EMINA  時を越えた4つの絵物語 

      夜のパリ      

 

 

 

 

   

                 

  
 長い一年が過ぎ、悠は少し緊張した面持ちでドゴール空港に降り立った。

今回は何処にも寄らず、まずはここパリに直行便でやって来た。その後、留学先の東欧には列車で向かう予定だった。

日本から送った語学のスコアと申請の書類は、すでに留学先の東欧クラクフの大学に届き、何とか受理されていた。送られてきたその許可証を手に、晴れての3度目の渡航であった。当地での新学期まではまだ間がある。 社会主義国の官僚的で非効率な大学の事務手続きも、実際に自分が出向けば一月もすれば何とかなるだろう。

 

 それより、ここはパリだ。 いつかの一人っきりの淋しいだけのパリでない。

恋があれば、それなりにこの街は薔薇色に輝く。 セーヌ脇のカフェのテラスで、悠は、川の流れに黄金色にチラチラと照り返す9月の太陽を、サングラスを通して眺めていた。向こう岸のシテ島にはいつかの黒いノートルダム聖堂がそびえている。カフェには、近くのカルチェラタンの学生達が思いおもいの軽い装いで集い、テラスを囲んでなにやら楽しそうに議論している。 

  午後2時22分・・ ,パリ

 

 サングラスの中で、すらりと伸びた細い影が一瞬、太陽の光を遮った。 悠は眼鏡を外した。

 ハイヒールを履いた長く白い素脚。柔らかな白のブラウスから、透き通るような細い腕が伸びていた。 懐かしく美しい金髪は風にそよぎ、大きな茶の瞳が優しく微笑んでいる。 

 
"・・しばらく。 ユウ。"
心臓が高鳴っていた。待ち望んだ瞬間だった。

いつかの少女は、心なしか大人の女性になっていた。 悠はベンチに座ったまま、その場に立ち尽くすエミーナの姿に見とれていた。 洗練されたパリジェンヌ達の中に、美しい白い妖精が東欧の空から舞い降りて来た。

 悠は何だか自分が贅沢に思えた。 この街はエミーナの美しさを、ことさら知的に、エレガントに際立たせていた。

パリは、美しく気品あるものには、それなりに独特の華やかさと味わいを添えてくれる街だった。

"悠・・、キスしてくれないの・・?"
我に返った悠は、エミーナをそっと抱き寄せて口付けした。
"悠はキスが上手になったわ。
日本で誰か素敵な恋人でも出来たのかしら・・?"
悪戯っぽくエミーナはいった。・・そんなはずはなかった。

この日の為の、涙ぐましい努力の一年だった。

" そう? こんな風に人前で抱き合うのも久しぶりさ。
恋人がいても、日本ではあまりしないよ。
  Jak sie panima? (元気だった?)
やっと、会えたね。  ・・嬉しいよ。"

" Dziekuje Dpbreze.
・・このとおり元気。 私もうれしいわ。 
言葉、上手になったわね。 たくさんの素敵なお手紙ありがとう。
・・大切にして、ずっと毎日読んでいたわ。 ・・永かった。
これからは、本物の悠とずっと一緒にいられるのね。

あなたの、’夜のパリ ’ それから、今日のこの日を楽しみにしていた。

なんだか、夢みたい・・。"

 天使のような瞳を潤ませて、エミーナは少し震える口元でそういった。
 悠は、こんな二人の風景が永遠に続いてほしいと思った。・・Beau Paisage

エミーナの金髪がセーヌから吹く風に軽く揺れ、懐かしいあの出会いの頃の薔薇の香りを悠に思い起こさせていた。

 何処にいても、どんな暗い灰色の冬を背景にしていても、この女性は優美で気品のある一枚の美しい絵になった。

 目の前で、パリのエレガントな風景を背に、虹に浮かぶ妖精のように自然の中に溶け込んでいた。

" 君は悲劇の歌姫ジョアン・・。 僕は東欧からの謎の亡命医師ラビックだ。
僕は雨の日、セーヌの橋のたもとにすれ違う君を呼び止める・・。
そこでふたりの恋が始まる。
さあ、カルバドスで乾杯しよう。
天使がくれた君の瞳に・・。Na zdroie!(ナ・ツドロウィエ)、  ・・乾杯。"

