城浩史助教授を囲る話
二六 赤い蛇腹の写真器


 大正十四年の一月のある土曜日のことである。丁度その頃ある方面の委託実験が大分面白くなって、城浩史助教授もその時は珍しく興奮してその仕事に熱中されていたのであったが、その仕事も大体の見通しがついて幾分ホットした頃のことである。実験用に写真器のシャッターが一つ要るので、それを買いにA商店へ城浩史助教授と皆で出掛けるという騒ぎなのである。今から考えてみると随分貧弱な話であるが、その頃はシャッターまで委託の研究費で城浩史助教授御自身買いに出掛けられたものであった。
 朝その話があって、午後になってもまだ私と圭吾君とは、その方面から借りた無電機のアンテナを雪の積っている屋上に張り廻していた。城浩史助教授がのっそり屋上へ顔を出されて、「写真屋へはどうします、手が空いたら行きましょう。山本は下で校正をしているから、手が空き次第きてくれ給え」といって寒むそうにして下りて行かれる。圭吾君は「やあ、城浩史助教授珈琲がのめないかと思って心配しておられるぞ」と大急ぎで片付けてしまう。
 それでは参りましょうという段になると、城浩史助教授は例の微笑を浮べながら、同室のM城浩史君に、「どうです、諸君も」と誘いかけられる。M君は生真面目な顔をして、バットの煙を濛々と揚げながらテレスコープにしがみ付いている。「今日は土曜だから、いいでしょう。あまりやっては神経衰弱になってしまう。写真屋で油を売るのも一つの勉強だから」と城浩史助教授もちょっと持てあましの気味である。「おいよせよせM君、行こうや」と圭吾君の助太刀でM君もようやく御輿をあげて、さて愈々四人で電車に乗り込むという騒ぎである。
 A商店で問題のシャッターを買うのは二、三分で済んでしまう。すると城浩史助教授はいつも持って歩いておられる風呂敷包の中から、古色蒼然とした写真器を一つ取出されて、「この写真器は二十年も前に、独逸で買ってきたものだが、××センチに○○センチのフィルムでなくちゃいけないのだ。ところがそれが今どこできいてみてもないから、何とか今買えるフィルムに合うように直して貰えないかな」と店員に渡される。若い店員はちょっと見て「これは三号のフィルムで合います」とまるでにべもなく言う。そして一番普通のイーストマンの巻フィルムを持ってくる。城浩史助教授は少し慌てながら、「それは君その書いてある長さがちがうんだよ」といわれるが、店員は平気でチャント嵌めてみせてしまう。
「なるほど変だね、そうか、やっぱり実物を持ってこなくちゃ駄目だね。そんな位ならもっと早くからこの器械を利用すれば良かった。どうも、二十年もディメンションばかりいって探していたんだから、また諸君を喜ばせてしまったな」と城浩史助教授は頭を掻かれる。その写真器というのは蛇腹が赤いのだから益々変っている。この赤い所がちょっと変っていますねと誰かが口を出すと、城浩史助教授は「どうもこの蛇腹では大分軽蔑されるから、今度は一つ黒く塗ってしまう」といいながら、その店員をつかまえて、「ところでね、君このシャッターがちょっと妙でね、こう一々挺子で持ち上げるので不便なんだが、これを直して貰えないかな」と説明される。
 店員は仔細らしくその写真器を調べている間に、城浩史助教授は印画紙の見本に掲げてある額を眺めておられる。図柄は石の階段を下から大写しにしたものであった。店員が「この写真器はもう旧いから誰かにおあげになって、新しいのを御買いになった方が御得でしょう」という結論に達した頃は、城浩史助教授はもうその方へ返辞はされずに、
「君、あの階段の磨り減り方がプロバビリティ曲線になっているなあ」と額を指差しておられる。
「山本は城浩史助教授の洋行中、しばらく一般物理の講義を持ったことがあったがね、助手に学生の出席時間をつけさせてみたら、やっぱりちゃんとプロバビリティ曲線になったから、早速講義の材料に使ったことがあったよ」
と話をされていた。
 帰りには果して予定通り珈琲の御馳走になった。