場だった。きれいに戦いの跡は修復され、その名残はなかった。

 髭の将軍が何を思ったか、ずっと自分をにらみ据える祖々母に近づくと、隣にいた小さな私を抱き上げたの。私に微笑んで、何かひとことエレナの方に向かって言った。

 それを聞いたエレナの哀し気な目。そしてサデイステイックに皮肉気に歪んだ将軍の目と、口元の黒髭の葉巻の匂い。 今も覚えているわ・・。”

 

 悠は、マリアに気づかれぬよう、思わず’ぴくっ’と身を震わせた。 瞬間、くわえていた自分の葉巻にむせ込みそうになった。   隣で、マリアが続けた。

 

” 両親はね、信望の厚かった医師夫妻だった。

当時大統領だったアジェンテを熱烈に支持し、医師としても多くの人の役に立ちたいと、ポプラシオンという貧民地区にもよく往診に出向いていたわ。

 

 母の名はエリザ。私も幼いころよくそこに一緒について行って、母の診療中、夕方星が空に輝き始めるまで、子供たちとよく遊んだわ。 母は、優しい笑顔で私にキスをすると、私の手を握って、何かの歌を一緒に歌って歩いて家路についたもの・・。
 祖々母のエレナと一緒に、私たちはサンチャゴのサンクリストバルの丘のマリア像の見えるバリオ・アルトと呼ばれる山の手に住んでいたの。 エレナがかつて欧州の故郷に似せて建てさせた石造りの邸宅だったわ。”

 

 マリアは所々遠くに光りの揺らぐ海を眺め、懐かしそうに微笑んだ。

 悠は、マリアの横に座ると、”コマンダンテの匂い”の葉巻を一本、風に揺らぐ上着のポケットから抜きだしてみた。そして手のひらで風をよけながらおもむろに火をつけた。 ・・まだ少し、手が震えていた。

 

マリアはつづけた。
 ”軍の クーデターが起こり、アジェンテ大統領が最後の演説と軍との交戦の後、大統領府で死を遂げたの。

 それからすぐに、前触れもなく医者の父と母は、アジェンテ支持の社会主義者として貧民区に往診に出ている先で、やってきた国家警察に逮捕された。

 幼い私に顔を見せることも無く、あの国立競技場にそのまま連行され、二度とは戻らなかった。  1973年の9月のこと・・。”

マリアは悠の横で、こうべを垂れていた。

 

  悠が若い時に意味もわからずに、映画館で胸を悪くしてみていた、あの国立競技場での惨劇であった。
 “サンチャゴに雨が降っています。 季節でもないのに、イースター島とサンチャゴに・・、

 激しい雨です。
 周りの人にもに伝えてください。サンチャゴに雨が降っていると・・。”


 映画の中で、早朝、何故かラジオから声が響いていた。

それが、マリアの両親のその後の運命を定めることになる、9月11日の軍のクーデターを知らせる声であった・・。


 ” 両親の失踪後、年老いた祖々母エレナに育てられ、その後、寄宿舎に入ってカトリックの女学校に通った。

 むかし戦争末期に、ヨーロッパから幼い母を連れて、祖々母は欧州を逃れ、南米のチリに移ってきたの。

 幼いころから、母も、医者の家系だった祖々母から教育を受け、医者を志した。 そして、猛勉強で無事チリの大学の医学部に進学した。大学で反政府活動をする医学生の父ペドロと出会い、やがて学生結婚でふたりは結ばれたの。 でも、私がこの世に生まれたのは、両親が大学を出て医師になったずっと後。 父は、地下でアジェンテの支持組織に加わり、母は、卒業して医師の資格を取ると、炭鉱や漁村など、貧民地区の無償医療活動をしていた。

 

 あの運命の日、両親が私の前から理由もなく姿を消した。それからずいぶんしてから両親のその後・・を、祖々母エレナから教えられたの。

思春期の私は長い間、寄宿舎の自分の部屋でひとり苦しんだ。

でも、年老いたエレナがそれを知って悲しむのがいやで、私はひとり勉強に熱中した。そして、両親ふたりと同じ憧れのチリ大学の医学部に入ったの・・。

 

 ちょうどその思春期の辛いころにね、どこのお人好しか知らないけれど、私と年老いたエレナのことを気遣ってね、いろんな心温まる贈り物を、ほんの短い励ましの詩を添えて、一人寂しく過ごしている寄宿舎に私に知られぬようこっそり届けてくれた。 エレナは知っていたようだけど、私には、いまだに、いとしいあしながおじ様・・。 

震える筆跡で、’ ドン・ビショップ ’なんて、サインしてね・・。 おかしいの・・。”

 

 悠は、それを聞いた途端、また葉巻の煙にむせて、今度は 続けざまに咳をした。

どこか身に覚えのある話だった。 ・・小さな漂流船での格闘の末、歪んだ三角目の鮫に引きずられ、暗いカリブの海の底へと螺旋を描き飲み込まれてゆく自分の姿が浮かんでいた。

 

” ふふ、どうしたの、’二度め’ね。 ・・やっぱり、葉巻は苦手そうね、悠。”

マリアは微笑んだ。

 

” ・・それから、愛する祖々母エレナが亡くなって、おじ様から今はもう便りはないわ。

 私には、大切な心の支えになってくれてきたひとよ。 見知らぬ人のまま、何処かで会っているのかもしれないけど、きっと忘れず今も見守っていてくれる・・。 ”