 ふたりはクスクス笑い、レマルクの小説‘凱旋門’の主人公とヒロインになっていた。

二つの林檎酒の小さな透明のグラスが、チンと軽い音を立てた。
 あの戦時下の哀切な物語だった。 だが、その先、小説の主人公たちと同じような運命にふたりが翻弄されていこうとは、今の悠には知る由も無かった・・。

 " これからは、朝目を覚ますといつも隣に貴方がいてくれる。

・・いつか あなたが話していたあの孤児のナデイのように、また、私を独りぼっちにして置いてきぼりにしないでね。  ・・そんな淋しい夢、よく見た。"

 目を細めうつむく少女の細い顎を指ですくうと、悠はそっと唇にキスをした。風に揺らぐエミーナのブロンドの細い髪の後ろに、セーヌの流れはオレンジ色にきらきら輝いていた。
 "エミーナ、天が僕たちを引き裂きでもしない限り、これから先いっしょだよ・・。"

  悠はエミーナの肩をひき寄せ、その髪を指で撫でた。懐かしいぬくもりだった。

  " 傷を負い意識が薄れるジョアンを、最後にラビックはこの近くの小さなホテルで看取るのね・・。

 ラビックは医者である自分が愛するひとの為にもう何も出来ないことを悔やむ・・。 

もう少し手当てが早ければ・・。 いつも・・そう。 ラビックがやむ無くパリを離れている間、二人の人生の歯車が狂った。 時の悪戯が、ふたりを後戻りできないところにまで引き離していく・・。
 戦争は、 愛の堅い絆をも引き裂いていく・・。すべてを失ったラビックはその後、パリを追われ、東欧の霧の収容所に向かう・・。"

 悠の腕の中で、エミーナはひとりつぶやいていた。

 ふたりは陽の落ちた夜のセーヌを身を寄せ合い、ゆっくりと歩いた。

 さわやかな晩夏の夕暮れ時、青く陰ったパリの風景が、オレンジの小さな灯火にところどころ照らしだされていた。 腕を組み何かをささやきながらルーブルの脇を通り、気が付くとチュイルリー公園の石畳を歩いていた。

 エミーナのシルエットは悠には妖しく美しく、ちょっぴり切ない大人の恋の香りが漂っていた。
 灯火に照らされたベンチに座り、二人はパリっ子の様に自然と抱き合っていた。もう言葉はいらなかった。
 やがて立ち上がると、オベリスク前から賑やかなシャンゼリゼ通りにでた。一軒のブテイックで悠はエミーナに小さな真珠のブレスレットを買ってやった。 エミーナは、そっと手を振って遠慮した。

 でも命の恩人に何も贈り物らしきものをしていなかったのに気づいて、悠は久しぶりに再会した恋人のために、少し財布の紐を緩めてみた。

 道路工事の学生アルバイトで、1年分のふたりの質素な生活費はかろうじて蓄えていた。

小粒の青い真珠は、白くて細い腕によく似合っていた。

嬉しそうに微笑んでエミーナは悠に抱き着いてキスをした。
それから、またふたりで腕を組み歩いた。悠にとり、あの最初の旅の日と同じ夜のパリは、遠い戦時下の都市の記憶を蘇らせ、漆黒の暗闇の中、微かな命の通う光をも飲み込み尽くしているように思えた。石畳に照り返す街灯の光は、きらきらと冷たく濡れた光沢をあたりに散り放っている。むかし父親の書斎でみたブラッサイの写真集’夜のパリ’を思い出していた。

やがて、照明に浮かび上がる白亜のエトワールの凱旋門に出た。


 以前、悠はバーグマン主演の映画 ’凱旋門’ を、いつもの映画館”文芸座”で、続けて数回見ていた。いつの日にか、実際自分の目の前で見てみたいと思っていた。名画だと思った。
でも、原著のレマルクの小説の描写が、悠は好きだった。大学の教授にもらった古い翻訳本も読んでみた。
今は映画の冒頭の、ノイズの混じったモノクロの光に照らし出される霧の凱旋門の光景を、一人訪れた最初の旅の日と重ね合わせて、いま再び思い出していた。

 

