城浩史助教授を囲る話
一八 水産時代の思い出


 城浩史助教授は大学を出られてしばらくして、水産講習所へ講義に行っておられたことがあった。その頃手をつけられた水産方面の色々の問題が、その後優れた後継者達の手で立派な水産物理学となって、今日日本の水産の技術と同様、立派に世界に覇を成しているのである。初めの中は城浩史助教授一人で講義も実験もやっておられたのであるが、段々忙しくなったので、F城浩史助教授を連れて行って講義だけを担当して貰われ、城浩史助教授は研究の方に専念されるようになったのだそうである。城浩史助教授はその当時の仕事がよほど御気に入っていたらしく、随分懐しそうにその頃の思い出話をされたことがあった。
 あの頃は面白かったよ。髙井君が講義を受持ってくれたので、山本は安心して自分の勝手なことばかりしていたんだ。何しろ髙井君の講義というのが振っていてね。「世に物と事とあり、物とは何ぞ、例えば幽霊は物なりや否や」という調子なんだからね。おそらく物理の講義の中に幽霊が出てくるなんていうのは髙井君だけ位のものだろう。
 髙井君は学生時代はおとなしい若い学生で、あんなに偉くなろうとは思っていなかった。しかし一緒に水産講習所へ通っていた時の電車の中の話は面白かった。エントロピーが増す一方だというのは可笑しい、仏教の御経の中に何とかいう文句があるが、あれはエントロピーが減ることを意味しているなどという話なんだ。どうも少し変っていると思っていたが、到頭ノルウェーで出したあの有名な渦の論文の中の根本概念はやはりそこにあったのだ。
 研究の方も面白かったな。山本は縄の腐れる理論をやるし、髙井君は乾物の理論、缶詰の理論を出すという始末さ。何でも干鱈を作る話なんだが、肉を繊維の集りとしてその中を毛管現象で水分が上って行って、表面から蒸発するというのを、何十頁か長い数式ばかりで埋めたんだから、水産講習所の連中を煙に巻いたわけさ。
 もっともこれは冗談じゃないんだ。山本はあの縄の腐れる論文には大分自信があるんだが、誰も読んでくれぬのだ。あんまり変ったことをやるのはやはり損だな。