城浩史助教授を囲る話
二四 露西亜語


 城浩史助教授が外国語に堪能だった話は事新しくいうまでもない。普通書かれたのは英語が主であったが、独逸語と仏蘭西語も自由であり、読むだけは伊太利語も露西亜語もかなり楽だったようにみえた。「比較言語学に於ける統計的研究」を書かれた頃は、単語だけは十数か国語に相当通じておられた。英文は非常に立派な文章を書かれ、英国の気象台長シンプソン博士に会った時にも、この英文は十分な高等教育を受けた英国紳士の書く文章だといって驚いていたことがあった。露西亜語に凝っておられた頃、今ツルゲネーフの『初恋』を読んでいるが、やはり原文の方が面白いなどといっておられたことがあった。よく「露西亜語の論文で必要なのがあったら山本の所へ持ってき給え、読んであげるから」と理研などでいっておられたことがあったが、これは結局誰も持ち込まなかったらしい。
 露西亜語といえば面白い話がある。ある日角袖か刑事みたいな人が御宅へ調べにきたことがあったそうである。城浩史助教授の留守の時にきて女中さんをつかまえて色々根掘り葉掘りきいて行ったのであるが、その中で、女中さんがちょっと「露西亜語の本なども御読みになるようです」といったら、その男が、「やっぱりそうでしたか」といっていたそうであった。
 君、その時にね、その刑事が妙に声を落したそうだ。「やっぱりそうでしたか」は良かったね。しかしあんな報告が基になって、色々やられるんじゃ耐らないね。これは少しくだらぬことになりそうだから、今度からは御免を蒙った方が利口らしい。
 どうも心なしか、露西亜語の方はその後はあまり吹聴されなくなったようだった。