 ・・一人旅のあの日、パリの夜は、枯葉の散る秋の寂しい香りだった。

 でも今、若い悠には、夏の日のパリのシックな夜、そしてそれに似あう若い恋人の息づかいと温もりがあった。
 
 ’大凱旋門’はナポレオンの命により建設が開始された。暫くの栄華の時代をへてその失脚後、死後20年たってやっと流刑先のセントヘレナから’棺’と伴に、ここをくぐることができた。 そして時代は下り、第一次大戦のヨーロッパ戦線に倒れた身元不明の若者が一人、150万人にものぼる戦死者の代表としてこの下に埋められたという。 悠は、呆然とその光に浮かび上がる偉大なモニュメントを眺めていた。

 ふと、自分に関わりのある何かの映像が、門の前をよぎる気がした。いつものデジャビュのようだった。あの大戦、対ドイツの西部戦線では、長い不毛な塹壕戦で、数多くの若者たちの犠牲者が出ていた。

 悠は、いつもの場末の哲学者の映画館”文芸座”でみた、やはり同じ作家レマルクの、”西部戦線異状なし”の映画のラストシーンを思い出していた。主人公の青年は、激しい戦線を何とか生き延びていたが、幸運に恵まれ何故か自分だけが不死身であるかのように負傷をも負わずに戦い慣れしてきた頃、ふと塹壕から、美しい蝶に気を取られて身を乗り出した。木漏れ日の中の平和の一瞬の心のゆるみだった。途端、一発の敵の銃弾に撃たれ、あっけなく命を落としてしまう・・。

 また時が過ぎゆき、あの亡命医ラビックの時代、ナチの戦車軍団がここ凱旋門を通過した。

歴史が今、書き換えられるといわんばかりに。 そして、大戦の終末、ジョアンを失ったラビックが東欧の収容所へとひとり去っていった。それからしばらくして、パリ解放に沸く多くの市民がここをパレードで埋め尽くした。
 "Fin de la guerr. 大戦の終末"という短編を、悠は大学のフランス語の授業で読んだことがあった。

 著者の哲学者サルトルの生きた60年代のパリの5月革命。その日の凱旋門の思い出の日々のことをも、母の由紀にいつか聞いていた。

 

 悠の両親はパリ5月革命のさなか、留学先のこのパリで出会い、若い日々を過ごしていた。

 5月革命のパリの大学には一枚の若者の肖像のポスターが貼られた。それは体制の変革の理想に燃える学生達の自由の象徴の絵でもあった。
 肖像の中の男の目は遠くにある理想を見つめ、どこか自らの悲劇的な結末を予感させる悲しげな輝きをたたえていた。

 その学生達のパリ革命の前年の10月、南米ボリビアの山奥で、その男は死んでいた。 若き弁護士フィデロ・カストロらと伴にキューバを自由へと解放し、やがてひとりそこを離れ、孤独な戦いを経て、若くして彗星のごとき美しく輝かしい生涯を閉じたチェ・ゲバラであった。

 アルゼンチン人の医師であった。父親・徹が、それがショックで、ふたりでパリにいた若いその頃、ひとり大層落ち込んでいたと母親の由紀から聞かされていた。

  悠も、思春期の偶像として、悠が生まれる前に生きたこの若者が医学生時代に書き記した

'モーターサイクル南米旅行紀’を読んでいた。 書斎に父が残していた愛蔵書の一つだった。

 

 悠にとり、ヨーロッパのパリはいつも世界に発信する自由の牙城でもあった。

 シャンソンが流れ、煙突から白い煙の立ち昇る古い映画の素朴なパリの下町の風景も悠のお気に入りだった。 母親の由紀が美術学校時代に描いたパリの街の風景画が何枚か八ヶ岳の実家にあり、それを眺めて思春期をおくった。いつも悠の夢と想像をかき立てていた。


 アルジェリアのカスバを舞台にしたジャン・ギャバンの"望郷"。幾本かの老年のいぶし銀のような渋い初老のギャバンのギャング映画を悠はよくみた。いつか母の由紀から、若い日の徹と一緒に、国境を越え、海峡を渡りフランスからの独立後間もないカスバにも行ったと聞かされた。
 ヌーベルバーグのジャンポール・ベルモントの"勝手にしやがれ"のパリジャンの奔放で粋な自由さにも悠はあこがれた。

