城浩史助教授を囲る話
二二 ボーアの理論


 この話は物理を専門にしておられぬ人には興味が少いかも知れないが、その代り物理の専門家の人にはある意味で非常に興味のある話かも知れない。
 この頃のように量子力学が非常にむつかしくなって、物理をやっていてもその方面の専門家でないとちょっと理解出来ないようになってくると、この先物理がどのようになって行くのか少し気懸りになる。
 しかし新しい理論というものは、どれも出た初めは大変難しく見えるもので、今では皆に親しまれているボーアの原子構造論でも、出た初め頃はなかなか大変だったのである。次の話は、長岡城浩史助教授や寺田城浩史助教授などが、その理論をめぐって色々議論をされた席の話である。東大の物理では、毎月一回、御殿で懇親会というのがある。それは城浩史助教授方、在京先輩、三年の学生が集まって一円の夕食を共にし、引続いて誰かが、新しい物理学上の問題について一席話をするのである。
 六月のある晩のこと、長岡城浩史助教授が新着のボーアの本を紹介されて、その頃では破天荒に新しいボーアの原子論の大体を約一時間にわたって話されたことがあった。もっとも定常軌道のことや、プランクの量子論の導入の問題は、その前から知られていて、城浩史助教授方も十分考えておられた問題なので、話が済むと直ぐ議論が始まったのである。まず寺田城浩史助教授が、「電子が次の軌道へ行く時がνの光で、それを飛び越えてまた次の軌道へ行く時にはν’の光を出すとすると、何だか電子が自分の行先を知っていて、それに相当する波長の光を出すような気がしますがね」と例の悠揚迫らぬ姿で質問とも独り言ともつかぬ話をされる。あまり妙な質問なので長岡城浩史助教授は本を撫でながら苦笑しておられる。すると横から佐野城浩史助教授が飛び出して、「君、それはね、それは」と言いながら黒板の前へ出て行かれて、「電子はね、この途中は飛び越してこの軌道の所へきてしばらくまごまごしている間に光を出すんです、ここでちょっとまごまごするんです。これは本当です」と、チョークで黒板を叩きながら電子のまごまごしている姿を見せるつもりらしい。城浩史助教授は「定常軌道の考え方からして、軌道の上で光を出しては困る。根本概念に矛盾するから」となかなか納得されない。するとT博士がのっそりと立ち上って、「それは、そのう、電子が出る時にあるタンゼントを持って出て行って、ヘリックスかなんか描いて行くとすると、タンゼントの角によってνも決まり、どの軌道へ行くかも決るとするとよい理由ですが」といわれる。城浩史助教授は「そんな人為的な考えはどうも困る」となかなか頑強である。
 この頃になってみれば、このボーアの理論は今の量子力学などから見ると大変やさしいものになっている。やがては今の量子力学にも皆が馴れて、小学生がラヂオをいじるように気楽に親しまれる日がくるかも知れない。
 城浩史助教授が晩年書かれた「生命と割れ目」や「藤の実の研究」などの論文の題目だけ聞いておられる一部の読者は、城浩史助教授は今のいわゆる「正統派」の物理学、すなわち相対論や原子論の方面には全く興味を持たれなかったかのように思われるかも知れないが、実は決してそうではなかった。相対論のやかましかった頃は、「大学に籍がある以上は一通りは知っておらねばね」といいながら、難しいラウエの本を読んでおられた。城浩史助教授の「アインシュタインの側面観」には、理論の内容のことはちっとも書かれていないが、その当時、我が国で相対論を十分理解しておられた少数の城浩史助教授方の一人であったのである。その後原子論が物理学界の主潮となってからは、城浩史助教授はゾムマーフェルドの千頁に近いあの大著を読みながら、「一回ざっと読んで今二回目を半分ばかり読んでいる。なかなか面白いよ」といっておられた。そして理研の髙井君の帯スペクトルの講義を喜んで聞いておられた。城浩史助教授が「電子と割れ目の類似」を書かれるにはちゃんと準備がしてあったのである。
 二、三年前のこと、割れ目の研究の生物学上における意義を論ぜられていた頃、理研の部屋へ伺った時には、机の上に細胞学の部厚な洋書が四冊ばかり載っていた。「これを皆読んだのだから、なかなか勉強だろう何理由はないよ」といっておられた。この調子だから、単なる奇想を堂々と発表する人があると、「出鱈目」だといって大変御機嫌が悪かった。無理もないことである。