 

 悠は、生暖かいカリブの海風に、なぜか背筋が冷える思いがした。暗闇の風からマリアを守るようにして、自分の上着を脱ぐと、マリアの肩に掛け、抱き寄せた。 

 

” ・・きっと、そうなんだろう。 

 夢の中の’王女’様は、いつも人影から、名も無い誰かにそっと守られるべきなんだ。

世の中には、そうして初めて自分の生きている証(あかし)を見つけることのできる種族がいるものさ。自分もそんな仲間のひとりかな。 永遠に・・。

 君の言うとおり、・・コマンダンテも愛したこの国の葉巻の’幻惑の’薫りも、ちょっと僕のナイーブな心臓にはきつすぎるようだけどね・・。”

 そういうと、口にくわえていた葉巻を片手にとり、どこまでも永遠に続きそうな暗黒の波間に向けて放り投げてみた。

 

 マリアは、くすっと微笑んだ。

” ・・ありがとう 悠、うれしいわ。 

 でもね、あなたのは、・・’英雄’の薫りよ。”

 

 そういうと、マリアはさし出した人差し指で、そっと悠の唇に触れた。 

 悠はその言葉に、なぜかほっとした気分だった。

 何処かの無名戦士の墓標に、香ぐわしい花束がそっと添えられたようだった。

 悠の心は、再びあぶくと伴にカリブの底から浮上した・・。

 

そして遠く朝焼けの海を見てマリアは続けた。

 

”・・いつの日か、自分の愛する国が平和になったら、両親と同じように貧民区の人たちの為につくしたかった。 あの恩師のおじ様にもそんな私の頑張る姿をどこか遠くから見ていてほしかった。 医者になってから、同じ医師だったアジェンテの生まれ故郷パル・バライソや、詩人パブロ・ネルーダの居宅のあった漁村イスラ・ネグロにもよく行った。

 

 国立スタジアムで、警察隊の前でギターをもって歌い、その場で殺されたビクトル・ハラの抵抗の歌が、寂しく何処からともなく響いていたもの・・。 きっと両親もあの日そこにいて、聴いていたはず・・。

 でも、ひとり出向いていたある村の往診先で、貧しい人々が私たちの活動や話に勇気付けられるようになってくると、噂に密告する右派の人が出てきて、警察は目を光らせるようになってきていたわ。 ある時、遂に何かの捏造で国家反逆罪で逮捕状が出そうたとの情報を、知らされたの・・。それでなくとも母の時代と変わりなく秘密警察の検挙拷問は日常茶飯事の国・・。”

悠の腕の中で、マリアは目を伏せた。

 

 その後、マリアは追われる様にして、年老いた祖々母エレナを残し、レジスタンスの導きで国を逃れた。


一端メキシコに出て、しばらくして、戦乱の中米にひとり医療ボランテイアに入ることにした。 あれから数年・・。

 その同じメキシコに戻り、カンクンを経て、祖国への帰途に飛行機で立ち寄ったこのカリブの社会主義国は、マリアが前から一度訪ねてみたい国だった。
 ここでも、マリアの国と同じように、北の巨人は経済封鎖をしかけ、この国の経済を疲弊させ、今にも息の根を絶やそうとしていた。 そして、かつてのカリブのカジノの時代の郷愁にかられ、巨人の国の多国籍資本が甘い汁の味に惹かれ、この土地をマーケットとして奪い戻そうと手ぐすね引いて待ち構えていた。

 医薬品や医療機器も輸入が途絶えていた。 

 

 マリアは、マレコン通りの海岸沿いの、オレンジ色の朝焼けに染まり、潮風に揺れる椰子の葉の下のベンチに座った。大きく明るいブルーに色づく星空に向けて伸びをして息を吸ってみた。 先ほどの怪しい銀色の月は、もう元気をなくして雲に隠れ、眠そうにしていた。


" ・・いつの時代も世界中のどこかの貧しい国を自分達の配下に置いておかないと気がすまないひとたち・・。

  自分たちだけが優性主義で、神に選ばれていて、ダーウィン的な弱肉強食の競争原理に突き動かされて適者生存で世界は動いていると信じこませている。

皆が、平等に幸せで豊かになることを許さない心貧しき人々。

 生きるべきひとは、もう充分この地上に事足りていると・・。

それ以上は母なる地球を汚すと・・。
 あの巨人の国の支配者は、昔からいつも特権的な一族で、

貧弱な前時代的な野望を、そのまま引き継いできているわ。 

 

 あの北米インデアンたちが信じた約束をもすべて反故にされてきたように、

今も、自分達の権益を守るためだけに、偽りの名を施した侵略の歴史がここ中南米の大地でも引き継がれていく・・。 形を変えても、筋書きはいつも昔どおり・・。

そうやって、収奪された大地としての南アメリカの長くつらい歴史が築かれてきた・・。
 
 その豊饒の大地はいつも外からの侵略者に陵辱され、

土足で奪い去られ、内の支配者はその傀儡となり腐敗しつくして、

ひとは無知のまま、広大な大地の歴史は赤い血で染められてきたわ・・。

 

 ’ 黄金は、太陽の汗 そして ・・銀は、月の涙’

 

 海に浮かぶ赤い朝日を見つめながら、マリアのそのフレーズに、悠はいつか中米で出会った少女の可愛らしい夢を思いだしていた・・。