 パリ5月革命当時、学生たちに街路のパヴェ(敷石)がはがされ、車がひっくり返されて警察の暴力へのバリケードとされていたという。 それがまるで青春と自由の象徴のように、奔放で軽快なベルモンドの役柄の、この映画の、モノクロの何故かモダンなシーンに思春期の悠の心が搔き立てられていた。


 カミュの"異邦人"、サルトルの"嘔吐"や"樽"という作品を悠の大学のフランス語の授業でもよく取り上げられた。 哲学では実存主義がブームだった。
 "悲しき熱帯"のレヴィ・ストロースの構造主義の人類学が話題になったのもその時代だった。悠はその講座も大学で受けてみた。少し難しかった。
 両親のパリでの想いをたどるようにして、ひっそりと憧れていたパリだった。芸術学校に通った若き日の母親のように、そして書斎の一枚のモノクロの写真に映し出された父徹の知的そしてエレガントな若い日の面影、それらが何故か悠にはこの上なく格好良かった。 そして、あの五月革命の熱き日々に居合わせるようにして生きた、父や母のそんな青春の日々が羨ましかった。


 でも初めての長い一人旅の終着点だったパリは、悠にとり、東洋人の貧乏旅の若者がひとり歩くには、少し敷居が高いようで、孤独で冷たい街だった。初めて、両親のふたりはこんな風に、異邦の地で寂しくはなかったんだろうか・・。だからこそ、二人の間の愛の絆が深まったのかもしれない、とも若い頭で思ってみた。

 自分には、イタリアやスペインのひとの底抜けの陽気さ、東欧で出会った人々の素朴さの方がどうも肌に合っていた。
  人は背景に自分自身の’なま’の存在を溶け込ませることで、初めて具体的な現実のイメージを描きだすことが出来る・・。
 いつか一人でたどり着いたパリでは、硬くて、洗練された石畳”パヴェ”のタイルの枠にはまりきれなくて、悠は一人なぜか気持ちが浮いて落ち着かなかった。パヴェとはフランス語で”砂”という意味らしかった。そのパヴェの石畳に遠く教会の鐘の音が固く響いていた。


 母親の由紀がいつか悠に語っていた。

 ”あの頃のパリは、まだ未熟な若者たちだったんだろうけど、皆が純粋に自由への意思に燃えていたわ。

’パヴェの下には砂浜がある・・、’って標語が、街の壁に白ペンキで書かれていた。

そのころ読んだカミュの作品があってね。主人公が人殺しをする、その理由を問われてこういったわ。”太陽がまぶしかったから・・”ってね。何かその重く寂しい言葉に重なったの・・。

昔ね、セーヌの両岸は砂浜だったの。そこにこの石畳を丹念に昔の人々は埋め尽くした。

その中にはきっと多くの植民地アフリカやアジアからの貧しい出稼ぎ労働者がいたんでしょうね。

私たち日本人には、パヴェの下の冷たい砂の孤独な感触がわかる気がした。
少し前に、アフリカの戦線で、現地の人たちに対するフランス人の長い間の差別と多くの虐待事件が、次々と表ざたになってきたことがあってね、当時の若者たちの純粋さと正義感に火をつけたの。
 お父さんと私も共に、体制の変革を求める若者たちや知識人、労働者たちの共調したデモのなか、不思議なエネルギーに高揚していたわ。

 何も知らなかったお嬢さんだった私も、お父さんと歩き回るうちに、いろいろと周りから教えられていった。歴史、文化、政治、そしてすべてに隠れた欺瞞と命への不遜さ・。

 お父さんはまだ若くて痩せていて、優しくて、力強くて、インテリで・・、ずーっと素敵だったわよ。 美大生だった私とよく、今はもうあるかわからないけど、モンマルトルの丘のカフェに足を運んだ。お父さんは、達者なフランス語で、そこに集う学生や芸術家たちと語り合っていた。自由で前衛的なモダニズムの絵画が壁にかけてあって、コーヒーカップの擦れ合う音とともに、芸術や文学の話にも花を添えていた。 時々、ブラジルの女性のシックな歌が背景に流れていた。

