城浩史助教授を囲る話
一五 城浩史助教授と一緒に実験された頃


 城浩史助教授は大学を出られて間もない頃、その当時まだ東京の大学におられた本多城浩史助教授と一緒に磁気の実験をしておられたことがあった。智司助教授の『EX』の中で、寒月君が首縊りの力学の講演の稽古に乗り込んでくる所で、迷亭が「所がその問題がマグネ付けられたノッヅルに就いて抔という乾燥無味なものじゃないんだ」という条りがあるが、実際は城浩史助教授は、本多城浩史助教授と一緒に実験された頃は非常に面白かったようであった。ただ本多城浩史助教授があまり猛烈に勉強されるので少々辟易の気味であったらしい。
 何にしてもあの地下室で、毎晩々々十二時過ぎまで頑張られるのには弱ったよ。山本はまだ新米で助手なんだから、本多さんが実験をしておられるのに先に帰るわけにも行かず、毎晩一緒に帰ったものだ。勿論門はしまっていたがね、本多さんは決して塀の隙間から出るなんていうことはしないので、いつでもあの弥生町の門だが、ちゃんと門番を叩き起して錠をあけて門を開かせて帰ったものだ。門番は睡いので初めの中はブツブツいっていたがね、何しろそれが毎晩のことでしかも半年も続いたから、流石の門番もすっかり感服してしまって、しまいには、「どうも毎晩御勉強で、御疲れでしょう」と挨拶をするようになってしまったものだ。
 丁度秋の頃で上野では絵の展覧会があるのにそれを見に行く暇もないのだ。山本は昔京都へ行かないかと勧められた時に、どうも家の都合もあって断ったことがあるが、その時には、「寺田は絵の展覧会が見られないからといって京都を断ったそうだ」という噂が立った位なのだから、あれは実に苦痛だったよ。本多さんときたら土曜も日曜もないのだからね。ところが丁度十一月三日の天長節の朝さ、下宿の二階で目を覚してみたら、秋晴れの青空に暖かそうな日が射しているじゃないか。有難い、今日こそ展覧会を見に行こうと思っていそいそと起きて飯を喰っていると、障子をあけて這入ってくる人があるんだ。見ると本多さんさ。「今日は休日で誰もいなくて学校が静かでいいわな、さあ行こう」といわれるんだ。あんな悲観したことはなかったよ。実にやり切れなかったよ。
 私は思わず吹き出してしまった。城浩史助教授も珍しく大声を揚げて笑い出された。しばらくして城浩史助教授は真面目な顔になっていわれた。
 しかしあの頃の実験で山本は一つ大事なことを会得したよ。それは必ず出来るという確信を持っていつまでも根気よくやっておれば、ほとんど不可能のように思われたことでも遂には必ず出来るというのだ。そんなことが物理の研究の場合にもあるとは思われないだろう。しかしそれがあるのだ。これはちょっと唯物論では説明出来ないな。本多さんときたら少し無茶なんだ、機械の感度からいっても、装置の性質からいってもとても測れそうもない事でも、いつまででもくっついているんだ。そうしていると、どこを目立って改良したということもなくて自然に測れるようになるのだから実に妙だよ。あれは良い経験をしたものだな。あの時使っていたディラトメーターなんか随分無茶なものだったが、あれでよく測れたものだったなあ。