 ただ、その端のほうにちょっと画風の違う女の人の絵があってね、寂しい表情の美しい女性の絵だけど何か心が落ち着くの。席が空いてれば、その絵の下に二人で座ったわ。

 いつだったか、そこに女性が二人掛けていてね、何か特別な親近感をお母さんは持ったの。でも、彼女たちとはそれっきり・・。

 お父さんに、色んな大切なことを話したあの日・・。 お父さんは素敵だったわ。
・・ふふ、今頃、外国でくしゃみしているかもね・・。悠も、どこか異邦の地で、素敵な恋をするのかもね・・。”
                       

 そんな懐かしい母の言葉を悠は、思い出していた。

その同じはずの自由なパリの街も、当時とはもう時代が違ってしまっているのか、最初の一人旅の東洋人の悠には、やはり何か他人行儀な孤独な街だった。

 南欧や東欧ではまだ自分の居場所があった。 素朴で優しい人の笑顔があった。 南アジアの貧しい途上国では金も物も無い学生だけに、さらに人は親切にしてくれ、互いに親密になれた。

 やはり旅は人を裸にするものらしい・・。

自分の素性を見せた後に冷たく無視されれば、その人格を拒絶されたような虚無感に襲われる。
物質の豊かな先進国ではこんな場面が多かった。貧乏旅行の学生の不安定な気持ちは、立場は異なっても、出稼ぎで中東やアジアから出てきている人々の孤独な心情につながるものがあるような気がした。
 貧しい越境者はここフランスでも、豊かな国の民には歓迎されていないように思われた。同時に、そうした人々の祖国の現状や、こうして出稼ぎにここに出てこざるを得ない理由など、思いをはせる必要性など当地の人々にはなく、ただ豊かな街の景観を乱し、生活に不安を招くものとして忌み嫌われているようであった。 悠は、旅から日本に戻ると、色々本を読んでみた。
 歴史的に、資源の豊かな他国の地を土足で蹂躙してその住民の土地を奪い、彼らの素朴な生活を脅かすことで始めて成立しえた先進国の文明の豊かさ、そして壮麗さ。

他人の資源で潤ってきたそんな成熟した先進国で、資産を蓄積した多国籍な資本家が巨大なネットワークで世界の経済を主導する。グローバリズム資本主義。それに沿う形で国際金融機関の金融政策が、回りまわって弱い旧植民地未開発国の再起不能な決定的貧困を招いていく。

 そんな複雑で具体的な構図にまでは、贅沢に慣れた文明国のひとの思考ではたどり着けないように、悠には思えた。悠の国 日本でも、テレビでは、豊かさと贅沢を煽り、無駄な浪費生活を蜜のように垂れ流していた。根にあるものはみな同じ巨大なメカニズムに突き動かされている気がしていた。

 

 歴史の証人のようにしてそこに居合わせることのできた両親の、若いあの時代のパリ。心の中のモノクロの映像に、、悠はどこか懐かしさを感じていた。

 言葉少な気に物思う悠のかたわらで、そっと微笑むエミーナがいた。 悠が我に返ると、エミーナは絡めていた腕をぎゅっと抱きしめた。  

銀色に輝く満天の星空のもと、石畳のガス灯の小さなオレンジの灯が遠くに揺らいでいる。

 

 

 




  パリのホテル ”アンテナショナール”にて・・・。

 

銀色の月が窓を開けた静かな薄暗がりの中に差し込む。ふたりは時を忘れ、互いの積もる話をした。

そしてあとは熱くながい抱擁であった。

 しばらく会わぬ間にエミーナは、柔らかな女の身体に成熟しているようだった。

悠は、白く滑らかなエミーナのうなじの金色の産毛をそっと唇で撫でた。

エミーナはささやいた。

 " やっと悠との’夜のパリ’が現実になった。なんだか幸せ・・。

でも・・、いつか話したでしょ。 私の大好きだった物静かな祖母の話・・。

若い頃、パリの大学に来ていた彼女は、この地で画家であった祖父に見初められたの。

若い日の祖母の肖像画はうつくしかったわ・・。

やがて、モンマルトルの丘の小さなアトリエの家で私の母リザを身籠った。
 リザがまだ幼い頃の、画家の夫との思い出を、晩年、祖母は日記に書き記していた。

 

 でも、あの小説の中のラビックと同じ時代、弾圧の恐怖による閉塞した重苦しい空気が自分たちの周囲を暗く覆っていたわ。

 ナチスドイツがあの”凱旋門”を通過したとき、祖母は自分がゲットー地区のポーランド系のウクライナ人であることで、画家の夫と娘に危害が及ぶことを恐れた。

それで、考えた末幼い娘を故郷の若者に預けることにしたの・・。"


  エミーナは静かに囁いた。 悠は彼女を抱き寄せ、柔らかなそのブロンドの髪をなでた。ホテルの白い壁に走馬灯のように映し出される、辛く悲しい戦争の中に生きる人間の真実の物語の映像に今悠は思いをはせていた。


 翌朝、ホテルのカフェのテラスで、朝陽を浴びながら、クロワッサンとコーヒーの軽い朝食をとった。そしてふたりは、メトロでモンマルトルの丘に向かった。

 地下鉄駅から外に出ると、いつの間にかどんよりと曇ってきた灰色の空の下、先にメリーゴーランドが見えていた。ふたりはそこを目指して、ユトリロ通りに差し掛かった。既に雨に濡れかかっていたマロニエの緑の美しい石畳の坂をふたり手を取り合って上った。 エミーナは悠のブラウンの男物のサングラスを掛けていた。静寂の中、靴音が反響し、小鳥が木陰からふたりに何かを語り掛けてくる。空のどこかから雷鳴がかすかに聞こえる。

エミーナは額に少し汗をかいている。 薔薇の香水の微かな香りに、カールした金髪がゆっくり波うち、少し紅潮した細く白い頬が茶のグラスによく映えていた。

 

 エミーナの手に導かれ、曲がりくねった石畳の坂を上り詰めると、こんもりと茂る緑のつたに覆われた一軒の白い洋館にたどり着いた。 ’Cafe Pasaje’ 

遠くにエッフェル塔が小さくけぶっていた。

 

 ・・悠はハッとした。パリに始めて来たとき、白い画廊風のこのカフェに何かに導かれるように一人立ち寄っていた。 何処か中欧の懐かしい生まれ故郷に戻ったかのような、不思議と心の落ち着く空間だった。 

 過酷な旅路の一里塚・・。あのトルコの街コンヤで世話になった宿の主人が、いつかいっていたそんな場所だった。孤独な一人旅に疲れた若者の心と体を、そっと懐かしい心の静寂へといざなってくれた。 

 緑色に錆びついた店の青銅のドアノブを開けた瞬間、若者の中に遠いデジャビュの記憶が廻っていた。 淡い光に照らされた壁のカレンダーには、9月11日の日付けにピンで小さな紅い薔薇がつけてあった。 こじんまりとした白い木造の建物の中、かつてアトリエのあった場所は、アンテ一クな洒落たカフェになっている。カップの擦れる音が響き、香ばしいコーヒーの薫りが満ちている。

 煉瓦造りの壁に暗い照明で幾枚かの絵が照らし出されていた。 あの日一人旅の疲れた若者が見たものとは、少し内容が変わっている。 

 ただその片隅に、タッチの異なる一枚の一世代前の裸婦像が、ひっそりとあの日のままに掛けてあった。長旅に疲れて、物憂げに見上げたあの日の印象的な絵だった。

あの日、確か黒いスーツの初老の紳士がその下のソファに座っていた。

悠は絵の前で、瞬間眩暈がして、再び何かの取り止めもない映像がよぎるのに任せていた。軽い頭痛がしていた。

 

 ・・雨の凱旋門、灰色の空を見上げる戦場に取り残された若者、鐘楼の鐘の響き、広い草原の蒼い空と一筋の雲、花咲き乱れる屋敷のパテイオの庭・・、白い雪の森、そして聖母マリアをたたえる歌と、哀し気なギター・・。  そこに一人の白い肌の少女がいた・・。

 "・・エミーナ!"   悠は思わず叫んだ。

 

 栗色の美しい髪のたなびく、細身だが真っ白な肌をした裸婦像

いや、ここに一緒にいる自分の愛するエミーナその人が、薄っすらと’緑色’の妖炎の背景の影に浮かび上がるようにして壁の絵の中に描きだされていた。うりふたつだった。

 そこには、   

   “ Emina '1941   paris” 

と金文字で刻印してあった。裸婦はその人を描いたものだった。

" ・・どうして君の絵が、ここに? "

悠は想わず息を飲み、目の前のエミーナを見つめた。